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「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない(桜庭一樹)」

概要(裏表紙より)
その時、兄とあたしは、必死に山を登っていた。
見つけたくない「あるもの」をみつけてしまうために。
あたし=中学生の山田なぎさは、子供という境遇に絶望し、一刻も早く社会に出て、お金という“実弾”を手にするべく、自衛官を志望していた。そんななぎさに、都会からの転校生、海野藻屑は何かと絡んでくる。
嘘つきで残酷だが、どこか魅力的な藻屑となぎさは徐々に親しくなっていく。だが、藻屑は日夜、父からの暴力に曝されており、ある日--直木賞作家がおくる切実な痛みに満ちた青春文学。
解説・辻原登



「葉桜の季節に君を想うということ」を経て辿り着いた先生の代表作の一つ

本作との出会は、

「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」というタイトルがかっこよかったという至極単純な理由なのですが、

気づけば日を跨いで完走していて、久しぶりに、何度でも読み返したいと思える作品でした。

読了後に本を閉じ、ふと表紙を見てみると、

このかっこいいタイトルこそが、単純にかっこいいだけでなく、

大切な何かを懸命に訴えているように感じたのです。

なんでしょうね。「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」とは

ということで、今回の読書記録は、

本作のタイトルに込められた先生のメッセージを私なりに解釈してみたいと思います。

まず、砂糖菓子の弾丸ちおう表現ついて最後に印象深い表現がありました。



もう誰の、砂糖菓子の弾丸を撃たない。
背後からミネラルウォーターを投げつけてきたり、痣を汚染だと言い張った、りしない
どこまでも一緒に逃げようなんて言ってくれない。



作中の後半で、無残に殺された海野藻屑の、生前の不可解な言動をなぎさが顧みています

一部の抜粋ではありますが、他の描写から推察するに、

砂糖菓子の弾丸とは、

目を反らしたくなる無慈悲な現実に対する子供たちの無力な抵抗を指しているのだと、

私は考えています。

海野藻屑はひ弱な女の子で、

耐えがたい虐待を受けていたとしても、

現実逃避することでしか不合理に対抗するすべを持ちません。

「砂糖菓子の弾丸」という表現にはそういった、

社会の不条理に対する皮肉が込められているように感じます。

しかしながら、そこにあるのは皮肉だけではありません。

それを暗示させる友彦のセリフがあります。


その子は砂糖菓子を撃ちまくっているね。体内で溶けて消えてしまう。なぎさから見たらじつにつまらない弾丸だ。なぎさ……



友彦はなぎさの兄。後に続く言葉はどんなものなだったのか。

現実から眼を背けて家に引きこもり、海野藻屑と同じように砂糖菓子の弾丸を撃つ友彦。

彼は、その意味をなぎさに伝えたかったのではないでしょうか。

砂糖菓子が体内で溶けて見えなくなってしまうとしても、無くなったわけではないということ。

そして、実弾にしか興味がない少女は海野藻屑の死を突き付けられます

以下の引用は藻屑のバラバラ死体を発見した後のなぎさの心理描写です。

十三歳でここにいて周りには同じようなへっぽこ武器でぽこぽこへんなものを撃ちながら戦ってる兵士たちがほかにもいて、生き残った子と死んじゃった子がいたことは決して忘れないと思う。
(中略)
この世界ではときどきそういうことが起こる。砂糖でできた弾丸では子供は世界と戦えない。
あたしの魂は、それを知っている。


藻屑が放った砂糖菓子の弾丸は、なぎさの魂を撃ち、心に確かに残っているのでしょう。

実弾が目に見える傷をつけるように、砂糖菓子の弾丸は心に傷を残すのかもしれない、けれど決して残酷なだけではなく、砂糖の甘くて、優しい傷でもある。

「砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない」というタイルにはそんな意味があるのかもしれません。

以上、おすすめです。

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