note感想|授業で「生徒に馬鹿にされたくない」という気持ちに流されてしまう|結城浩さんの『難易度調整をどうするか(教えるときの心がけ)』
高校生などに物理を教えています。
結城浩さんの『難易度調整をどうするか(教えるときの心がけ)』を読んで
「なんでそんなに教師のことがわかるの!?」
とズキズキしました、という感想です。
※全文を無料で公開しています。
■ 読んでズキズキッとした箇所
上記の記事を読んで、個人的に胸がズキズキッとした箇所を引用します
導入部分の難易度は非常に低めに設定します。生徒にすこし馬鹿にされてもかまわないくらいに設定します。 (導入部分の難易度 より)
たとえば(これは結城個人の考えですが)、導入部分でやさしい話をするとき、生徒に馬鹿にされるくらいでいいと思っています。ここで「生徒に馬鹿にされたり、なめられたりしたらいやだな」というわけで急に難しそうな話をするのは間違いです。 (生徒にとっての難易度調整 より)
初めは「生徒に少し馬鹿にされてもかまわない」。そのくらいハードルを下げよう、ということなのですが…
この部分、めちゃくちゃ胸にズキズキッと来ました!
■ なぜ胸がズキズキッとしたか
というのも、私自身が授業で
「生徒に馬鹿にされたくない…なめられたくない…」
という恐怖に怯えていたことが実際にあるからです。
「馬鹿にされたくない」という恐怖から「アレもコレも」と詰め込みすぎたり、「すごいだろ」とばかりに難しすぎる内容を扱ったりなど、結果的に生徒のことを全く考えない授業になってしまった経験があります。
これは私にとっても生徒にとっても非常に不幸なことでした。誰も喜ばない…
先輩の講師からも言われました。
いかに内容を噛み砕くかが僕らの仕事。
「難しいことをやらないと舐められる」というのは講師の弱みだよ。
結城さんの記事を読んだときに、そうした失敗の経験がフラッシュバックして胸がズキズキッとしたのでした。
■ 「馬鹿にされたくない」という気持ちに流されずに踏みとどまる
失敗した経験があっても、油断すると「馬鹿にされたくない」という気持ちに流されてしまいそうになります。
流されずに踏みとどまるための鍵は、やはり結城さんの仰るとおり
「生徒のことを考える」
というたった1つのことだけを基に授業を組み立てることだと思います。
また少し結城さんの記事から引用します。
難易度調整をするときに大切なことの一つに、
誰のための難易度調整か?
という問いかけがあります。難易度を適切に調整するのは教師のためではなく、生徒のためです。その一点を外さないようにしなければなりません。
(生徒にとっての難易度調整 より)
授業は誰のためにあるのか?
「生徒のため」
そんな「当たり前のこと」を、余裕がなくなってくると忘れてしまうのですよね。
では、どういう要因で余裕がなくなってしまい、生徒のことを忘れてしまい、一人よがりの授業になってしまうのか。
とりあえず私の場合を例に考えてみます。
■ 「馬鹿にされたくない」と思ってしまう時期
生徒のことを忘れ「馬鹿にされたくない…」と自分中心の授業になってしまいやすい時期というのははっきりしています。それは
「クラスが開講したばかりのとき」
です。
・どういった生徒たちなのかがわからない
・クラスの雰囲気がわからない
・信頼関係が構築されていない
そういった「わからない」という不安の中で「ちゃんと授業をやらなきゃ」と焦ってしまいがちな手探りの時期には、やはり余裕がなくなってしまいます。
■ 「他者からの評価」との距離
また、時期だけでなく教師や講師が置かれている環境にも要因があるかもしれません。
というのも学校でも予備校でも、教師や講師は「教える」ことで生活をしているので、どうしても「評価」というものを気にせざるを得ないからです。
もちろん、「評価」されること自体が悪いというわけでありません。
ただ、「他者からの評価」への適切な距離が取れているか、が大切な気がします。言い換えると
「他者からの評価」に対しての「自己評価」
を健全な方向に保っていなければ「生徒のため」という、教える者にとっての大前提を忘れてしまいかねない、と思うのです。
ここで言う「他者」というのは生徒だけではありません。
「同僚の講師からダメな講師だと思われないだろうか…」
「所属先の職員に評価してもらわなければ仕事がなくなる…」
「教える」ことで生活しているからこそ、生徒以外の「他者からの評価」を気にしてしまう。
けれど私たちが「教える」ことで生活している限り、生徒以外の「他者からの評価」とは少し距離を置かなければならない。
目の前の生徒のことだけを見て、目の前の生徒のために難易度を調整し、目の前の生徒が自信をつけて帰れるような、そんな授業ができるように準備をする。
「他者からの評価」よりも「目の前の生徒」が重要だよ
というように、「他者からの評価」に対しての「自己評価」を健全なものに保とうとすることを忘れないようにしたいです。
■ 具体的な誰かのために
教える者として「生徒のため」という前提を忘れないために(これも結城さんがどこかで書いていたのかもしれないけど)、やっぱり具体的な誰かの「顔」を思い浮かべて
「彼/彼女ならどういう反応をするかなあ?」
と想像しながら、その人のために授業をつくることが大事だと肝に命じています。
きっと結城さんも数学ガールを書くときにはそうやって、登場人物一人ひとりの具体的な顔を思い浮かべながら、彼らのためを思って、いつも物語を紡ぎ出しているのかなあ、なんて想像したりしています。
記事を読んだときに、私は結城さんに対して
「なんでそんなに教師のことがわかるの!?」
という感想をまず抱きましたが、「具体的な誰かのために」という考え方が根付いているからこそ、なのかもしれません。
■ 終わりに
物理を学ぶことや教えることについて記事を書いています。
今は「iPad proで教材作成」というシリーズを書いています。
『iPad proで教材作成|予習編』
『iPad proで教材作成|印刷編』
『iPad proで教材作成|予習編−TeX環境について追記』
今後も具体的なツールを少しずつまとめていきます。
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