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ちゃんと恐れることと、PERFECT DAYSについて

一章が、一文が、一語が特別だった。
とびきり濃く苦いチョコレートをひとつぶ。
長田弘さんのエッセイ。

詩人として知られる長田弘さん。わたしの好きな詩は、『最初の質問』や『世界はうつくしいと』。ぜひ読んでみてほしい。安らかで、静かで、易しく、平凡な言葉でも、長田さんが使うとその深度が違った。本の重みが、余白が、透けるような紙の薄さが、字体が、やたらうつくしかった。いままで詩しか読んでこなかったけれど、エッセイを読んではじめてわかったことがある。この人は本の中ですごくおしゃべりだった。同じ言葉という手段を用いても、詩とエッセイは書き分けや境界があっただろう。こんなにもおしゃべりな、うつくしい言葉の使い手が、詩を書くとなったらどれだけの注意を払い、繊細に言葉を選ぶだろうか。そうやって選ばれた言葉を受け取って、安心して身を委ねる幸せ。長田さんの詩は改めて、こころを尽くして贈られたプレゼントだった。

丁寧で、おだやかで、くつろいでいて、静かに、緩やかに紡がれる長田さんの文章は、けれども優しいだけではなかった。

稽古が終わると、一台のカブトムシ、黄色いフォルクスワーゲンに、みんなで乗り込んだ。渋谷まで、深夜の道をまっすぐ突っ走って、恋文横丁の店で豚足を囓った。みんなが分け持っていた気分は一つだった。何も実現できなくても悔いはない。だがともかくも、器用に生きることだけはしたくなかった。・・・深夜の街で一台のカブトムシ、黄色いフォルクスワーゲンに押しあいへしあいしあった七人は、あれから一人は癌で早すぎる死を死に、一人はふっつりと消息を絶ち、一人は生まれてきた重度障害児をかかえ、一人は突然網膜をやられ、一人は離婚して結婚して別居し、次々に近しい人を失くした一人は、夢を仮想現実に移し、もう一人は酒に足をとられて、病魔に襲われ、この世を早々と去っていった。・・・けれども、いまでも胸の底に、かつての問いが答えなくのこっている。──あれから、何も実現できなくても悔いはない人生の時間を送ったか。おたがい、器用に生きることはしない生き方をまもったか。

長田弘『わたしの好きな孤独』より

背筋が伸びた。胸をぎゅっと掴まれた気がした。この人の強さや優しさの理由を垣間見た気がした。生きた時代が違うし、当時の若者がどんな気分を共有していたかはわからない。でも、きれいごとばかりでは生きられなかったであろう時代。自分にも人にも、正面から、とても慎重に、真剣に、厳しく、鋭く、気高かった。ちゃんとこわかった。

日常で使う言葉と、詩人が使う言葉。前に書いた皿と同じことだけれど、そこには大きな違いがある。ただその形をしていれば良いものと、素材から美しいもの。わたしは日常に使う言葉の延長で文章を書いて、それにエッセイと簡単に名前をつけてしまうけれど、それはゴッホの絵を見て自分でも描けると、つまらない感想を言う人と何が違うだろう。言葉なんて誰でも使える。本当にそうだろうか。誰にでも使えるからこそ、作品とそれ以外のものとは明確な差があると気づきはじめたのは最近のこと。エッセイは日記や感想文とは違う。書けるようになりたくて、書き方を学ぶため、読めば読むほど、書くことが怖くなった。
ゴッホの絵を見て自分でも描けそうと言わないのは、絵の価値や意味がわかるのではなく、そのときその感想が適切でないことがわかっているだけだ。

敬意を持つこと。ちゃんと恐れること。


PERFECT DAYSについて

映画『PERFECT DAYS』観ましたか。わたしはやっと観ました。年に二、三回映画館に行く程度なので評することはできないけれど、すごくすごくよかった。
以下わたしの解釈と印象に残ったシーン。
規則正しく目覚め、毎日同じルーティンを繰り返す様子は機械的だけれど、人を嫌って避けることはしない。むしろおもしろがる。
来るもの拒まず。
ルーティンを簡単に崩すことができる。
ミニマリストではない。
不器用というわけでもない。
モテる。
心が揺れることもある。怒れるときも、むしゃくしゃするときもある。
自分の与り知らぬところで世界が動いている。
朝は必ずすべての可能性に満ちている。
空を見上げる。
自分の力でどうにもならないことに揺らがない。限度を知っている。
平山個人の心境は語られないので、飄々としているようで、すべてをひっくるめて、エンディングのシーンの表情。

この映画に、賛否あることを知っている。特に批判的な感想を持つには、知識を持っていないといけない。わたしがこの映画を観てうつくしいなあと感じるのは、いけないことなのかなと思ってしまう。単に知識がないからではないかと。
でも、眠くなること、批判的な意見を持たれうること、うつくしい瞬間、すべてこの映画が内包するというか、含有する性質なら、そう思うのも間違いじゃないよね〜とも思う。なんだか、のんびり生きてたらいきなり頰をひっぱたかれて、あなたはこ〜んなにも損してますよ!と指折り数えられて、一緒に戦いましょう!と言わんばかりの社会活動家に、出会ってしまった気分。だが無関心がいちばんの敵になることも薄々自覚しているからタチが悪い。
一つの感想を持つにも、スタンスを決めるにも、考えすぎる。

でもいい。
わたしは、この人に笑いかける世界であれ〜と願うのだ。

おわり

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