鳥を掬う
いつだっただろう、受験のとき。受験なんて人生で二回しかしていないから、どちらかというと高校受験だろう。いや、定期テストかもしれない。
なにかしらのテストが始まる直前、勉強道具をしまう前に最後の悪あがきをする時間。そこで、わたしは秘密兵器として一つの漢字を覚えた。ごまんとあるなかで、その漢字がわたしに合図した。こいつ、ぜったい、出るぞ。この漢字を読めるかどうか、書けるかどうかが勝敗につながるだろう。わたしがわかる問題なんてみんなもわかるに決まっている。わたしはさっきまでこれがわからなかった、けれど、最後のひと足掻きでこれを覚えた。机の上には筆記用具しか残せない。あとは頭の中の記憶を、新鮮なうちに解答用紙にポロポロと落としておくだけだ。直前に入れた記憶は、なぜだかポロポロしていて、ずっと抱えきれないような気がした。問題を見るより先に、わたしは隅にちいさくその文字をメモした。
いまでもたまに確認するみたいに思い出して、これがわたしとあなたの人生の違いとなって、大きな影響を及ぼすのですよ、という気持ちで生きている。役に立ったことはまだないが、いつか最終兵器のように取り出して、ここぞという場面で、キメたい。
「補填」
本にまつわる愉しみ
「わたし本は買わないようにしているんだよね、いつも図書館で借りてる。たくさん本があればいいんだけど、絶対数が少ないから、一冊いっさつの本の存在感が、重く感じて。それに、そのときどきの気分で選ぶから、やけに暗い本とか、やけに明るい本が家にあると、気まずいというか。都合が悪いんだよね。」
‥ああ、またガチガチの持論を繰り出してしまった。しかも、相手をすこし納得させられるような、自分を言いくるめるような。
けれどこれは人間として圧倒的につまらなく、文化的に貧しく、その裏にあるのは金欠なのだから、この持論を持ち出せば持ち出すほど虚しい気持ちにさせた。相手は親しくしてくれるサークルの後輩の女の子だった。彼女はおそらく読書家で、博識で、知識欲があって、本をたくさん持っていた。茨木のり子さんの文庫本と彫りたての仏をバッグからひょいと出して見せてくれる、わたしの想像の及ばないあらゆることを経験済みだというような、そんな雰囲気をまとった女の子。
わたしはほんものが好きなのだと思う。ほんものは長く続くもの。それだからかデビューする前のオーディション番組は見られないし、百均やガチャガチャで物を買うことも、めっきりなくなった。自分の中で部屋の中で、そのものが居心地が悪そうで、わたしも気まずい。気分が変わったときに部屋にあって都合の悪いものは、簡単に買わなくなった。蚤の市に二日連続で行っても、食べ物以外はお金を払わないほどの財布の紐の堅さっぷり。それがいいなと思うときと嫌になるときが、ちょうど半分はんぶん。
グラノーラ屋さん兼古本屋さん、そんな空想の中でしか存在しないようなお店が、お気に入りの喫茶店の近くにある。いつもより早く喫茶店の席を立った日は、なんとなくそのお店に向かうのがルーティンになりつつある。そこは本の国。一冊の本のような店なのだ。ジャンルごとに分かれた本棚は、そのお店にあるという点で共通し、純文学もレシピ本も社会問題に関する本も、居心地が良さそうにそこに収まっていた。
300円の『東京ヒゴロ』の一巻と、江國香織さんの100円のエッセイを抱えていた。財布の紐は堅いくせに100円とかで買える本には弱いのだ。しばらくうろうろしていると、テーブルに積まれた本の中に、村上春樹さんの『街とその不確かな壁』がポンと置かれているのが目に入った。裏見返しに鉛筆で書かれているのは、700。帯はないけれどきれい。3000円弱する本が700円で手に入る。この本が半永久的にわたしの部屋にある生活が始まるのだ。ああ、でも、いや、でも──買おう。それまで抱えていた本は棚にもどした。映画『Perfect Days』で役所広司さんと古本屋の店主が本と代金のやり取りをするシーンが好きだ。本を棚に置く。「700円」。小銭でぴったり700円渡す。「ありがとうございます」。「ありがとうございます」。本を受け取る。カウンターを挟んだ、その無駄のない交換が儀式のようで気持ちがよかった。ふと、その本は無口な店主さんが新品で買って読んで、そこに置いたのではないかという思いがよぎった。見守るように本の行方を追っているように感じたのだ。鼻を近づけてパラパラとすると、焼きたてのグラノーラの香りがするのだった。
薄くぷっくりしたタイトルと著者名を見つめる。触ってもさわっても指の跡がつかない表紙を撫でる。表紙から物語がはじまるまで、紙が贅沢に使われていてなんどもめくることができる。一行目を読んで、いやまだちょっと準備が、と逃げ出して後ろ手でドアを閉めるように本を閉じる。
そう、この本を買うとき背中を押したのは、本は本であるというだけでまずかっこいいといい本を眺め回す又吉さんの姿勢と、そして冒頭のわたしの発言に対する、喫茶店での後輩の女の子の「わたしも読めていない本がたくさんあります、でもまだ読んだことのない、おもしろい物語が自分の部屋にあるのは、それだけで安心しませんか」という言葉だった。いつのまにかグラノーラの香りが消えている。読みごろだ。
鳥を掬う
セミが死んでいる。昼下がりの路上で、アパートの玄関で、駅のホームで。
三秒くらい、頭の中で思い浮かべる。わたしの思う楽園のような場所で、そのセミが元気よく飛び回って、もう一度ミインミインと鳴く。足を止めたり、目を瞑ったりするのではない、ただ思い浮かべる。
いつからか、死んでしまった虫や動物に遭遇したときにそうやって楽園に飛ばせたり遊ばせたりするのが習慣になっていた。わたしにとっての供養だ。いつかやらなくなるだろうか。寝る前に怖い夢を見ませんようにいい夢が見られますようにと毎晩窓から空を見上げたり、定期テストの解答用紙が配られるとき、今まで関わってくれた全ての人、神様仏様、わたしにひらめきを授けてください、と祈ったり、しなくなったように。
死んでしまった動物というと、思い出すのは小学生の下校中のときのことだ。小学生の時、家が近いもの同士で通学団が編成され、その通学団は決められた場所で集合し、登下校した。わたしの家は通学団の中でも学校寄りのところにあったが、登校するときはわざわざ学校から遠ざかる方面にある集合場所まで行き、下校時は家の前を素通りして集合場所までみんなとともに行ってから、家まで帰った。大人になったいまでは歩いて五分くらいの距離にある場所だが、小学生の時はそれがめちゃくちゃ遠く感じ、苦痛で、いやだった。でも通学団の誰かに、家が近いからって早く帰るなんてずるい、とかなんとか言われたのだろうか。ただでさえ歩いて30分以上かかる小学校に通っていたが、義務感でさらに遠くまで歩いて帰る日々だった。いや、誰にも求められていなかったかもしれない。なのにやらされている気分で、勝手にイライラしていたような気がする。
五年生の、ある春の日の、昼下がり。集合場所でみんなと別れて、手頃な石を見るけて蹴りながら帰る、最後の曲がり角──‥‥ここはかなり脚色をくわえた。学年も季節もあやふやだし、石は高頻度で蹴りながら帰ったけれど、その日もそうだったかはわからない。けれど場所は正確に覚えている。最後の曲がり角に差し掛かる前で、ちいさな鳥が、文字通り ぽとりと落ちていた。しゃがみこむと、目を閉じ羽を閉じ、やわらかくそこに横たわっているのを感じた。傷はなく、流血もなく、虫たちにも気づかれず、怖がる要素は何一つなかった。うつくしかった。しばらくの間見つめ、手を合わせた。今思えば微笑ましい小学生の姿だけれど、その時は大人っぽい振る舞いをしているような気分だった、気がする。立ち上がって歩き始めた。だけど、あの鳥は、どうなってしまうのだろう。コンクリートの上で腐敗し、朽ち果ててしまうのだろうか。いや違う、といまならわかる。そこに居合わせた全ての動物の餌となり植物の肥料となり、そうやって循環するのだ。しかしその時は、わたしがどうにかしないとという思いで頭がいっぱいになった。わたしは鳥にうつくしいまま、いてほしかったのかもしれない。鳥の元に戻った。変わらずそこにいた。わたしは両手でそれをすくうように持ち上げると、角を曲がって家までの一本道を走った。ふわふわとやわらかく、走ると首のつなぎ目が頼りなく揺れ、壊れそうだった。まだあたたかかった。いまのいままで生きていたいのちのあたたかさ。
家には小さな庭があって、大きな木が植わっている。
母は専業主婦なので、帰るといつも家にいてくれた(このことも今となっては自分の人格において何かしらの影響があると思う)。お母さんを呼んでこないと、と考えながら走った。そうして家に着くと、母は庭にいたのだった。ポストを見にきたのだろうか、草むしりをしていたのだろうか、思い出せないが、とにかくわたしは半泣き笑いのような表情で手を突き出した。何もうまく言えなかった。母はまあ! とすこし驚いた顔をして、でもなんだかうれしそうに笑って、木の下に埋めてあげなきゃね、とスコップを持ってきてくれた。大きめの穴を掘って、そこにいる虫たちをみんな起こして、鳥を横たえた。結局はコンクリートの上にいても土の中にいても、同じようになにかの栄養になるのだ、と思った。けれど、土の中で眠ってくれる方が、うつくしい鳥には似つかわしいような気がした。亡くなったばかりだろうね、電線の上にとまっていて、眠るように亡くなったんだろうね、と母は一緒に手を合わせてくれた。
動物が目の前で死んでいると、なんだか試されているような気がする。今となっては、死んだ鳥を素手で掴み上げるなんてそんな、と考えて、同じことはできないし、しないだろう。しかし正確に思い出すのは、鳥のやわらかな手触りと、偶然母が外にいて、言葉を交わすまでもなく、わたしを理解してくれた日のこと。
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