価値観の変容~鬼滅の刃を読んで~


#マンガ感想文

※写真はシステムを通してお借りしています。

9月某日、妹とメディアの影響で鬼滅の刃を動画サイトで見始めた。


「面白いけどダークファンタジーだし、登場人物死んじゃうんだよね。私の推しも初っ端に死んじゃったし…」


鬼滅の刃の内容を聞く度、妹はそう言っていた。だから元々読む気はなかった。しかし体調不良や過重労働で会社を退職し休養している時、あまりにも暇すぎたので、Netflixで鬼滅の刃を見始めた。

最初の2話はあまりにも悲しすぎるし暗すぎた。でも、なぜか次の話を見たくなる。そうしているうちに2日間で放送されたアニメ26話を一気に見終え、妹からマンガを借りて全部読み、終いには10月に映画まで見に行くほどドはまりした。

「面白い」そう思うと同時に、大正時代と令和現在の価値観について大きく考えさせられた。

「俺は長男だから」

作中、主人公である炭治郎がよく口にする言葉だ。「長男だから我慢できた」「長男だから頑張るんだ」と辛いことや困難に直面した時、決まってと言っていいほどいう。

令和の時代を生きる私からすると、違和感を感じる。長男は関係ないのではないかと。だが、同時に大正時代は一家の長男に課される負担やプレッシャーは大きかったのではないかと考えさせられる。

炭治郎に限らず、他の登場人物の台詞にもそのような価値観の違いを感じるときがある。例えば、風柱・不死川実弥が弟は家族を持って普通の暮らしを送る事を望む姿や、恋柱・甘露寺蜜璃が入隊した理由が自分を守ってくれる殿方を見つけるためである事。

今の時代では珍しい考え方かもしれない。だけど、大正時代を背景とした鬼滅の刃を見ると、若い年から結婚などを視野に入れている事から、現代の価値観は大きく異なる事がうかがえる。

また一方で今の時代は老若男女問わず個人の自律や主体性が求められるためか、他人に頼る事が難しい。また、結婚を目標としている人が少なくなってきている事から簡単に「結婚したい」「家庭を持ちたい」と言いにくくなっている。だから見方によっては、鬼滅の刃の時代がある意味羨ましくも見える。

週刊誌や一部メディアでは、「フェミニストが怒っている」や「鬼滅の刃を読んでいるとプレッシャーに感じる」という内容の記事を出している。しかし、私としては鬼滅の刃から当時の価値観を学び、変わるべき価値観を見つけ現代に合う価値観を作り出し、過ごしやすい社会を築いていくことが大切だと思う。同時に当時の文化や慣習の長所も取り入れるべきだとも思う。

鬼滅の刃は、よく「家族への愛」や「やさしさ」について語られたり評価されることが多い。だがもう一歩踏み込んで、大正時代の価値観を上手く表現しており今後の社会の課題を見出す道しるべのような作品であるとも考えられると思った。

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