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帰国子女が直面する困難と乗り越えた先に広がる世界について

今日は私の海外(アメリカ)での経験を軸に、帰国子女としてどういった困難を経験し、それをどう乗り越えたのか、そしてその先にどういった世界が広がったのか、を考察していきます。海外に興味がある方や、これから海外に行く予定の方に少しでもご参考になれば幸いです。


海外に出ない人が最近少ないと聞くけれど…

私は今回4度目のアメリカ滞在中ですが、過去に、自分の意志とは関係なくアメリカに渡る機会が2度ほどありました。
自分の意志で渡米した時間を含めると10年以上アメリカに住み、英語はアメリカ人に「なんでそんなに流暢なの?」と聞かれるくらい喋れるようになりました。

今回は渡米した経験のうち、自分の意志とは関係なくアメリカに渡った際に、私が直面した困難とその時の心境、そして、それらをどう乗り越えたか、を振り返ってみたいと思います。

何気ない「帰国子女でいいね」というコメント

日本では「帰国子女でいいね。」と言われたことが幾度となくあります。「英語で何か喋って?」というのもよく聞かれました。
相手は何も考えず、純粋に「英語が喋れて良いね。」とか、「海外に行ける機会があって良いね。」とか、そういった意味で言っていたと思うのですが、私自身はそういったコメントはあまり好きではありませんでした。

なぜなら、自分のアメリカ(と帰国後の日本)での苦しい経験がすべてなかったかのような、そういったところをまったく聞くこともなく、つまり、私のことをまったく理解してくれていない、そんな気がして、どんなに相手が近い友達であろうと、良い気持ちはしなかったんです。また、幼少期は父親の都合(仕事)で海外に引っ越しせざるを得ず、繰り返しになりますが、自分の意志で海外に行きたい、とは一度も思ったことがありませんでした。

辛かったことは大きく分けると2つあります。更にそれらの結果、大きな辛い経験を1つしました。

  • ひとつは言語習得。

  • もうひとつは新しい環境(文化含む)への適応。

  • 最後は、「アイデンティティ・クライシス」です。

最初のふたつは想像できると思いますが、最後は経験者しか知りえないことかもしれません。ひとつずつ振り返ってみます。

1.言語習得

英語を習得するのにどれだけ大変だったかというと、私は3~5歳で身に付いていたはずの英語力も一度帰国したので忘れてしまい、Yes/Noと簡単な挨拶くらいしか言えませんでした。

英語の授業中はESL(English as a Second Language)という、母語が英語以外の生徒の集まる教室に入れられ、算数は日本のほうが進んでいたので簡単でしたが、その他の授業は基本的にみんなと一緒、授業はもちろんすべて英語で行われます。また、アメリカでは授業中の発言が非常に重要で、手を積極的に挙げて意見を言うことで成績があがります。そのため、小学校4年生まで日本で成績優秀だった私でも、現地校に放りこまれると成績がCから始まりました。

学校から帰ると母親がつきっきりで、毎日の宿題を手伝ってくれました。母も英語は中学英語レベルでほとんど喋れなかったのですが、分厚い教科書を辞書をひきながら(当時は紙、あっても電子辞書)一緒に解読してくれ、一緒に勉強しました。正確な期間は忘れましたが、半年ほどで聞き取り、1年ほどで言葉が出てくるようになったでしょうか。その後は、何年もの努力が実を結び、中学生になるとストレートA(=オールA)をとれるようになり、更にアメリカ人に負けず積極的に手を挙げ発言するようになり、A++という高得点(ストレートA+以上)をとり、学年数人ほどの最優秀成績者に選ばれて卒業することができました。

それ以外にも、土曜日は中学校までは日本人学校、そして小学校高学年からは塾通いもしました。塾では日本語のカリキュラムに沿った内容を、日本人ならば毎日学校で通って習うことをぎゅっと週1でこなしていきます。なぜなら、高校受験が待っているからです。帰国子女枠の入試に向けて、中学生くらいから真剣に模擬テストを受けていました。中学になると語学は逆転(英語のほうが喋れる)していたため、数学と英語は問題なかったものの、国語や作文(帰国子女入試の際は作文が出る学校があります)が、本当に辛かったのを覚えています。私は洋書でファンタシーばかり読んでいて、現実的な発想力も乏しかったので、「(超空想世界かつ日本語も意味が分からない)小学生の作文?」と笑われてしまうこともありました(今思えば仕方ありません…)。

また、日本の高校を受験するには日本認定の中学を卒業していないといけないという謎の条件があり、最後の半年(アメリカの卒業式は6月なので、夏から翌年の春まで)は、現地校ではなく日本人学校へ移りました。この期間はお友達もできとても楽しかったものの、勉強のためというよりは、高校受験をするためだったので、本心としては現地校のお友達とハイスクールに通いたかったという心残りがあります。

とにかく、英語と日本語の両方を維持するのは本当に大変でした。(維持できていませんでした…!)

2.新しい環境(文化含む)への適応

こちらは、日本とアメリカを行き来する中、どちらの国でも経験をすることです。特に多感な幼少期と思春期を考えると、私は4度経験していることになります。

1回目は3歳だったので、正直覚えていませんが、外国人に対する抵抗はなかったのと、日本語以外の言語がある、ということを幼い頃から知ることができたと思っています。

2回目は、渡米1回目の帰国後(幼稚園の年長)、小学校に入学してすぐでした。実は小学校2年生頃に少しいじめられた時期がありました。仲良くしていたと思っていた、ちょっとクラスでも目立つお友達の数人から無視をされる、ということがありました。私は結構、気が強かったので「無視されるなら、私もとことん無視して、他の子たちと遊ぼう。全然悲しくないように振舞おう。」と強がっていました。本当はすごくすごく寂しかったし、ショックでした。

なぜいじめられたかは定かではないのですが、おそらく、私がアメリカ帰りで、素直に自分の意見を主張する子だったから、と思っています。仲良い男の子には恥ずかしがりもせずに声をかけるし、細かいことをあまり気にしないので誰にでも良い顔をしてしまうし、がり勉感はないけれど成績は良く、なんというか、傍から見ても、「何あの子、調子乗っちゃって。」という感じだったのかもしれません。真相はわかりませんが、「海外帰り」ということ自体、常に嫉妬されていたのかもしれません。

その時、小学校低学年ながら、私は初めて、「日本人なのにアメリカ帰りの自分の振る舞いが他の子とちょっと違うんだ」ということを肌で感じ、とても苦しかったけれど、同時に仲間はずれにされたことが本当に嫌だったので、このような嫌な思いは、他の子には絶対にしない、と強く思うようになりました。そこが私の、誰にでも同じように接するという原点でした。

3回目の渡米の際(小学校4年生)には、同級生に気になる男の子はいたし、大好きなお友達もいたし、ようやく本当に仲の良いグループで楽しく学校通いができていた、そんな頃でした。突然、休日に家のリビングに呼び出され、「またアメリカに行くよ」と父から言われたことをいまだに覚えています。その時の私は「そうなんだ。(仕事だから仕方がないし、家族だからついていくしかないよね。)」と当然のように答えたのを覚えています。それでも、飛行機では親の横に座りながら、涙をひっそりと浮かべていました。まだその頃は、eメールを出すのにもお金がかかる時代でした。ぴーひょろろろろろっという通信音の後に、家電から国際電話をしたり、手書きFAXを送ったり、そんな時代で、いまのようにテレビ電話なんかありません。渡米間もない頃は、毎晩寝る前に暗い天井を見つめながら「あの子はどうしているかなぁ。この子はどうしているかなぁ。」と仲良かったお友達のことを考えては、少し寂しくなっていたのを覚えています。

4回目の帰国は高校生でした。多感な時期だったので、一番つらかったかもしれません。アメリカでは子どもが一人で外を歩くことは危険(どこで誘拐されるかわからない)なので、どこへ行くにも基本的に親と一緒に行動をします。そもそも車がないと近所のお友達の家以外はどこへも行けないし、子どもだけの留守番も禁止されていました。反対に、日本の都会の子どもは一人で電車に乗って出掛けることもできるし、可愛い雑貨屋さんもたくさんあるし、制服は着れるし…と、アメリカにはないことに対する憧れがありました。

それでも、高校が始まると授業中は誰一人発言しない受け身スタイルで丸暗記のテストといった教育システムに慣れず、日本語も遅れていたので授業についていくことが難しくなり、本当に大変でした。勉強がつまらなくなり、日本の都会や遊びを知ることに時間を費やし、お友達を作るのに必死で、「自分」についてじっくりと考える間もなく、ふらふらと色々なことに気を取られ、時間を過ごしていた気がします。いま時間を戻せるとしたら、「自分を大切にしてね」と言ってあげたいです。

ただ、高校時代のお友達は素晴らしい才能あふれた人たちばかりで、一生尊敬するお友達もたくさんいるので、私にとってはかけがえのない時間でした。

アイデンティティ・クライシス!

高校時代の経験からわかるとおり、私は「自分を見失って」しまったのです。人によると思いますが、私は日本とアメリカのどちらにも適応したい、与えられた環境に慣れて楽しみたい、と強く思うタイプでした。その適応力をつけることで、自分は満足していたのです。適応力は抜群だったので、傍から見れば、まったく何の問題も悩みもないように見えたかもしれません。でも知らず知らずのうちに無理をして、自分についてあまり考えずに、周りの環境に適応しようと周りに流され、時間を過ごせば過ごすほど、「私は誰なんだ?」というアイデンティティ・クライシスに陥ってしまったのでした。誰にも気付いてもらえなかったので、人生で一番つらかった時期かもしれません。

自分を見つめなおす機会と似たような人たちに囲まれ落ち着いた大学時代

※自分で選択をしていく授業システム

そんなこともあり、浪人をしながら自分を見つめなおしたのですが、大学では高校と違い、自分の興味のある授業をとることができ、そのため、一人で行動する時間も増えました。もちろんサークル等で友人も作ったり、他の人たちと一緒に色々な活動もしていたのですが、自分時間が高校時代よりも多くとれたのは事実です。そのため、自分の好きなことに打ち込む時間も増え、私はイキイキとしていた気がします。

※帰国子女や海外が大好きな人たちのいる環境に恵まれる

また、大学では帰国子女や海外にとても興味のある友人たちにたくさん恵まれました。結婚相手は絶対に海外志向の人が良いと思っていた私ですが、夫に出会ったのも大学です。やはり自分の経験してきたことを共有できたり、興味を持ってくれる人が多くいることは、居心地の良さに繋がると思います。高校時代は帰国生はいたのですが、アメリカ以外も多く、また、日本に馴染むことばかり考えていたので、なかなか自分の経験をさらけ出せていなかったのかも…と思っています。

日本とアメリカでの困難を乗り越えた先に…

困難はたくさんありましたが、これらを乗り越えて、私は下記の能力や考え方を身に付けることができたと思っています:

◆誰にでも同じように接すること

偏見や○○だからという色眼鏡が嫌いです。なぜなら、私も「日本人」や「帰国子女」と言ったマイノリティー(少数派)扱いを受けたことがあり、目にしたことがあり、不快な気分になったことがあるからです。自分にはどうにもできないバックグラウンド・素質・境遇について、他人に同じようなネガティブ感情を持ってほしくないと思っています。バックグラウンド・素質・境遇とは、国籍やルーツ、男女等の性別、外見、経歴、年齢、性格、居住地、社会的ステータス等のすべてを指しています。DE&Iという言葉が何年か前から流行っていますが、これは偏見をなくせばなくなると思っています。だって、人間はみんな違うんだから。この話は長くなるのでいつか。

◆他人の強みを見つけ出し、それを敬い、謙虚になること

人間だれしも得意不得意があります。どんな人にも強みはある、と思っていて、その人の強みを見つけると自分がどんなに特定の分野で優れていたとしても謙虚になれます。また、謙虚になれるということは「自分はまだまだ」と思うことと等しく、自己成長にも繋がると思っています。特に子どもの頃に東海岸に住んだ経験から、世界の第一線の人たちが集まるニューヨークでビジネスや音楽等のあらゆる分野で活躍する方を多く見てきたので、どのような分野でも「上には上がいる」と意識するようになりました。

◆英語習得は自分の世界を広げる手段であること

日本という国を超えた世界について、英語で知ることができます。例えば新聞、例えば著名人の言葉。英語圏の人たちの考えていることを原文または発言そのまま理解することができます。特に英語は世界で最も話者の多い言葉です。つまり学術的な専門書や最先端の研究などは英語で先に出ていることが多く、情報の早い世界では英語は武器になります。また、単純に、母国語以外の言語を習得することは、その文化を知ることでもあり、自分の世界が2倍になるということだと信じています。

◆日本とアメリカの両方を客観的に見ること

それぞれの国を外から見る目を養うことができました。日本とアメリカも、双方ともに良いところ、悪いところ、があり一概にどちらかが良い、どちらに住みたい、と言えません。こういった視点を養えたため、何事にも両面があると思えるようになりました。また、人や場所により見方が違うということを知ると、もっと他の視点を知りたくなります。好奇心や探求心、そして自己成長する意欲も芽生えた、とも言えます。

自分のcomfort zoneを出ることの勧め

上記で紹介したような能力や考え方は私が身に付けたものの一部、です。他にも思いついたものがあれば今後もご紹介していきたいと思っています。もちろん自分のcomfort(安心する)zone(場所)から出ない、という選択肢もありますが、一歩外に踏み出すことをお勧めします。

また、以前の記事でも紹介した通り、はじめは怖いけれど楽しくなることもありますし、自分の世界は絶対に広がると思っています。

多角的な視点を持ちながら、自分を客観的に見れるようになると、自分が本当に欲しいものは何か、が少し見えてきます。

そして自分の今あるものを更に伸ばしていきたい…ちょっと、ストレッチしてみようかな、と常に前向きな気持ちでいられるようになります。

ストレッチは身体のストレッチと同じで、最初は使っていなかった筋肉が痛いけれど、何度も繰り返していくと痛くなくなるのです。

長くなりましたが、是非、海外へ目をむけてみることをお勧めします。

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yayko@アメリカ🇺🇸【海外/子育て/帰国子女】
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