不争之徳
本日の言葉。
「私にとって幸せというものは、
内的な深い平和を意味しています」
(マザー・テレサ)
「不争之徳」の意味
人と争わないという人格。
「不争」は人と争いをしないこと。
「徳」は立派な人格。
本当に強い人は争わず、戦わず、人を使うことがうまい人は、人に謙るということです。
老子が説いた言葉です。
老子は、中国春秋時代での道家における哲学者です。
道家思想の基礎は、道(タオ)です。
人や物が通るべきところであり、宇宙自然の普遍的法則や根元的実在、道徳的な規範、美や真実の根元などを広く意味する言葉です。
人と争うとどうなるか?
お互いに疲弊と憎しみを生みます。
歴史上の戦争・紛争を振り返ってみてください。
戦争は、国規模で行う大規模な殺人行為です。
多くの人々が、戦争で心身共に傷つき、自分や愛する人たちを殺されてしまう悲惨な状況を経験せざる負えなくなるのです。
戦争後、国家は荒廃し、さらに対戦した国や人々に憎しみを抱くようになるのです。
たとえ、個人そのものは普通の人なのに、その国の出身ということだけで、許せなくなるのです。
生きていれば、誰でも大なり小なり、人間同士のいざこざを経験します。
いざこざを経験して、心の中に遺恨を残すことは多いでしょう。
残念ながら、人間というものは嬉しいことよりも、嫌な思い出のほうが心の中に残りやすいものです。
恨みをもつ人間を「赦す(ゆるす)」ことは、難しいのです。
だから、人と争うのは不徳なのです。
争わずに人生を穏便に生きるコツ
1 2番または3番手のポジションで満足する
組織にいると、複数人、野心家がいるものです。
学閥や職種などで、取るに足らない優劣をつけ、自分自身を優位に立たせることをしちゃう人がなんと多いことか・・・。
自分の同期をライバル視して、熾烈な出世競争をしてトップの地位を得たとしても、失うものもまた大きいと思います。
失うもの、それは、自分の健康だったり、仕事中心主義により家族と不仲となり家族を失ったりするケースがあります。
さらに、周囲の人たちを敵対視したツケがきて
最終的に孤独になる人が多いです。
トップになるために、膨大な労力を使って、くたびれ損の人生を生きるよりも、程々の労力で、2、3番目位を目指したほうが気楽に生きられるかなと思います。
2 譲る
私は、相手から喧嘩を吹っかけられるケースが多いので、表面上、相手のペースに合わせるようにします。
喧嘩は、時間と労力の無駄遣いだからです。
相手のペースばかり合わせていては、仕事や物事が進まないので、相手にかち合わないようタイミングをずらしたり、物理的距離をあえてとったりしますね。
3 相手や状況を観察し、戦略を立てる
人間だれしも行動パターンを持っています。
特にかかわりが長くなればなるほど、個人本来の姿、つまり、地が出てくるようになるんですよね。
人によっては、不機嫌になる時間帯やケースがおおむね決まっている場合もあります。
どうしても、業務上、情緒不安定な人と関わらざるを得ない時は、比較的感情が安定している時に合うようにしています。
上機嫌な時は、その人にとって無理げーなことを言うこともありますね。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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