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大学生のレポート:美について

どうも、毎回恒例「大学生のレポート」シリーズでございます。では早速内容に入っていきますよろしくお願いします!

漠然とし過ぎたテーマで、レポートとしては相応しくないのは重々承知だが、この題とする。先生がレポートに求める、「自分なりの考え」を文章で伝えるには、これくらい幅があってかつ、細部まで突っ込まないテーマの方が「らしさ」が伝わると考えて、この題を設定した。タイトルで間口を広く取れば、そこからは思いつきの掛け算で展開が広がっていく。この文章で、一番の伝えたいメッセージは、「美」それ自体には思う以上に揺らぎがあり、はっきりしない多義的な概念であるということだ。

美は多種多様

美と言っても本当に千差満別で、曖昧な概念だ。人によって何を美しいと思うか、何を持って美とするかの基準がバラバラなのだから、画一的な美しさというのは存在しない。

だが、世の中一般に「美しい」と言われるモノはたくさんある。雄大な山並み。ビルが立ち並ぶ都会の夜景。そこらへんに生えている花。植物園に展示されている植物。幻想的な光を捉えた写真。シンプルなカフェの内装。帰り道、ふと視線を上げるとそこにある夕暮れ時の空。いくつかパッと思い浮かんだものを列挙してみたが、これらはどれも笠井康弘の思う「美しい」の一部に過ぎない。美しさは、視覚的なものだけではなく、音なども含む。そして、時には富や名声といったステータスも、関係してくる。

「美しい」から連想するものの羅列には、無限のパターンがある。思い浮かべる順序、内容、具体性など、「差別化要素」が多過ぎる。Y字の枝分かれが、果てしなく掛け算されていくイメージだ。主観と客観も、美のパターンを増大させる大きな要因だ。

美の普遍性

「一般的に美しいもの」の話に戻る。先に述べたように、この世に同じ美の観念を持った人は存在しないはずなのに、なぜか一般化された美しさがこの世にはある。それは、美の基準、認知のための指標が植え付けられるからだ。

人は生まれた瞬間から、親を始めとする自分の周りの環境からその観念を学んでいく。尖った言い方をすれば、価値観を押し付けられる。お片付けがいい例だ。大人は大人の都合で部屋を「綺麗に」保ちたい。整然とモノを並べておきたいというのは、大人の都合だ。次にモノを使う時に取り出しやすいから、などといった「合理性」と美しさの一つである「整っている状態」と深い関係性がありそうだ。

この観点から言えば、「美」には存在価値が間違いなくある。「美」があることによって人間の暮らしはより良く、豊かになっている。合理性の議論を続けると、効率に執着した冷淡な結論に辿り着いてしまいそうな気がするが。

美と人間の本能

美は精神面でも多大な影響力を持つ。美術館を訪れ、芸術家の美的価値観の理解に苦しみながらも、自分なりの解釈に落ち着くことができれば、最終的には刺激的な一日が過ごせて良かったと感じることが出来る。なぜこれで満足出来るのかという問いに答えるのはとても難しいが、強いて言うなら「視点が広がる」からだ。

画家による、自分では想像もしたことのなかった景色の描き方を見て、その視点を心得ることが出来れば、世界を楽しく見つめる方法が一つ増える。自分の手札が増えること、それが、芸術鑑賞の満足感の正体の一つだろう。

人間は、知ることを楽しめる。知的好奇心に突き動かされて、生きていくために知識を仕入れる。脳内で「知ること」と「楽しさ」は紐付けられている。苦しまずとも、楽しみながら新しい情報を入手できるような脳内構造に進化してきたとも考えられる。

今となれば街のどこでも簡単に食べ物が手に入るが、採集時代に遡れば、食べられる植物の分布や見た目などの知識がないと食べ物にはありつけなかった。情報はあればあるほど有利だ。道具で調理が出来るようになった時代でも、道具の使い方をたくさん知っていれば、より豊かに食事を楽しめる。これは、現代においても全く同じ理屈だ。アプリでもサイトでも、それらの情報収集手段を駆使することができれば、より美味しい食べ物に迷いなくありつける。

視点が広がり、新しい情報に出会えるということに、人類は共通して胸をときめかせる。人間の動物としての「生きること」と「美」は結びつく。

進化論的心理学の観点から、John Tooby , Leda Cosmidesは、普遍的な人間本性の存在を肯定している。人間精神の進化した構造は、洪積世の狩猟採集民の生活様式に合わせて形成されるという。

人類の生きる術としての「美」においての重要な要素として、左右対称などの「対称性」が挙げられる。生物の発達の異常は非対称性を伴うことから、個体の健康状態や若さと成熟度合いの指標とされる。生物の種の存続という観点において、「美」は一役買っている。

美と自己防衛

人間の生物的な本能と、美を結びつけて考えてみた。そう考えると、「美」とは、かなり普遍的で確立された概念のように思えるが、都合よく使われる概念でもある。目の前にそびえ立つ岩壁を思い浮かべると、そこから換気される感情は、恐怖だ。だが、岩壁と言われて一般的に想像するのは、目の前に切り立つ様子ではなく、一歩引いて見た画だろう。それに、人間は「美しい自然」という解釈を加える。自分を圧倒するものへの恐怖を変換している。人間の力ではどうにもならないような、崇高な存在に「美」という概念を用いることで対処している。手に負えないようなモノと対面した時が、この手法の出番だ。

ピカソのキュビスム(幾何学模様みたいな絵)も、言ってしまえば凡人の自分には理解が難しい極端な作品だ。だが、社会的な権威が付与されている正当性のある美術として理解できないというのはどこか屈辱的なものだ。人間は、自分の器で物事を受け止めきれない状態に陥る事に恐れを抱いているように思う。だから、これは「美」なのだと自らに言い聞かせる。なんの準備も無しにただ受け取った内容が、自分のキャパを超えて溢れ出てしまわないように、「美」というラベルをくっつけて、自分の中で再定義を行う。生物学的に合理的でなくても、調和がなくても、「美」として分類し、それで済ませてしまう。だから、物事に圧倒されずに済む。「美」は、自己防衛の手段、あるいは困った時の万能な逃げ道としての役割をも持ち合わせる。

美は後付け

顔の美しさなどの議論の際には、黄金比率が引き合いに出される事が多い。こうした比は、自然の摂理の中で生み出された方程式に、後から理論をくっつける形で生まれてきたはずだ。

だが、ここで留意しなければならないのは、メディアなどによって描かれるイメージの影響を大きく受けているという部分だ。美しさにも変遷がある。昔の日本の女性における「美」は、顔はのっぺり、頬はふっくら、目は細くて、肌が白いといったものだった。しかし、テレビが登場した時代に、外国人が理想とされ始めた。戦前や明治初期の美人の定義は、現在とは全く異なる。言ってしまえば、たった数十年間の間にも植え付け直されてしまうほど、「美」とはいい加減な価値観なのだ。

価値が植え付けられるという文脈では、ブランド品と類似している。人は皆、美的な価値がわからないから、目利き代の代わりにブランドにお金を払う人が多くいるし、お宝鑑定番組が人気だ。美しい服にも壺にも、一定の基準は存在しない。人々は各分野の専門家たちの権威に頼りながら、たくさんある指標の中から自分が重視する要素を選び抜いて、それを土台として美的な価値を判断している。要素としては以下のような内容が考えられる。

対比

当たり前
型破り

誰が見ても美しい
個性派で異端児

整然
無造作

シンプル
複雑

主観
客観

わかりやすい
わかりにくい

美しさを定義
美しさを定義しない

宗教的(神)
俗世間的(人)

開放的(誰でも)
排他的(芸術家だけ)

理想
(皆が楽しむ、芸術のあるべき姿)
現実
(マウントの取り合い、権力闘争)

理想を願う感情表現
時代背景の反映

新しい
古い

革新的
伝統的

1から作る
(オリジナル性の追求)
Ready made
(既にある「既製品」)

西洋
(合理的、科学的、空間)
日本
(非合理的、平面、複数の視点)

具象
(リアルにわかりやすく、はっきりと)
抽象
(目に見えない感情などの表現)

写実的
(写真的なリアルさ)
キュビスム
(絵にしか出来ない、幾何学)

ルネサンス
(光、安定、調和、理想)
バロック
(光・闇、動き変化、不安定、難解)

合理的
(効率重視、満タンのコップ)
非合理的
(空白余白、波々注がいれてないコップ)

自然
人工

最後に

先生も繰り返し言っていたように、美に答えはない。有名な芸術家も、常識を打ち破った事で評価されている場合が多い。芸術は、人間の生きる上での視点を増やし、より豊かで楽しい人生を送る事を手助けしてくれる。

この授業を通して、「美」について考える機会があっただけでも、自分は世界を見るにあたっての選択肢が増えている。芸術に目もくれないで生きていくことも、生き方の一つではあると思うが、美を感じるという楽しみを心得ることで、日常のちょっとしたことにも喜びや楽しさを見出す事が出来ると思う。美、あるいは芸術を豊か生きるための手段として活用していきたい。

さいごに

朝散歩しながら編集してました(5:42)最近は卒論のことで頭が煮えそうなくらい悩んでましたが、頼れる友達、教授の助けでなんとか道が切り開けて来てます。「終わりのないマラソン」が一番しんどいので、構成をしっかり決めて、中身を肉付けしていくスタイルにすれば良いってのは冷静な自分ならわかるんだけど、焦るとダメだね。あと、卒論に全振りしないで、適度にリラックスしないとパンクする。元々ハードに頑張れるタイプじゃないから適度なご褒美が大事。今後の人生においての戒め。

最後まで読んでくださってありがとうございます、また次回のnoteでお会いできてるのを楽しみにしてますて👋

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