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新卒研修を終えて。(同期のみんなへのメッセージ?)

流れる時

4月からの新卒研修が5/31(金)で終了した。時の流れが本当に早かった。頭の中に入る情報量は相当なものだった。そして、これからもしばらくこの感覚が続くんだと思う。まだまだ社会人になったばかりで、新しいことだらけだから、当然だと思っている。

書いて記録する

ちょこちょことnoteでは最近感じていることを書き残してきた。書いていてよかったと思う。「なんだかたくさんのことが起こったけど、忘れちゃった」は自分の性格的に許せない。忘れる中にも残るものがあるのも承知だが、忘れてしまったら、もう戻って来ない。

同期や社員の皆さんとの出会い、そして交わした会話まで、良い内容ばかりだ。全部全部覚えておく必要もないし、それは無理なのは百も承知。なんだけど、それでもこうやって書いて、保険をかけておきたい。この新卒研修終了直後の気持ちだって、人生最初で最後。噛み締めていたい。そしてまた違ったタイミングで思い出して、もう一度味わいたい。

つくづく思う、自分は記録することが大好きなんだなあと。良い特性だと思っているし、記録することは大事だと思う。残さないと、積み上げられない。人間って不器用だから、頭の中で全部覚えていられなくて、何回も同じことを調べたりする。勉強したことでもすぐ忘れる。だけど、何かを自分が残していたら、またそこから始められる。ポケモンでセーブしてから電源を落とす感覚に近いかもしれない。

ちょっと話がズレたけれど、今の自分は新卒研修というチャプターで起こった出来事とか、感じた感情、そして思いをセーブしておきたい。そんな思いからnoteを書いているんだと思う。

人との繋がり観

あ、そうだ、もう一つは、同期に伝えたい思いがあるから。それを別に一人一人に直接送るかというと、そこまではしないんだけど、自分としてはそれを文字にしたい。

人間同士なんだから、お互い何考えてるかわからなくて当然だと思う。でも、分かり合えた方が、この同期との繋がり、ご縁はより素敵なものになる気がしていて。だからこんな風に自分が何を考えているのかここに書いてみている。わかりあえたらな〜っていう薄っすらとした希望から、書いている。

そもそもこの発想(111人いる同期と、全員ではないにしてもわかりあえたらいいなと思うこと)自体がちょっと世間一般からすると変わっているのか?なんて思う。僕は「人とのつながりは一回できたら一生モノ」だと思っているタイプだ。

でも、多分人によっては「人は人生の中で来ては去っていく」そう思っているんだと思う。でも、僕の感覚としては、居続けてくれる。死なない限り、去っては行かないで、一緒にこの人生とか世界を生きていく仲間で居続けてくれる。そう思っている。

仲間っていうと、仲の良い友達関係を想像するかもしれないけれど、そんなことは別になくて、共に同じ時代を生きる人々って感じでも「仲間」なんじゃないかな?と。どこから仲間で、どこから仲間じゃないみたいな話は俺的にはどうでもよくて、なんらかの形で影響しあって、助け合いながら、一緒に生きてる同じく人間だよね?と思っている。

111人いる同期みんなと、濃淡は当然あるにしても、これからも繋がっていたいし、気軽に声を掛け合って、話をしたり、助け合ったりできる仲間という関係性であり続けたい。

何人かは、最終日前日に「今でありがとうございました」的なことを言ったけど、俺はあんまりその言い方が好きになれない。過去形ってことは、もうバイバイなの?そんなに寂しいこと言うなよ。そう思っていた。

価値観は人それぞれで、俺のこの考え方に違和感を抱く人も当然いると思う。なんか腹落ちはしないけど、笠井康弘(やす)はそういう考え方なのね?と尊重してくれる仲間もきっと多いと思う。でも、俺のスタンスは開示しておきたい。

連絡と気遣い

偏見かも知れないけれど、世の中「この人とそんなに仲良くないのに連絡したらアレかな…?」とかいう話は多い気がしている。「気を遣う」ってやつだと思う。正直ここは俺の価値観的には要らない。変な気遣いをされると、俺はちょっと凹む。(別に気にはしないんだけど、その人からは気を遣わないといけない人間だと思われているんだなと感じて、少し悲しくなる。)

だから、俺のことを人として信用してくれる人はこれから先もこの言葉を信用して、俺に気を遣わないで欲しい。

【信用】
[名](スル)
1 確かなものと信じて受け入れること。「相手の言葉を—する」
2 それまでの行為・業績などから、信頼できると判断すること。また、世間が与える、そのような評価。「—を得る」「—を失う」「—の置けない人物」「店の—に傷がつく」
3 現在の給付に対して、後日にその反対給付を行うことを認めること。当事者間に設定される債権・債務の関係。「—貸付」

俺のことを思い出して、「あいつにこれ聞いたらなんか良いこと知ってそうかも?」とか「この話、やすにしたら絶対興味ある」とか思ったら、連絡して欲しい。「お昼休憩のお散歩倶楽部の活動、また行こうよ」とか、「この美味しそうなご飯一緒に行こうよ」でも当然嬉しい。

なんだか重たいお願いみたいになってしまったけれど、これは割と強く伝えておきたいと思っていた内容だったから、こうして文章に出来て嬉しい。

発信と不安と心理的安全性

今ふと思ったけど、俺は今この文章を本当にありのままの言葉で書いてるけど、心のどこかには「こんなこと言ったらどう思われるかな」とか少しは不安になっている。でも、全面的に同期を信頼したいと思う。本当に会社には良い人が多い。人をジャッジするような人はあまりいないと感じている。だから、最近流行りの「心理的に安全」な空間だと思っている。

そして、これをなんでnoteに書いているかというと、noteも安全な空間だと思っているから。noteが好きな人は、僕と違って本をたくさん読む人が多くて、精神的に大人な方が多い。そして、自分のリア友の中でも僕のnoteを読んでくれるみんなは、自分に少なくとも興味がある方は、仲良くしたいかなんだと思っている。そういう人たちが読んでくれるんだから、別に怖いものはない。そして、知らない人がこの文章を読んで、いけ好かないなと思っても、僕は別にどうでも良い。そう思われるのであれば、しょうがない。関わらない方が良さそうですね。そんな感じだ。

【いけ好かない】
別表記:イケ好かない、いけ好かぬ、いけ好かん
いやな感じだ、虫が好かない、どうにも気に食わない、といった意味で用いられる表現。「いけ」はもっぱら罵り文句に付いて強意を示す語。

カッコいい同期

同期(会社の人たち)が良い人ばかりという話をもう少ししたい。具体的には、人としてカッコいい人が多い。今まで何かおもろいことをやってきているメンバーが多い。おもろいというのは、真剣何かを形にするためにチーム(学生団体やゼミ)で動いてきたり、スポーツをガチでやってきたり。それぞれの方向性で、いい意味で尖って光るメンツが集まっている感じがする。趣味に関しても、みんな顔を輝かせて語ってくれる何かを持っている気がする。

当たり前じゃん?と思うかも知れないけど、世の中には「特に何も考えないで生きている人」(否定するわけではないが、俺の理想ではない)も一定数いる中で、同期のみんなは強い意図や意志を持って、生きている人が多いと思う。「これがいい」を能動的に、自分で掴み取るイメージだ。

価値観として、こういう生き方がいいと思っている自分としては、非常にありがたい仲間達の存在だ。僕は、「人生願ったり叶ったり」にすることは出来ると思っている。なんでも思い通りにやろうと思えば結構出来ると思っているタイプだ。過去の経験からも、この理想主義は絶対に捨てたくないと思っている。絶対に実現させたいことに対して、出来る全てを、人の力も借りながらやれば、大体形になるのでは?と思っている。同期もきっとこういう心持ちの人が多い。だから、刺激的で居心地が良い空気感なのだと思う。ありがたい!

対話出来る同期

「良い人=おもろい人」というわけではなくて、もう一つくらい書きたい。みんな、対話が出来る。コミュニケーションが上手な人が多いと思う。コンサルだから、当然人と絶対に密にコミュニケーションを取らなきゃいけない。その意味では、必然なのかも知れないが、我ながら良い選択をしたと思っている。こういう人たちと一緒に仕事を頑張っていきたいと思っていた。

同期とは、全然違った現場で働くことにはなるが、やることの核となる部分で言うと、かなり重なってくる。だから、また同期と仕事のことについても語り合いたい。一つの会社に身を置きながら、いろいろな会社、人と関わり、その話をまた社内のメンバーで集まって出来る。最高に楽しい。仕事の条件はワクワクしながら、面白がれそうなもののみ。こう思って生計の立て方をじっくり考えて本当に良かった。

対話と人間関係

コミュニケーションの話に戻る。僕の言いたい対話は、人の本質の部分に触れるようなコミュニケーションのことだ。僕はスモールトークが嫌いだ。そんなの別に誰とでも出来るから。その人と話す価値があんまりないと思う。しょーもない話ももちろん大好きだけど、どうせその人と一緒に話せるなら、その人の人間性とか思想だとかに触れたい。

その人の中の意見、考え方、ポリシー、大事にしている部分に触れたい。そこがお互いわかってくると、より面白い。なんでこの人がこう言っているのか、こういうことを言うのかがわかってくるから。自分とは全然違った考え方とか価値観なんだけど、わかりあえている。そんな状態で交わせる会話は最高に楽しい。

仕事上関わる人全員とこんなに深く良い人間関係を築けるかと言われれば、時間的な制約もあって難しいところだとは思う。でも、歳を重ねるごとに、お互いの「自己開示へのハードル」が下がってきていること、そして「相手の言葉を受け止める器」が大きくなってきていることで、すぐに人と質の高い会話が出来るようになっているのだと思う。だからこそ、この研修期間では信頼に値する良い仲間がたくさんできて、本当に心強く思っている。

さいごに

まあ、そんなわけで、最高な同期とのこの2ヶ月の新卒研修の締め括りとしてこんな文章を書いてみた。気づけば4000文字超え!朝、郵便局とスーパーに用事があって歩いていた時と、電車の中で少しと、今部屋のベッドの上でパソコンで。たくさんの思いが、一部ではあるけれど、こうして文章の形になってスッキリした。というか、ホッとした。これをInstagram上でシェアして、どれだけの同期が読んでくれるのかはコントロール出来ないし、知らないけれど、ちょっとでも伝わるといいな。そして、なによりも将来の自分が見返して楽しいように。この感情が冷めないうちに!!

目次の「人との繋がり観」でも書いたけれど、改めて。みんな2ヶ月間本当にありがとう。これからも、よろしくお願いします。お互い楽しく助け合いながらやっていこう。

最後まで読んでくださってありがとうございます!
また次回のnoteでお会いできるのを楽しみにしています👋


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