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パクることではなく真似ることで自分のフィルターを通した独自のオリジナルを創り出す!

のっけから、パクることも真似ることも同じじゃないかと、ツッコミを入れられそうだけど、ここで言いたいパクリと真似るは、似て非なるものと受け止めてもらいたいのですが、その辺のことを書いてみますね。(^_^)b

まずパクるっていうと、人の作品やコンテンツをそのまま盗み取る行為の意味合いで使い、真似るというのは盗み取るのと違ってお手本にして見倣うという意味で使い分けているんです。

なので、タイトルをかみ砕いて書くと、人様のコンテンツを丸ごとコピペしたりするのではなく、そのコンテンツで学びたいことを真似ながら自分自身のフィルターを通すことで、自分独自の世界観・価値観を表現することという意味になるわけですね。(^_^)b

突き詰めれば、今の世の中において生粋のオリジナルというものが存在するのかどうかも怪しいもので、模倣やアレンジによって似たようなモノ、似てはいないが源流が同じようなモノが、数え切れないほどの段階を経てきた結果だと言っても、決して過言では無いと思うのですよ。😅

それに真似ることは、学ぶの語源にもなっているくらいで、私たち人類は真似ることを延々と継承してきたからこそ、今の文明・文化を手に入れることができたのですもんね。(^^ゞ

だから真似ることは恥ずかしいことでもなければ、卑屈になるような行為でも無いのです。

ただ、気をつけなきゃいけないのが真似るつもりで、パクってしまうという犯罪に繋がるあやまちを犯すことなんですよ。🤔

他の人のコンテンツに触れることでインスパイアされ、自分の中にあったモヤモヤしたものが一気に形になり、具体化して立ち上がってくるというケースはよくあることですが、いつもパクることだけを考えていると、そういう触発剤としての効能も薄れてしまうと思いますね。(^_^)b

大事なのは、真似たい対象に敬意を払い、学ぶつもりでお手本にすることが自分自身の触発剤になるということを理解して、自身のアンテナをしっかり張り巡らすことではないでしょうか。

そしてお手本になるようなコンテンツと出会えたら、それこそ学びの姿勢で自分の中に取り込み、自分自身の思考・価値観として自分の言葉で吐き出すことがフィルターを通すことになり、コンテンツにオリジナリティを持たせることになるのだと考えています。

師弟関係の世界では出藍の誉れしゅつらんのほまれという、青はあいよりでて藍より青し、という言葉があるように、真似び学ぶことでお手本となったモノを超える可能性もあるわけです。(^_^)b

そのためにもお手本を真似ることで取り込んだ学びを、一段と昇華しょうかさせるためにもかもす発酵菌の役割を果たしてくれるような、体験・知見や発想力・着想力といった蓄えが欠かせないというのが、個人的に考えていることなんですよね。🤔

お手本を良く真似ることは、良い学びにつながり、良い触発剤の素になる。
右から左へパクっただけじゃ身に付かないということです。

いったん咀嚼そしゃくして醸すことで、自分のオリジナルとして吐き出すことができる、ということですね。(^_^)b

似ていて紛らわしいですが、パクることと真似ることを明確に分けて、ご自分独自のコンテンツを創り出せば良いと思います。🤗

真似されたほうもお手本にしてもらえたという自負を持てば良いと思うのですよ。

自分のお手本を上回るようなコンテンツが創り出された一助を、自分のコンテンツが担ったんだと考えて腹を立てるどころか、そのことを喜ばしいことだと受け止めるべきですよね。(^_^)b

そうやって巡り巡っていくうちに、時の経過とともにコンテンツの質も高まっていくのじゃないかと。

まぁ、そんなことを考えたので記事にしてみました。(^^ゞ


ってことで、今回は
パクることではなく真似ることで自分のフィルターを通した独自のオリジナルを創り出す!」というコンテンツ作成における心得みたいな話でした。
※見出し画像のイラストは、メイプル楓さんからお借りしました。


では!

パクられず  うまく真似られ  のほほんと


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