神社DX?豪族三尾氏「水尾神社」継体天皇の誕生【湖西シリーズ】【滋賀高島シリーズ】【継体天皇シリーズ】
正直、通りにあるので行っておこうとあまり調べずに参拝したのだが、ああ~すごい神社だとすぐ気づいた。
三尾氏の神社のようだ。三尾氏は、継体天皇を出した氏族で、継体天皇に二人の妃も出した名家。越前にも三尾氏がいたようで繋がりは不明だが、鉄のルートを持っていた(との認識の)継体天皇だから、もしかしたら水運を確保すべく滋賀と福井で繋がっているのかも。
前回NOTE「大炊神社」は、ここの大炊殿の跡と伝えられている。後の継体天皇こと「大迹命」の誕生の地のよう。
変更履歴
2023/10/13 初版
▼HP なし
▼アクセス
滋賀県高島市鵜川215番地
▼祭神・本尊と脇時
磐衝別命 (イワツクワケノミコト)・・垂仁天皇皇子で三尾氏の祖人
比咩神 (ひめがみ)・・・・・・・・・継体天皇の母・振媛(ふりひめ)
振媛は越前三国の坂井で暮らしてたが、近江国高島郡の三尾之別業(別荘)の彦主人王へ嫁ぐ。振媛は三尾之別業で男大迹王(継体天皇)を生み、
彦主人王が早世したため越前に帰郷して、男大迹王を養育した。継体天皇にとっては近江国高島郡は生まれた場所で、越前三国の坂井は育った場所となる。
ということで継体天皇に興味がある方は「継体天皇シリーズ」をどうぞ!(まだ増えていきます)。
ちなみに、三尾大明神は猿田彦命のよう。
▼見どころ
継体天皇は、近江の高島で誕生
すぐに父が亡くなり、母と一緒に母方親族の本拠地になる今の福井に戻る
還暦近くまで越前で過ごしたようで福井市から三国市に継体天皇の足跡が残っている
「水尾」「三尾」の地名は、継体天皇の母親の出身地である越前の坂井にもある
越前三尾氏の一部が近江の湖西に移住したので、滋賀の高島にも「三尾」の地名が生じたとも言われている
継体天皇が生まれたときの胞衣(えな)を埋めたという伝承がある「継体天皇の胞衣塚(えなづか)」が近くにある
父親は三重生神社に祀られている
水尾神社は、下鴨神社・上賀茂神社と同じく南側・河南社と、北側・河北社の2社制だった。1959年の伊勢湾台風で河北社が倒壊し、河南社に合祀されたようだ。河北社の跡地には石標が立てられていたのだが「滋賀県道296号畑勝野線」の道路の道ばたに移設された歴史がある。
『高島郡誌』では、水尾神社・河南社と河北社の祭神はそれぞれ、河南社・磐衝別命(イワツクワケノミコト)で、河北社・比咩神(ヒメガミ)であると記されている。同時に、サルタヒコとアメノウズメ説もあるようだ。。
→参道
神社入口に磐座がある・・。そして境内マップを見て、期待感が膨らむのであった。
由緒を見て、呼ばれたかなとも思う(そんな能力ないですが)。継体天皇所縁の神社だ!!!!
→境内:社務所周辺の「磐座」「水みくじ」
おお~磐座だ!そして社務所を見ると出た!神社アトラクション「水みくじ」もあるんだ。
磐座周辺は池のようだ。拝殿・本殿に行きます。そのあとに庭園です。
→拝殿・本殿
たぶん昔は鬱蒼とした自然の木で覆われていたのであろうという気がする。
下の写真の狛犬の内側足元に「立砂」がありますね。江戸時代には8代目将軍・徳川吉宗が神輿を奉納し、9代目将軍・徳川家重により社殿が再建された歴史がある。
社伝では、祭神・磐衝別命は天成神道を学ぶためにサルタヒコを祀る当地に来住したという。つまり、この神社のサルタヒコ説はこの話から来ているのだろう。
このサルタヒコの天成神道はコロナ禍で鈴をならすことができない現代において、神社DXで手をかざすと鈴音が鳴り、神様を呼んでくれるアトラクションになっていた。
第15代応神天皇の第11皇子・速総別王も天成神道を学ぶため来住したそうで、速総別王の四世孫である彦主人王は、磐城別王5世孫の振姫を妃にして、天迹部王(アマアトベ)・男迹部王(オトアトベ)・太迹部王(オオアトベ)を産む。男迹部王が後の継体天皇である。
ということで、この地域の神社由緒や話の流れからも継体天皇で一度男系天皇は途絶えた説は信じがたいと思ってしまう。ここまで壮大な嘘が作れるか?という話なので。
本殿周辺からの庭園風景は次の写真。
→境内摂社・末社
本殿右に「神明神社」、「八幡神社」、「秋葉神社」が1社になっている。元々は別々の社殿になっていたそうだが、1911年に一殿に併祀されたよう。祭神は、アマテラスとトヨウケ、八幡大神、火の神・秋葉大神と速総別大神となっている。
→水尾庭園
自然の景観に溶け込んだ庭園で社務所あたりからアプローチ。ピンポイントの紅葉がなかなか良い感じですね。
下の写真の池の中にある二つの岩も、ネット上ではしめ縄をしている写真が多い。夫婦岩としていたようだ。
庭園全体です!ぐるっと回ります。山の斜面を切り崩した時に出てきた約2000個の石を使って策定したようだ。。
2段式庭園の下段の池泉の主景をなす滝石組は「離れ落ちの滝」となっている。
庭園から拝殿・本殿。
この庭園は、1996年に地元の造園業者によって作庭されたもので、2段式の池泉回遊式庭園とのこと。
最後に、鎌倉時代の石塔には四方仏が彫られていることから神社と寺があった場所であり、作庭に使われた石は寺のものかもしれない。
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