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50年に一度の御開帳「竹林寺」次回2064年!第31番札所【高知シリーズ】【お遍路シリーズ】

江戸期には土佐藩主の祈願寺として隆盛した。本尊「文殊菩薩」は50年に一度だけ開帳される秘仏で、1983年に特別開扉があり、2014年の春秋に開帳されたので次回2064年!なのだが2023年特別開扉!
なお日本三大文殊と呼ばれているという説があるが、私の認識は「天橋立」・「大和桜井」・「会津高田」である(一説には会津高田は山形県高畠町にある「亀岡文殊」とも)。

 寺伝では、奈良時代に僧・行基によって開かれた。平安時代には空海が滞在し、伽藍を整備したと伝わる。

 2023年宝物多く出していますね。

変更履歴

  • 2023/12/16 初版


▼HP

▼アクセス

高知県高知市五台山3577
※車1.2台しかない山道を車で走るのだが、上りと下りが一方通行なのが良い。前が観光バスだったのだが、Sカーブでは結構ギリギリの場所がありましたね。

▼祭神・本尊と脇時

文殊菩薩

▼見どころ

 四国霊場第31番札所に定められ、江戸期には土佐藩主の祈願寺として隆盛した。文殊堂@重文に安置されている本尊「文殊菩薩」は50年に一度開帳される秘仏で、1983年に特別開扉があり、2014年の春秋に開帳されたので、次回は2064年であるのだが、2023年特別開扉!そう1300年記念ですね。
 なお、日本三大文殊とするが、私の認識は「天橋立」・「大和桜井」・「会津高田」である(一説には会津高田は山形県高畠町にある「亀岡文殊」とも)。

 ちなみにここの文殊は、台座は獅子で、善財童子・優填王・仏陀波利三蔵・最勝老人を従える渡海文殊である。

  寺の歴史を箇条書きで書いて、詳細に説明します。

  • 724年、聖武天皇勅願により行基により開創

  • 806年から810年、空海がここで修行

  • 四国八十八ケ所霊場第三一番札所になる

  • 江戸時代には土佐藩主に崇敬され藩主祈願寺となる

  • 1704年、本尊・文殊菩薩が初開扉されるが、東京出張だったようだ

  • 神仏分離令で起こった廃仏毀釈で、やはりここも衰退するが、復興して今に至る

  • 2014年に開帳したので、次回は2064年

▽2023年御開帳

 2014年御開帳されたので次回は2064年であるが、2023年は1300年記念年のため特別公開が開催された!

 ちなみにここの文殊は、善財童子・優填王・仏陀波利三蔵・最勝老人を従える渡海文殊である。開帳は50年に一度で、2014年に開帳されたので次回は2064年。

 受付の後はビデオで歴史や本尊の紹介と約束事項の説明を受ける。本尊の脇侍には馬頭観音が安置されているのだが、見忘れた・・。
 見仏は4人ずつで1分ぐらいを次々と回る感じですね。この情報は2014年の開帳時にも聞いていたので、思い切って何周もさせていただいた。混んでいないときは可能です!とのこと。

〇文殊菩薩
 めちゃ頭の良い人で釈迦如来の脇侍でもある。「三人寄れば文殊の知恵」は言い換えると、釈迦の愛弟子が3人かかって勝てるか対等になるということで、それぐらい凄い知識と知恵なんだそうな。

〇善財童子
 華厳宗に登場する求道の志が強い少年。文殊菩薩の愛弟子的な方。

〇優填王尊者
 シルクロードにあるホータン王国の王様で、文殊菩薩が乗っている獅子の手綱を引いている。

 てなことで、私の最強チーム渡海文殊は安倍文殊院ですね。公式HPと私のNOTEは次の通り。

 1300年記念の公式HP紹介します。そのうちなくなるかもしれないが・・・。

 本尊が初めてご開帳されたのは、今から三百十年前の宝永元(一七〇四)年のことである。実は、この時のご開帳は竹林寺で行われたものではなく、出開帳として遠く江戸の地で営まれたものであった。
 この出開帳にまつわる史料によると、江戸までの道のりについて、本尊は甲浦から大阪まで海路で進み、その後は「荷物は船にて廻り、文殊は陸路なり」とあり、東海道を上ったといわれている。会場となる護国寺に入る時には、土佐藩邸や護国寺に出入りする人々など総勢千人を超す江戸の町人が同行し、盛大に会場入りしたといわれている。
 会期中は大勢の町人が連日詰め掛け、護国寺でのご開帳を終えると本尊は江戸城内に移り、五代将軍徳川綱吉公の生母・桂昌院(けいしょういん)など城内のあらゆる女人がその尊容を拝したと伝えられている。その後は大坂の生玉曼荼羅院(いくたま まんだらいん)を会場に、土佐に戻ってからは竹林寺でご開帳を行った。

高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲
https://www.city.kochi.kochi.jp/akarui/mangekyo/man1410.htm

▽境内

→仁王門

 五台山山上・竹林寺の境内に向かって石段が連なる先に桟瓦葺きの山門。門の左右には江戸期の作と伝わる仁王像も配します。

→仁王門から本堂へ(参道途中の御堂などは後述)

→聖天堂

→本堂

→本堂左「庭園」「稲荷神社」「子安地蔵尊」「」


→五智如来石仏

→太子堂

 本堂の向かい側には弘法大師坐像を安置する大師堂がある。蟇股には山内家家紋と丸に三つ柏紋が見られる。

→「五重塔」と「一言地蔵尊」

 五重塔の高さは33メートル。竹林寺の歴史的な豊かさの象徴だが、この五重塔は1980年に建てられたもの。

四国霊場31番札所で、境内は広々としており、すがすがしい。最後に、五重塔の脇には一つだけ願いを叶えるという一言地蔵尊もあり、島流しにあった葛城氏の面影が強い地域である。

→帰り参道(宝物館、庭園へ)「根桜」「親子狛犬」「日吉神社」

→「鐘楼堂」「虚空堂」


→宝物館

 宝物館には平安から鎌倉までの仏像が安置され、仏像様式の変化が見て取れる。第31番札所「竹林寺」。

  • 釈迦如来坐像

  • 薬師如来坐像
    腕など無くなっているが顔だけ見ると室生寺好きにオススメかな。

  • 阿弥陀如来坐像
    宝物館のアナウンスの説明では伝運慶作とされていた。美仏には間違いないが、正直、運慶には見えなかった。

  • 阿弥陀如来立像
    三尺阿弥陀如来ですね。

  • 胎蔵界式大日如来坐像

  • 勢至菩薩立像

  • 千手観音立像

  • 十一面観音立像

  • 大威徳明王
    この大威徳明王は、京都・東寺、滋賀・石山寺、京都・醍醐寺などに負けない良い大威徳明王である!

  • 愛染明王坐像
    こちらも奈良、京都、滋賀に多い良い愛染明王である。大きさも私が見た中で大きい部類に入る。

  • 増長天

  • 多聞天立像

→庫裏


 庫裏と連結する客殿の前には、国の名勝に指定されている庭園が広がっている。1318年、滞在していた臨済宗の高僧で京都でもたびたび出てくる「夢窓疎石」の作庭と伝わっている。
 江戸時代初期に大きく手が加わっているそうだが、巨石や池泉を配した作庭当初の痕跡は随所に見られているので、縁側に腰を下ろしと休憩!?紅葉が奇麗のだろうな~。

特別企画展『竹林寺 千三百年のともしび』展
 開創から今日に至る竹林寺千三百年の歴史を寺宝の数々とパネル展示でたどります。 旧三重塔本尊・宝冠釈迦如来像や土佐藩主山内忠義公正室・阿姫(くまひめ)が徳川家康公の菩提を念じて施入した家康公位牌や金銅製華鬘(けまん)をはじめ多数の什物を初公開します。

公式HPより

▽紅葉


▼メディア情報

これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。


▼旅行記


▼セットで行くところ


▼仏像展


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