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★仏像展★MIHO MUSEUM『秋季特別展「金峯山の遺宝と神仏」』

秋季特別展「金峯山の経塚遺宝と神仏」では、古代より修験道の聖域とされてきた奈良県吉野の金峯山を参詣した平安貴族の「御嶽詣」に伴う金峯山経塚の出土品を一堂に展示します。藤原道長の金峯山参詣を端緒とする平安貴族の盛んな「御嶽詣」に伴う埋経は、金峯山経塚遺物として今日に伝わっています。この展覧会では新たに確認された遺物も含む金峯山出土遺物から、平安貴族の金峯山への信仰と憧憬の一端をご紹介いたします。

金峯山の経塚遺宝と神仏

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MIHO MUSEUM

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▼ニュースメモ

奈良県の吉野と和歌山県の熊野を結ぶ修行の道「大峯奥駈道」がユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の登録資産となって来年で20年を迎えます。とくに「金峯山」とも称され、吉野から大峰山(山上ヶ岳 標高1719メートル)にいたる山系には、吉野金峯山寺(山下蔵王堂)と大峯山寺(山上蔵王堂)があり、山上において役小角(役行者)が厳しい修行のすえ祈り出したという蔵王権現を祀り、今なお篤い信仰が寄せられています。

金峯山山上は、平安時代はじめには開かれ、やがて宇多天皇をはじめ、藤原道長、師通ら皇室や有力貴族が登拝してからは「御嶽詣」と呼ばれるように多くの人々の参詣する屈指の霊場となりました。折しも仏教の教えが衰える末法の世の到来にそなえ、道長・師通らはお経を書写し、容器に納めて土中に保持する「経塚」を山上に築きました。それら経塚遺物を含む膨大な出土品は、すでに明治時代には明らかになっていましたが、本展ではそれらに加え、昭和時代に行われた山上本堂修理に伴う発掘調査による出土品や近年明らかになった新資料をはじめ、「金峯山」にかかわる彫刻、絵画、工芸品を展示し、ひろく金峯山信仰のようすを紹介します。

https://www.artagenda.jp/exhibition/detail/8099
↓引用元

秋季特別展「金峯山の遺宝と神仏」では、古代より修験道の聖域とされてきた奈良県吉野の金峯山きんぷせんを参詣した平安貴族の「御嶽詣」に伴う金峯山経塚の出土品を一堂に展示します。藤原道長の金峯山参詣を端緒とする平安貴族の盛んな「御嶽詣」に伴う埋経は、金峯山経塚遺物として今日に伝わっています。この展覧会では新たに確認された遺物も含む金峯山出土遺物から、平安貴族の金峯山への信仰と憧憬の一端が紹介されます。

https://otsu.or.jp/event/miho-museum_exh
↓引用元

https://www.iga-younet.co.jp/2023/10/24/81555/

▼仏像感想

 展示リストはこちら。チラシはこちら

▽第一章 役行者伝説と金峯山信仰の始まり

→山梨 #円楽寺 「役行者母公坐像」

 保存状態は悪く、顔の表情は残っていないが、力強さを感じる不思議な仏像。役行者は嵌められて関東に流されるのだが見つからない。母親をとらえた!!息子の無事を願う母の姿に見えた。

→山梨 #円楽寺 「役行者半跏像/前鬼・後鬼坐像」

  いや~面白い!!全国津々浦々にある役行者像の古像なんだそうな。役行者の足は両足を踏み下げている形がほとんどだが、片方だげ踏み下げる半跏像なのが面白い。(と言いつつ同月のとある東北の仏像展で見たんでけど。。)

No.14 #役行者倚像 #恵光院 (青森県南部町)
 さすが役行者!ここまで広がっているのか?と思ったが、違うかもしれない。ただの修験道、山伏かも・・。
 通常、役行者像は両足を踏み下げており、右手は錫杖であるのが仏像ルールなのだが、杖を持ち片足を上げている倚像である。

↓私のNOTE

 役行者半跏像内には1309年を指す修理銘があることから、平安末期から鎌倉初期にさかのぼる像と考えられている。木材はサクラで出来ており、半跏の姿は珍しい。そして、顔が小さすぎる・・。
 脇侍の二鬼(前鬼、後鬼)もサクラの一木造。目やえらが飛び出て、独特のドレッドヘアー風味の髪で、足を開いて座る姿が面白い。

  • 役行者は奈良・葛城あたりに居た認識だが、富士山で修行をした

  • この仏像は11世紀までのもので金峯山にもない最古のもの

  • 富士山2合目の行者堂に安置されたとされる

→山梨 #円楽寺 「童子立像」

→奈良 #櫻本坊 「役行者母公倚像」

▽第二章 山上本堂の解体修理に伴う発掘調査と遺物

 1983年から1986年に行われた大峯山寺山上本堂解体修理時の発掘調査で明らかになった宝物の展示だった。

▽第三章 蔵王権現

 金峯山信仰の象徴で、日本独自の「蔵王権現」大集合であった。

→滋賀 #石山寺 「金剛蔵王立像心木@重文」

 たぶん本堂の特別拝観で見仏した記憶がありますね。

本堂内陣の裏手にある「塑造金剛蔵王立像心木-塑像」は脇侍の蔵王権現の内部にあった支えの心木。金剛蔵王像自体は江戸時代の作だが、心木は奈良時代創建時のもので、重文です。なお、平成14年に見つかった本尊内部から胎内仏が見つかり、本尊の1世代前は石でできた本尊であったとか。

私のNOTE
https://note.com/yanma_travel/n/nf3463b4328bb

私のNOTEは次の通り。

 2016年の本尊御開帳時に見仏していますね。

→東京 #五社神社 「蔵王権現立像」

 10世紀まで遡り日本最古のものとされる。木造で両腕はなく、一瞬、地方仏師が造った明王かと思わせるが、足の形が蔵王権現である。しかし、なぜ東京の神社にあるのかは不明だ。。

→奈良 #奈良国立博物館 「蔵王権現立像」

→奈良 #大峯山寺 「蔵王権現立像@重文」

 26対発掘され、様々なスタイルがあり、初期型なのがわかる。ここから様式・形式が出来上がったのだろうと推測する。

#佐野美術館 「蔵王権現立像」

▽第四章 道長の金峯山参詣と金峯山経塚の遺宝

 金峯山経塚から発掘されたもので、藤原道長所縁の宝物など、仏像好き以外も惹きつけるものが多かった。

→奈良 #大峯山寺 「蔵王権現像@重文」×2

▽第五章 新出の金峯山経塚の遺宝

→蔵王権現立像

→男神坐像

→女神坐像

→阿弥陀如来立像

→優填王像

▽第六章 金峯山・修験道世界の完成

 鎌倉以降の完成された修験道の宝物に続く。

→奈良 #如意輪寺 「蔵王権現立像@重文」

 蔵王権現と言えばこれですね。私のNOTEは次の通りで、仏像の写真は吉野の公式サイトをどうぞ。

→奈良 #櫻本坊 「勝手明神像」

 これは初見仏かと思います。残念ながら焼失した勝手神社の神像が桜本坊に残っていたようですね。

私のNOTEは次の通り。

→奈良 #奈良国立博物館 「役行者倚像」慶俊作

 ベーシックな役行者ですね。

→京都 #聖護院 「役行者前後鬼・八大童子像」

 初見ですね。修験道総本山!皇族が好んだ熊野詣での先導を務めた寺で、山伏の資格を与える寺。桜と仏像のイメージで、こういう宝物を持っているのはさすがですね。運慶作の八大童子の仏像の参考にしているのかなとも思ったり。

私のNOTEは次の通り。

→奈良 #天ケ瀬八坂神社 「不動明王立像」

→京都 #京都市 「不動明王立像@重文」

▼過去の関係・類似展 なし

▼旅行記 後日

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