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丹後の神・豊宇賀能メ命「多久神社」比治山の天女は万病を治す酒を造る【丹後王国シリーズ】

 丹後の神様「豊宇賀能メ命(豊受大神と同一神。天酒大明神)」を祀る。祭神は『丹後国風土記』にいう比治山の天女とされ、万病を治す酒をつくったことから、明治期まで天酒大明神とも称した。本殿背後には、古墳時代前期古墳といわれる涌田山1号墳など古墳群が連なっている。
 現在の本殿は1811年の火災で再建されたと伝わり、大工は丹後を中心に活躍した吉岡嘉平氏で、細部を飾る彫刻が素晴らしい神社。

変更履歴

▼HP 公式なし

▼アクセス

京都府京丹後市峰山町丹波湧田山

▼見どころ

 丹後の神様「豊宇賀能メ命(豊受大神と同一神。天酒大明神)」を祀る。本殿背後には、古墳時代前期古墳といわれる涌田山1号墳など古墳群が連なっている。

祭神:豊宇賀能咩命 (とようかのみのみこと)
鎮座年記 不詳
例祭  十月八日  
延喜式(927年制定)式内社の小社です。真井伝説による天女を祭神としています。天女は豊受大神(伊勢外宮の豊受大神宮に祀られる穀物女神)の化身で、当地に天下り農業を興されました。社記によると「(植えたその)秋に稲の穂が垂れてたわわに実った様を見られて大神は大変お喜びになり、『ああ嬉しい! まことに立派に実った田庭だね云々』と申された。丹波の地名はここから発し、このことを以て祭神をお祭りする』と言われております。  又、丹後古風土記逸文に「天女よく酒を噛み造り、その酒を一杯飲めばすべての病が治る」といわれ、「その酒を村人に分け与えると皆が吉兆の恵みとおかげを授かる」と言われています。このことが後世に天酒大明神と崇められているゆえんであり、天酒祭は前述の言い伝えに由来するものです。そこで社記に「いつも祭に酒を置いて縁起を祝う云々」と伝わっています。  このお宮は、丹波、荒山、内記、矢田の総鎮守でお祭りには神輿練込の神事がありましたが寛永年中(1624年頃)に無くなりました。当時の御旅所が、昔の盛んであった神事の跡を残しています。  藩主の京極様は代々このお宮にいつも崇敬の念をもたれ、寄進は数度に亘ってございました。  昔から、多くの人々の口に、もてはやされている里歌に「矢田や丹波の郷の天酒様のお下通もありがたい」と謡われています。おそらく紳徳を崇め讃えてのことでしょう。この社は、元天女が鎮座されていた神座尾(笠の尾)にありましたが嘉吉年間(1441年頃)に現在の神山に鎮座しました。現在の本殿は、この地方の名匠吉岡嘉平冶の作で、文化九年(1812年)に造営されたものです。 明治六年二月十日に村社に列格されました。
紀元二千六百年(1940年)春祭日掲之

社内由緒

 割拝殿の奥に拝殿と本殿ですね。って丹後の竹野神社もそうですが、W拝殿様式(造語)と名付ける!?

 本殿は覆屋に収まり、周囲に拝殿や神饌所兼神輿庫、境内社が建ち並ぶ。現在の本殿は1811年の火災に遭った後のもので、1927年の1 月30 日には大雪で覆屋が倒壊し、さらに3月7 日に丹後大地震の被害を受けたが、新築されずに修理され、現在に至るらしい。

 しかし、本殿の彫刻が素晴らしい!やはり鳥取・豊岡市・京丹後市・舞鶴市の日本海側独特の彫が見所ですね!
 では摂社・末社へ!

 社日塔があり、オオヒルメ・・日本書紀の一番初めだけに出てくる天照大神の別名・・。この5柱には、スクナヒコ、イザナミ、ウカノミタマ、オオクニヌシの別名オオムナチと古事記スターズ。丹後王国の神社片隅にはこの手のものが多い。2022年の出雲旅行で出雲にもあったんですよね・・。
 そして前の写真にあった社には楯縫神社、八幡神社、愛宕神社、八重垣神社、大宮宜神社となっており、出雲と丹後が混在している。
 私見では丹後は出雲を裏切ったor出雲とは対等な力を持ち、大和朝廷についたと思っているので不思議じゃないけど。

 最後に、稚宮神社と鹽竈神社があり彫刻が素晴らしい!

「稚宮神社」ですが奈良の天理にもありますね。あの大和神社摂社・末社のよう、何かありそうな気がする・・。

▼旅行記


▼セットで行くところ

▼仏像展


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