ご飯粒を残さない

ふとした時に、小さい頃の環境って大事なんだなぁ、と思うことがあります。

特に、めし。

魚を骨まで食べる、もしくはキレイになるべく残さず食べるのが当たり前だとばかり思っていたら、「実はそうでもなかった」という現実に、何度驚いたことか・・・。

これは母か父か・・・、完全に父親の影響です。

父は焼き魚が食卓に上がると、骨をバリバリと食べ、皿の上にはほとんど何も残さず、ごちそうさまをしていた。

いま、わたしもまさにこれ、です。

ただし、焼きがあまい時は、自宅だったなら骨だけオーブンでパリッとうなぎボーン状態に仕上げてから、改めて頂きます。
外で食べる時は、焼きがあまいとさすがに残しますね、あと雑な店だった場合は、余計に残してしまいがち(皮があまりうまくなかったりする)。
ちゃんとした店であればあるほど、皿の上には何も残りません。

ちなみに、ちゃんとした店、ということで言うと、刺身にもれなく付いて来る「ツマ」は、ほぼ全部いただきます。
あれ、食べないのってどうなんですかね?
「飾り」でしかないから食べないんですか?
あれ、「飾り」である以前から、ずっと大根ですよ?
(焼きサンマに添えてある大根おろしと何も変わらないんじゃ・・・)
ちなみに、ワカメとかもあると、なお良しです。

話は逸れましたが・・・、いや逸れてはいないか。
ここ数年で、食品廃棄の問題とかもだいぶクローズアップされてきていますよね。
ちょっとくらい期限が切れていたって大丈夫だよ、って話とか。
全員がこういうマインドでいれたなら、相当減りそうですよね。
でも、慣れってなかなかなもので、すぐに変えるのってホントに難しい・・・。

わたしは、インドに行った時に、屋台のやべぇプロセスを経て作られる(向こうでは当たり前なんでしょうが)パニプリを食べても平気だった男です。
そんな男が言っても説得力はないとは思いますが、死にゃあしませんよ。
(いや、あくまで年齢と健康状態を考慮したうえでの話)
でも、そんなことを言う前に、刺身の「ツマ」を残さず食べなさいよ、と個人的には言いたかったりするわけです。

ここまでぶつくさと放言しておいて、ようやくタイトルの「本題」です。
40数年生きてきていますが、ご飯粒を汚く残す人って結構いますよね。
(ご飯粒だけでなくとも、食べ物全般も同様)
あれ、何でなんだろうって、20代の時は思っていました。
でも、いつの日か気付いたんですよね、あぁ、環境なんだなって・・・。
そういう環境で育ったら、当たり前にご飯粒残すんですよね。
そこに何か特別な感情があるわけではなく、ただ「そうだった」から。
実際にわたしも、別にご飯粒をキレイに食べきることに対して何か感情があるわけではないですしね。
ただただ「そういう環境で育った」ってだけ。

そういう環境って話でいえば、とある国では「ちょっと残すのが礼儀」というのがあるみたいですが、まぁそれはそれですよね(ここは日本)。

人によっては、お米を作ってくれた人に失礼のないように最後の一粒まで残さないように、って言う人も居ますが(子供の教育にはいいですが)、ただただ思うのは・・・、「汚くないですか?」ってこと。
ご飯粒だけでなく、皿や椀の上や中がいろいろ残っているのって・・・、なんか汚くないですか、って思うワケです。
もったいない、という気持ちももちろんありますが、割と同じくらい「綺麗に食べる」、があるわけです(だってそうだったから)。
昨今のSDGs的には、「もったいない」が声高に叫ばれ出していますが、同時に「きれいにたべよう」の意識も高めていきませんか。
子供の頃に汚く食べてた人は、大人になっても汚く食べている可能性大なわけですから(失礼ながら)。

ひとつ思い出したことがあります。

食事に関して、父親の影響がもうひとつありました。
それは・・・、早食いです!
しかも結構な早食い、おかげで血糖値爆上がり!!
午後の仕事眠い!
親父!勘弁してくれよ!

昨日も、今日も、ゴチでした。
そして、明日も、明後日も、ゴチになります。

#もったいないから

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