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人間ぎらいだった私へ11)学生時代ー毒舌・やさしさ・母と姉

 さて、前回も、前々回も、わたしの小学生時代の交友関係について、主にご紹介いたしました。

 「なんだ、それほど『人間ぎらい』でもないじゃん」「もっと『ぼっち』なのかと思ってた」との声が聞こえてきそうですが、そうですね…、わたしは、外から見たらただの「ちょっと人見知りで」「シャイな」子どもにしか見えなかったかもしれません。しかし、表面的には、人と問題なく仲良くしていても、わたしの内面は、「ひんやり」としていました。「温かみ」をもって人と接することが、ほとんどありませんでした。「愛情」というものが、わからなかったのだと思います。小学生の頃は、「愛」という言葉が嫌いで、「愛」なんて、口で言うだけで、本当はそんなものはないんだと思っていました。「愛」という言葉を使う人は、そういう言葉を使うことによって、「愛のなさ」を隠したりごまかそうとしているだけの、「偽善者」だと思っていました。
 今は、「愛」も、実体を伴わない「ただの言葉」として使う人もいれば、人や動物などに対して生じる自分の中のなにか温かい感情を指して「愛」という言葉を用いる人もいるし、特定の対象への尋常でない執着について「愛」という人もいる…、と、要は、人によって使い方がまったく異なる言葉なんだなと分かりました。なので、昔のように、「愛」という言葉を使っているだけで、その人のことを疑わしい目で見たり、「偽善だ」と決めつけたりいうことはなくなりました。

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