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「K君への手紙」シリーズあとがき―なんで「K君への手紙」を書いたか?―今さら自己紹介

 こんにちは。やまのうえのきのこです。
 「K君への手紙 いまひきこもっているK君へ」と、「K君のおかあさまへ ひきこもりの子どもをもつ親への手紙」を、とりあえず7本ずつ書いて、ちょっと一区切り、といいますか、一息つこうと思っています。(リンクは一番最後に貼っておきますね。)
 「あとがき」、と言うとちょっと違うかもしれませんが、「なんでそもそもそういう手紙を書き始めたのか」、ということについて、この場をお借りして、みなさまに説明しておこうと思います。
 「K君への手紙」シリーズを、読んでくれた方も、また、まだ読んでいないけど、これから読むかどうか決めかねている方にも、ぜひ読んでみてほしいです。(本でも、「あとがき」から読む人って、一定数いらっしゃいますよね。はい、わたしのことです)

 まず、わたしはだれなのか、ということについて、今更ですが自己紹介をさせてください。つまり、不登校とか、ひきこもりとかについて、書く資格がどれほどあるのか? という問題です。
 そうですね…。とりあえず、社会になじめないのは、幼稚園の頃から、という筋金入りで、そう、登園拒否とかもよくしていたそうです(わたしは覚えていないのですが…)。なんだか、みんなの輪に入るのが苦手、というか、どうすればそうできるのか分からなくて、いつも幼稚園の教室の隅っこの、ロッカーと壁のわずかな隙間に挟まって、ひとりでお絵描きをしていました。そういう…わるく言えば「ぼっち(ひとりぼっち)」、よく言えば、「独自の世界観を持った、変わった子ども」でした。
 こんな人間でも、なんとか、小学校に上がって、友達という友達はいませんでしたが、一応それなりに人づきあいをし、勉強はわりとできた方なので授業も苦にならず、休み時間は絵を描いて過ごして、まあまあの生活を送っていました。でも、小5くらいからでしょうか、原因不明の体調不良が目立ち始めます。突発的に訪れる腹痛です。お腹が痛くなるのがこわくて、そして、回数を重ねるうちに、腹痛を訴えても、仮病を疑われるのがつらくて、ちょっと学校が苦痛になってきました。
 まあ、でも、この時は、なんとなく治っていったというか…。いつのまにか体調不良の波は収まっていました。本格的な不登校を経験したのは、中学に入ってからです。
 きっと、多くの人にとって、中学校というのは、いちばんの難関と言いますか、くるしい場所なんじゃないかな、と、勝手に想像しています。厳しい先生が増えるし(生徒にナメられるのを恐れているのでしょう)、まわりの同級生も、こころがささくれ立っているし(たくさん気に入らないことがあるのでしょう)、勉強は難しくなるし(急に、予習・復習しろとか言われます)、部活動も(運動部だと、とくに)…。なんていうか、盛りだくさんの、ストレスフルな環境ですよね。いろんな人が、ぎゅうぎゅう詰めで集まって、人間関係の衝突も起きやすいですし、学校特有の、変なルールが横行しています。もう一度、中学に入れと言われても、ぜったいイヤです。断固として拒否します。
 ということで、中学2年のおわりに、また再び、原因不明の体調不良に襲われました。今度は、腹痛だけではなく、めまい、立ちくらみ(頭からすーっと血が引いて、立っていられず、うずくまってしまいます)、胸の痛み、吐き気、などなど…、もう、なにか重篤な病気にでもかかったのかと思いました。今でいうと、自律神経失調症ですね。でも、当時のわたしは、慢性胃炎、と診断されました。そして、体調を崩すたびに保健室へ行き、早退、あるいは、遅刻、そして、病院通いの日々です。体調不良もつらいし、周囲の目もつらいし…。泣き面に蜂、弱り目に祟り目です。
 小学校の時は、わりとみんな心配してくれたのに、中学では針のむしろだったなあ…。担任の先生も、たびたび体調を崩すわたしを厳しく見とがめ、温かさのカケラもない態度で接してくれました。自分に厳しく、他人にも厳しく生きてきたタイプの人だったから、仕方がないか、と今は思えますが、当時は、先生のあまりの無理解に、とても憤慨し、はらわたが煮えたぎりました。

 そう、不登校経験があるのです。当時は、なにをすればいいのか、どうやったら解決するのか、わたしも、親も、全く分からず、混乱の極みでした。でも、結局、学年が上がって、担任が変わったら、クラスの雰囲気も良くなっていて、また学校に通えるようになりました。それで、自分が不登校だったことなんて忘れて、また、忙しい学校生活に意識は埋没します。

 でも、なんでしょうね…。一度ひどく挫折すると、こんなに人生は苦しいのに、なんのために生きているんだろう、とか、みんなはどうやって、この虚無感と向き合っているんだろう、とか、考えるようになります。
 いや、不登校経験のせいだけではないかもしれません。結局のところ、わたしが、孤独を愛する人間だったからです。みんなでキャーキャー盛り上がっても、その間だけは疑問を忘れることができるけど、それでいいんだろうか…、と。人生に、がんばる意味はあるんだろうか、なんのために人は存在しているんだろうか、笑顔を振りまくあの人の本心はどこにあるんだろうか。

 やっぱり、いくら努力しても、社会にスムーズになじめている(ように見える)人たちと同じように、がむしゃらに「いまを生きる」ことはできなかった(たとえば…試験に向けて勉強をがんばる、大会優勝に向けて練習する、人と仲良くする、就職活動をする、など)。自分の存在によって、他人を喜ばせたり、利益を与えたりできる気がしなかった。社会から撤退したかった。そういう人間だったので…まあ、もともと、不登校とか、ひきこもりになりやすい素質が、あったんだと思います。よく言えば、芸術的な素質とか、哲学的な素質です。でも、そういう人は、今の日本社会では、ちょっと生きづらいんですよね…。

 さて、高校・大学と、それなりに目の前の課題に忙殺されて、そういう「本質的な疑問」から目をそらして生きてきたわけですが、卒論で、もう一度、その「本質的な疑問」に目を向けてみようという気持ちになりました。その題材として、「不登校・ひきこもり問題」を選びました。自分が不登校になった時は、まわりの大人たちにひどい対応をされたけど、研究者や専門家たちは、「不登校・ひきこもり問題」について、どのように語ってきて、どのように子どもを扱ってきたのだろうか、というテーマで、戦後から歴史をさかのぼってみました。
 でも、その過程で、やっぱり自分自身が、グサグサに刺されていきました。つまり、不登校経験のある自分が、よりはっきりと自覚されて、「ああ、やっぱりわたしは不登校で、社会不適合者なんだ」、という気持ちでいっぱいになり、鬱鬱としはじめました。とうとう、まともに本が読めなくなり、現実がまるで夢のように霞がかかった状態になり、希死念慮が湧き…。メンタルを病みました。
 「とりあえず卒論は書き終えよう。卒業したら、もう生きるのをやめよう」という気持ちで、就職活動もせずに、卒論に全力を投じました。もう、自分がまともに就職できる人間だとは、思っていませんでしたから、研究者の道にすすむしかないのかと思って、決死の覚悟で卒論を書きましたが、指導教官からの評価は散々なものでした。自分には、勉強しか取り柄がないと思っていたので、最後の頼みの綱であった大学からも見放され、いよいよ生きる意味はなくなったと思いました。
 でも、包丁を手に持ち、なんども…試みましたが、結局、皮膚に刃物を突き立てることすらできず、自分の意気地のなさに、なんとも情けなくなりました。

 すみません、暗い話になりました。引いてしまったでしょうか? つられて、悲しい気持ちになってしまったり、絶望的な気持ちになってしまったとしたら、ごめんなさい。でも…、いまは絶望しているかもしれないけど、この気持ちも、時の流れとともに移り変わっていきます。さっきまで考えていたことと、いま考えていることが違うように、人間のこころなんて、環境によって、外からの刺激によって、いくらでも変わります。わたしも、いまは、とても穏やかで、平和な気持ちで毎日を過ごしています。ほんの1~2年前までは、鬱々としていたのに。あの時、自分の人生に、自分で幕を引いてしまわなくて、本当によかった、と今では思っています。

 わたしはこういう人間です。
 もしも、あの最も人生が暗かった時期に、実家に帰って、自室に閉じこもっていたら…と思うと、なんだか、こことは別の世界には、絶望してひきこもりになった自分も存在しているのではないか、という気持ちになります。
 ひきこもりの人が、そして、人生に絶望した人が、事件を起こしたりニュースに登場したりするのを聞くにつけ、まるでひきこもりになった自分が、人生を思い詰めた果てに、間違いを犯してしまったような、そんな気持ちになります。なんとも言えない、切ない気持ちです。

 そうですね…なので、ふつうの、ひきこもり専門家の方とか、不登校専門家の方よりは、当事者目線といいますか、なんでしょうね、「客観的な」視座から「観察した」不登校・ひきこもり問題ではなく、「主観的な」視座から「肌で感じた」不登校・ひきこもり問題について、書けることがあるのではないかと思って、今まさにその問題でくるしんでいる方に向けたメッセージを、書いてみようと思いました。卒論で、専門家の言説(文章)は、けっこう読みましたので、専門家とはちがった距離感で、ちがった切り口で、態度で、お話ができるのではないか…と、高慢かもしれませんが、思ったわけです。

 その試みが成功しているのかどうかは、読者のみなさんに判断をゆだねるほかありません。
 しかし、わたしがこのお手紙を書きながら、すごく気を付けたところ…、といいますか、専門家の人の文章でしばしば足りていないと感じる点、といいますか、特徴があるとすれば、「正解はただひとつであり、それは専門家が知っている」という「思い込み」の、「徹底的な否定」であると、自分では思っています。
 つまり、わたしの経験談も、不登校・ひきこもり問題の専門家たちのアドバイスも、しょせんは「そういうケースもある」という話であって、自分に当てはまるかどうか、採用するかどうかは、読んだ人が決めることだということを、陰に陽に、書き続けたつもりです。…そのつもり、です(ちょっと自信がなくなってきました)。
 こういう問題に直面した時に、いちばんよくないのが、不安でいっぱいになるあまり、明確ではっきりとした「答え」につられて、自分で考えるのをやめてしまうこと、「信仰」のように、なんの疑いもなく、専門家の言うことを鵜吞みにしてしまうことです。そうすると、目の前にいる人間の言うことに、耳を傾けることができなくなります。専門家の言うこと、専門家の解釈のほうが、正しいと思いこんでいますからね。目の前の人間は、自分のことばが相手に届かないと、なんだか、身体は近くにあるのに、こころがすごく遠くにあるように感じて、寂しくなります。孤独が深まります。人に助けを求めること、声を上げることも、億劫になってきます…。
 「自分」のことを、「自分」とのコミュニケーションによって、深く知ってもらうのではなく、なにやら自分のことが書いてあるらしい「本」によって、知られていくのは、気持ちがよくないことです。はっきり言って、気持ち悪いです。しかも、自分でも、「自分」とは何かがよく分かっていないのに、自分のことを知りもしない他人が、自分のことを知ったように言うのは、我慢ならないではありませんか。他人の言葉に引きずられて、「自分」とはなにかを、決めてしまいそうになります。
 そういうのを一切やめよう、と思って、考えたのが、「K君」という存在です。つまり、わたしは、不登校の、あるいは、ひきこもりの人に語り掛けているわけではなく、あくまで「K君」、固有名を持った、一個人に話しかけている、という形にして、お手紙を書きました。「K君のおかあさま」も、そうです。「K君」は、実際には存在しませんが、わたしの架空の友達あり、別の世界にいるかもしれない、世の中に絶望し、ひきこもってしまった「わたし」自身でもあります。
 だから、読者のみなさまには、「わたし」と「K君」、「わたし」と「K君のおかあさま」との対話(一方的ですけど…)を、そばで聞いてもらうという形です。けっして、読者のみなさまに、当事者のみなさまに、すべての人にあてはまる話だとは思っておりません。「わたしたち」の会話に聞き耳を立てて頂いて、役に立つところだけ聞いていただき、ちがうな、と思ったら、そっと立ち去ってくださればいいのです。聞き耳を立てるも、立てないも、自由ですから。
 でも、そうはいいながら、手紙のなかの「わたし」は、「K君」や「K君のおかあさま」の他に、ギャラリーがいることをちゃっかり想定して、お話ししています。言っていることが矛盾していますね。でも、まあ、人がまばらな喫茶店で、目の前の相手と話をしながら、ひそかに隣の席の人のことも意識しつつ話す、ちょっと自意識が過剰な人と思って、大目にみてやってください。

 「あとがき」といいながら、長くなってしまいました。「お手紙」一通分くらいの文章はあります。うーん、まあ、仕方がありません。「お手紙」のほうはフィクションとして書いていますが、こちらのあとがきは、「筆者」としての「わたし」が書いています。なので、「お手紙」に出てきた「わたし」の体験が、実際どこまで本当なのか? と疑念に思っていらっしゃった方は、こちらの「あとがき」でその答えがお分かりかと思います。

 ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。「お手紙」は一区切りつきましたが、まだまだ続編というか、そうですね、コラムとかですかね…そういう、おまけ的なものを書いていきたいと思っていますので、今後とも、読んで頂けるとありがたいです。
 そして、まだ「お手紙」のほうを読んでいらっしゃらない方は…。どうでしょうか、このあとがきを読んで、少しでも興味をもっていただけたでしょうか? もしそうであったら、本編のほうも、読んで頂けるとうれしいです。

 少しでも、わたしの経験が、そして文章が、お役に立てるとうれしいです。それでは、また。


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