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犬牽と行く美術館・博物館⑧江戸東京博物館・前編『縄文2021―東京に生きた縄文人―』2021/10/9~12/5
※この記事は日本の伝統的なドッグトレーナー〝犬牽〟の目線で美術館・博物館の展示品をピックアップして解説/考察する連続シリーズです。しかし初めて読む方にもわかりやすいよう、説明が他記事と重複する箇所が多々ございます。ご了承ください。
〇はじめに
またまた行ってきました、江戸東京博物館。
やはり2022年には大規模改修に伴う長期休館が始まるということで、特別展や企画展は見逃さずに行きたいという気持ちが私の背中を押しました。
それにしても来館したのは平日の午前中、加えて雨にも関わらず来場者が多かったのには驚かされましたね。
団体の小学生たちや留学生さんたち、スーツ姿の男性たちにご婦人方、これまで度々通ってきたであろうお年寄りの皆様、そしてラブラブなカップルと、様々な年齢立場そして国籍が共に日本の歴史に触れていく、そんな場所はなかなかありませんよね。
貴重な場として機能していた江戸東京博物館、休館するまで来館するチャンスは少ないですが、しっかりと1つ1つ目に焼き付けてきました。
〇特別展『縄文2021―東京に生きた縄文人―』
今回お邪魔させていただいた特別展は『縄文2021―東京に生きた縄文人―』です。
文字通り縄文時代(前14000年頃 – 前10世紀)を扱った特別展ですが、そこは江戸東京博物館。基本的には江戸/東京都の遺跡から発掘された出土品を中心に、縄文時代を生きた先人たちの暮らしぶりを解説しています。
江戸東京博物館が縄文時代を扱うのはなんと35年ぶりということらしく、さすが休館に向かって大盤振る舞い(?)という感じでしょうか。
ちなみに同時並行で開催されている企画展は、右側の『ひきつがれる都市の記憶―江戸東京3万年史』です。こちらは旧石器時代から現代までの東京史をズラッと紹介する内容になっていますので、重ねて観ると今自分たちが立っている土地を深く理解できるかと。
ちなみに企画展については第6回で紹介していますので、お時間がある時に是非!
それでは、詳しく展示品を観て行きましょう。
〇縄文犬と子供-冒頭イラストと『環状集落再現模型(1/20)』について-
今回の展示、犬牽としてピックアップするのは縄文犬です。
縄文犬とは名前の通り、縄文時代早期に日本列島外から人々と共に渡ってきたとされる犬たちのことです。
特別展の入口には、こんな感じで縄文犬のイラストが☝
さあ皆さんは、この犬を見てどう感じるでしょうか?
縄文時代の日本に棲んでいた犬ということで、イメージとしては柴犬などの顔が思い浮かんでいることでしょう。
しかし、実際の縄文犬は現代の柴犬などの日本犬の頭部とは異なる特徴を持っていました。
つまり、額から鼻にかけての段差=ストップが緩やかで平坦的なのです。
そう、上記のイラストのように。
一見するとちょっと手抜きのように見えるデザインですが、実はちゃんとした科学的検証の結果に生まれたイラストだということがわかりますね。
そんな縄文犬がもう一か所だけ、本特別展には登場しています。今回の目玉とも宣伝されていた『環状集落再現模型(1/20)』です。
そもそも江戸東京博物館は常設展の目玉として、巨大ジオラマ『寛永の町人地』があります☟
こちらは名称の通り、寛永は日本橋北詰付近の町人地を『江戸図屏風』・『江戸名所図屏風』・『武州豊嶋郡江戸庄図』等を元に復元した巨大ジオラマになっています。
そして中には、こんな感じで〝町犬〟(現代の地域猫のように町民から食べ物や寝床を提供された犬たち)の姿が☟
犬牽は彼らの中から〝鷹狩〟(オオタカやハヤブサなどに獲物を狩ってもらう狩猟法)において鶉や雉を追い出す専門犬=〝鷹犬〟を迎え入れていました。この展示については第3回で詳しく触れています。
今回の特別展でも『寛永の町人地』同様、縄文時代中期の環状集落(八王子市多摩ニュータウンNo.107遺跡)をモデルにした巨大ジオラマ『環状集落再現模型(1/20)』が展示されています。さすがジオラマ大好き、江戸東京博物館ですね。
ただ目玉展示ということで周りには人人人、そのため全体の写真は撮れませんでした・・・残念。
とても大きく見ごたえがあるジオラマなので、全貌は是非皆さんの目で直に確かめてください!!
さて、ジオラマ内にはこんな感じで町犬同様に縄文犬のフィギュアが☟
これが正直、かなり観にくい場所に置かれているんですよね・・・。
カメラのズーム機能をフルに使って、やっとこんな感じ☟
子供との組み合わせ&ポーズを見るに、冒頭のイラストのフィギュア版とみて間違いないでしょう。縄文犬の顔も、緩やかな平坦に見えます。
本音を言えば、もうちょっと見やすい場所に設置してもらえるといいなぁと思いましたね。犬ということで、観客の興味も引きやすかったと思いますし。
あと、この待遇と相まってか特別展内に縄文犬に関する説明がほとんどなかったと思います。詳しい人と一緒に回ればある程度の解説はもらえるかと思いますが、そうではない場合はあっさりスルーしてしまうかと。それはあまりにも、勿体ないですよね。
次の機会があれば、是非ともピックアップしてもらいたいなぁと!
〇結びに代えて
今回展示されている縄文犬と子供のイラスト及びフィギュアは、江戸時代の浮世絵を参考にしたのでしょう。
犬と子供と言えば、安政4(1857)年の歌川広重作『名所江戸百景・小梅堤』がありますね。こちらに関しては第4回で詳しく触れていますが、他にも多くの浮世絵に犬と子供の組み合わせが見られます。
先ほど紹介した『寛永の町人地』にも町犬と子供はセットで置かれていましたし、江戸東京博物館らしく江戸時代の浮世絵をモデルに採用したのでしょうね。
一方で、今回の特別展ではこんな出土品も展示されています☟
鹿及び国内では既に絶滅してしまったオオヤマネコの出土品を見れば、当時の人々が行っていた狩猟の過酷さが浮き彫りになります。
縄文犬は、そんな時代に猟犬としての役割を担っていたと考えられてきました。
死後に食料として再利用されるのが大変に稀だったという点、男性/狩猟者との埋葬が見られること、そして骨折等の怪我が治った後しばらく経ってから死亡→埋葬という例が多々発掘されていることなどから縄文犬=猟犬という論が研究者の間で定説になっています。
要は、大切にされていたんだから猟犬として重宝されていたんだろうという理論ですね。
しかし一方で、2歳以下の犬骨も多く発掘されている点はあまり指摘されません。
ここからは当時の人々が猟犬として活躍した犬だけではなく、猟犬以外の犬も埋葬/尊重していた可能性を私たちに教えてくれます。
内山幸子著『イヌの考古学』でも触れられている意見ですが、犬牽として考えればとても理に適っているかと。
それは町犬という存在として表れていますが、そもそも町犬全体の権利を尊重しなければ、当たり前ですが人間に友好的な個体は増えてはくれません。人間が食べ物も寝床も提供せず、暴力的に対応し続ければ友好的な個体は減少の一途を辿るでしょう。自ら寄って来る犬/友好的な個体のみを迎え入れる犬牽にとってそれは死活問題と言えますし、犬と人間の交流初期である縄文時代では尚更重要ですよね。
もし江戸時代の町犬と町民のような関係性が、縄文犬と人々の間で結ばれていたとすれば。子供と共に駆け回る、そんな縄文犬だっていたことでしょう。
まさしく犬牽の原点のような風景であり、俯瞰してみれば犬と人間の重大な関係期だった可能性だって浮かび上がります。
このイラストはそんな当時の、あったかもしれない風景を私たちの脳裏に浮かび上がらせてくれるのかもしれません。
(後半に続く)
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