投稿することに張り詰めていた私。
定年退職して2年余りになる私は、その間ずっと焦っていました。このまま朽ち果ててはいけない、何かをしなければいけない、続けられる事を見つけなければいけないと。
さぼり症でのんびり屋の私が、定年して毎日が日曜日になってしまったら、自分の成長が止まって、伸びきったゴムのように自堕落な日々を送りそうだと思って、自分が打ち込める何かを探していました。
そして私が見つけた居場所はnoteというステーションです。
今はnoteへの投稿を生きがいに毎日更新し続けています。私にとってnoteに投稿することは仕事みたいなものです。その仕事によって、かろうじて私の日常を維持しているのかも知れません。
投稿を始めてから間もなく20ヶ月です。毎日リラックスして過ごしてきたかというとそうではなく、張り詰めた日々を送ってきました。
自分なりに新しいものを送り出そうと懸命に投稿し続けてきたのです。アップアップしながら今日までやって来ました。
投稿を続ける中で、最近になってnoteへのスタンスが少し変わって来たなと思います。懸命に続ける思いの中に、私らしさを出す余裕が出てきたのです。
毎日続けると言うのはそういう事なのでしょう。大きなステップが踏めた感じです。
創作の楽しさがある反面、しんどい、めんどくさい、大変そんな思いも経験しながら学んできました。
張り詰めていた私の心が少し緩んできたのは、学びの素晴らしさが分かってきたからかも知れません。
そんなことを考えながら、今日もこうして書き続けています。
noteに対して、張り詰めていた私の心はほんの少し緩んできています。
【毎日がバトル:山田家の女たち】
《最近はその日その日を楽しみよるんよ》
「一日一日描きよったら気分が変わるんよね、世の中の動きも毎日変わろ、毎日いう事は大変じゃけど力にはなると思うね」
「お母さん、私は張り詰めとったと思うんじゃけど、お母さんは」
「最初は私もそうじゃったと思う、最近はその日その日を楽しみよるんよ、その日その日の気持ちを大事にイラストを描いて、俳句を詠みよるんよ、それ以外は自分が満足するもんを描きよる、そうせんと続けられんわい」
母も投稿20ヶ月を前に得たものがあるようです。noteを続けているとその時々で変化があり、学びがあるから不思議です。
どこまでも親子で渡る虹の橋
母と私が二人三脚で始めたブログ作り、noteへの投稿は自分たちが諦めない限り続いていきます。二人仲良くできる限りいつまでも創作という虹の橋を渡って行こうと言う母の思いを詠んだ句です。
noteへの毎日投稿は、私たちに創作する喜びを与えてくれているのです。
最後までお読みいただいてありがとうございました。
たくさんある記事の中から、私たち親子の「やまだのよもだブログ」にたどり着いてご覧いただき心よりお礼申し上げます。
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また明日お会いしましょう。💗
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