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山岡先生が僕に教えてくれた

◇◇ショートショートストーリー

幸一は知らせを受けて、すぐにチケットを予約しました。北海道から愛媛までは、何時間もかかりますが乗り継ぎを出来るだけ短くして、葬儀に間に合うようにタイムスケジュールを組みました。

彼がどうしても会いたかったのは、小学校時代にお世話になった山岡先生です。先生には授業が終わってから毎日、学童保育で指導してもらっていました。

幸一は、山岡先生がいなければ自分は今どうなっていただろうと思うことがあります。

シングルマザーで幸一を育てていた母は、仕事が忙しくて、彼の心のケアをするゆとりがありませんでした。寂しさや劣等感で幸一の心は閉ざされていたのです。

定年退職してから学童保育を引き受けていた山岡先生は、何よりも子どもたちを最優先にして、分け隔てなく接してくれていました。

人を差別も区別もしないお手本のような先生で、幸一にもよく声をかけてくれていました。

「幸一お前、算数のテスト35点じゃったんか、そりゃ先生も教えがいあらいや」

「幸一、お前晩ごはんは誰と食べるんぞ、一人なら先生のとこにこいや、今日はカレーぞ」

幸一は何度も山岡先生の家で夕飯をご馳走になりました。

英語が得意だった先生は、学童保育で英会話教室を開いてくれました。幸一は先生の教え方が楽しくて、いつの間にか英語が話せるようになったのです。

ある日、幸一が目にアザを作ってきた時、先生はその理由を本人には聞かず、同じクラスの同級生から「クラスのガキ大将にからかわれて、投げたボールが当たってアザができた」と聞くと、その日から暫くは、幸一が学校に来るのが嫌にならないように、自宅まで迎えに来てくれていました。


学童保育で英語を学ぶようになって幸一は英語が好きになり、中学に入ってからは人一倍勉強するようになって、今は中学校で英語の教師をしています。

山岡先生の訃報を聞いて、彼はとにかく先生にお別れしなければと思ったのです。

どうにか葬儀に間に合った幸一は、先生が乗った霊柩車が立ち去るときに、涙を流しながら大きな声で言いました。


「山岡先生、ありがとうございました」


その時、同じようにあちこちから「山岡先生、ありがとうございました」と言う声が聞こえたました。

山岡先生の子どもたちを思う気持ちは幸一だけではなく、多くの教え子たちの心に深く刻まれていたのです。



【毎日がバトル:山田家の女たち】

《心があったら通じるんよ》


仏壇でお経をあげた後のばあばとの会話です。

「今頃は、そんな先生は少ないけど、今でもおらいねー、きっと」

「うちのお父さんもそんな人じゃった」

「よう家に子どもらが遊びに来よったよねー、心の問題よ、心があったら、通じるんよ

私はこのショートショートストーリーを書きながら父のことを思い出していました


【ばあばの俳句】

念願のお出かけ日和夏深し


以前から母と私が一緒に出掛けたいと思っている場所があります。夏の初めに出掛ける予定がこの時期になっても実現していません。

気がかりなことは早めに済ませたいのに、コロナ禍や気象状況で中々思うようにいきません。イラストの中だけでも実現させようと母がこのイラストを描き句に詠みました。


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私のアルバムの中の写真から

また明日お会いしましょう。💗

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