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今この瞬間を、切り撮りたい

きっかけは、歌詞

イヤフォンを手放せないこの頃。
音楽は聴いていても、どうやら歌詞はあまり聴いていないようです。
私は歌詞よりメロディが強く印象に残るようで、音階で歌えることの方が多いのです。

そんな私でも、曲によって印象に残っているフレーズがあります。

いつかもし子供が生まれたなら教えよう この場所だけは伝えなきゃな

Hilcrhyme「春夏秋冬」

私は小学生の頃から、将来子育てをしたいと思っていました。
そのためまだ誕生していない将来の子どもを念頭に置いた歌詞にすごく共感したのです。

そしてもう一曲。

綺麗な夜空を見つけた 君にも見せてあげたくって
写真に撮ってみたけど 思ったより綺麗に写らなくて…

Aqua Timez「つぼみ」

私の趣味は、絵を描くことです。
1人の自分が耳元で囁きます。

「もう写真があるのだから、絵なんて描く意味ないじゃん」

実際、絵の真の目的は、写真で代用できるものだと思います。
誰かに状況を伝えるためであったり、後世に記録を残すためであったり。
でも私は信じ続けたい考え方があります。

 きっと、好きな人にも景色を見せたかったから。
だから人々は絵を描くようになったのだ、と。

これこそが、絵を描く意味。

だから絵は無くならないし、VRやAIの画像生成が発達しても写真は無くならないと思っています。

切り撮れば、教科書通り

私は新たな場所に訪れることが大好きです。

それはお昼のランチもそうですし、
週末の国内旅行や夏休みの海外旅行でも同じです。

だけどお土産は買いません。
一時期までは必ずキーホルダーかマグネットを買い、集めていました。

しかし、なんとも儚いのです。
年末の大掃除でふと出てきても結局「あれ、これどこだっけ」

あの旅行で感じたワクワクも、
キャンセルできないぞ、と覚悟を決めた飛行機も、
1円でも安いとこをと睨めっこした格安ホテルの匂いも。
泡沫の過去として引き出すことができないのです。。。


それ以降、旅行先では必ず写真を撮ろうと決めました。
その理由は、"私がここに来た" という証明です。

写真を見返せば、
ああ、大雨で大変だった。とか、
そうそう、懐かしいなこの服。とか。
大切にしまっていた宝箱が次々と開放されるのです。

しかし万能ではありません。
もどかしいのは、写真に撮ると記憶が切り取られてしまうこと。

カメラは否応なく四角く景色を切り取ります。
枠からはみ出た現地人の雰囲気や、この日の温かい気温と涼しい風。
鼻をくすぐる潮の匂いは記録してなどくれないのです。

そしていつの間にか、写真を撮った四角い記憶だけが思い出として刻まれていきます。

何とも皮肉なのが、特にこういう場所。
例えば、アウシュビッツ。

こうやって写真で見るとなんか見たことある


例えば、パナマ運河。

教科書などで見るやつだ・・・

実際に現地に訪れた高揚感を排除された将来。
そこに残るのは「あ、教科書で見たやつね」の一言。
呆気なく片付いてしまうのです。

綺麗に映るのは、瞳が汚れたせい?

部屋を掃除したとき。
部屋からの景色に見惚れてしまったことがあります。

なんだか部屋が明るい気がします。
空気が澄んでいる気がします。

その理由は、網戸でした。
網戸についたホコリが、光を遮り空気を黒く染めていたのです。

時々、写真を撮り忘れることがあります。
それはきっとその瞬間が美しかったから。
幼き頃、写真なんて撮る必要がなかったのは、写真で撮らなくても目の前が美しく映えて見えたから。

きっと私の瞳か心がくすんでしまったから、写真の方が綺麗に見えるんだ。

成長した自分に寂しさを覚えていた矢先。
マイナス40度の地で、オーロラを見たのです。

オーロラを見にカナダのイエローナイフへ

驚きました。
なんとオーロラは、写真の方が綺麗に映るのです。

理由は、星空を撮るのと同様にシャッターを開けっぱなしにする必要があるからです。
星空の写真が円を描くのと同じ原理です。

人の目で見ると、今この瞬間に輝くオーロラを継続的に見ます。
一方の写真は、数十秒間に光ったオーロラが1枚に集約されるのです。

そして、日本でも思わずため息がこぼれました。
日本のウユニ塩湖と呼ばれる香川県で夕日を撮った時。

シルエットになった!

人間の瞳は能力が高く、逆光でも表情は読み取れます。
人がシルエットとして切り抜かれ、そこに存在できるのは写真ならではの美しさが現れます。


気付いたのは、宝箱を開ける鍵

私は間違っていました。
写真は宝箱。
思い出を大切にしまい込んでくれるものである、と。

違いました。

宝箱は自分の心の中にあり、
写真は宝箱を開けるための鍵。

普段は洞窟の奥底に、ギュッと口を閉じて秘められている宝箱。
ひとたび写真という鍵を手にすれば、見る見るうちに明るく輝き飛び出してくるのです。

これこそが、写真を撮る意味。

こうして私は、
思い出を思い出すために写真を撮ろうと決めました。


これまでは、美しきものを残したくて撮っていました。
それからは、まちの雰囲気やこの時の気持ちを思い出せるように写真を撮りたいです。

キューバ人の暮らし


〜おまけ〜 思い出のタイムトラベル

これだから写真はやめられません。

私が20年前、ベビーカーで行った(らしい)北海道旅行。
ちょうど20年が経ち、先日一人で北海道へ。

当時の写真を手に、5ヶ所を巡り同じ場所で写真を撮りました。

20年前を辿る北海道旅行

公園に座って焼きとうもろこしを食べた(らしい)場所に座ってみたり。
アイスクリーム屋さん(当時のまんま!)でアイスを買ってみたり。
小樽の橋で同じポーズをしてみたり。

若き日の両親と、幼き兄弟。
どんな時間を過ごしていたのでしょう。

私の知らない私の過去を、追体験することができました。

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