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ロックダウン解除で工事再開【#9家にまつわるストーリー】

コロナ禍での夫の闘病が始まりました。ストーマ造設術の後、残された治療は抗癌剤治療か、何もしないことだけとの説明を受けました。

手術を担当して下さった結腸、直腸手術専門医のドクターは、「何もしないこともひとつの選択です」とわたしの目を見ておっしゃいましたが、夫は抗癌剤治療を受けることを選択しました。

その後、治療を始めるにあたり、オンコロジスト(腫瘍や癌の専門医)と面会。コロナ禍なのでわたしたち家族はタブレット越しのバーチャル参加です。その後も抗癌剤治療に備えてのバーチャル講習を受けたり、ポート挿入の手術を受けたりと着々と抗癌剤治療(キモセラピー)のための準備が進み、4月半ばから、2週間に一度のキモ闘病生活に突入しました。

夫は抗癌剤が効いてくれることに望みを託していました。効いてくれれば、癌も小さくなってさらに手術で取り除くこともできるかもしれないと、前向きに立ち向かう日々でした。

ドリーム・ホームで過ごせる日々を夢見て、治療中も建築会社のセールスマネージャーのジェフや現場監督のトムと、よく電話をしていました。

青写真ができる前から何年も話合ってきたジェフやトムにいろんな質問やアドバイスをもらったりと毎日のように話していました。それぞれが信頼しあっているようでした。

コロナ禍なので、現場に気軽にでかけられません。大工さんも一度に働ける人数が制限されています。それは、資材を生産する現場などでも起こっていることなので、その影響からあらゆる資材の調達にも遅延が起こりはじめていました。

とはいえ、少しずつ工事は進み始めました。5月の10日に現場に寄ると、屋根の骨組みとなるTrussトラスが届いていました。

抗癌剤治療が始まってからの夫の体調はかなり不安定でした。

特に抗癌剤を投与するときにはハイパーになる薬も入るためか、夜も寝ずに家の図面を眺めていたり、キッチンキャビネットのレイアウトとにらめっこしていました。

抗癌剤投与が終わってしばらくすると、今度はその副作用で目に見えて衰弱していました。歩くこともつらそうで、自力でトイレに行くことがやっとという日もあり1日のほとんどをベッドで過ごしていました。

ただ、頭はしっかりしており、起きているときにはジェフやトムとよく電話でやりとりしていました。

How are you doing?
I'm doing good!

ってな調子で、ふたりとも声だけしか聞いていませんから、夫が末期癌でこれほど衰弱しているとは知るよしもありませんでした。

それでも夫にとっては、家を完成させるというゴールが今の生きる希望でしたから、ベッドやソファーのまわりには、考えをまとめるための紙が散乱しています。

1週間後の5月17日には、トラスが設置されて屋根ができていました。建築会社にとっても、ロックダウンなどこれまでに経験したことがない状況です。工事完了が契約より遅れてしまわないかと心配し、できる限りスピードアップに努めてくれていましたが、正式に完工が遅れるので、契約変更を承諾してほしいという連絡が来ました。

夏前に完成のはずでしたが、10月の4日に変更で了承してほしいとのことでした。こればかりは、誰が悪いわけでもありませんから、了承するもしないもゴネても始まりません。

【手前側は、夫のほしかった巨大ガレージの部分】

さて、さらに2週間後の5月の終わりには地下部分にコンクリートの床もできて、屋根材も貼り終わり、窓やドアもつけられと……目に見えて工事は進んでいました。

ただ、この間も夫の体はどんどん弱っていきました。

現場に出向いて、自分の目で進み具合を確かめたくともその体力はありませんでした。そんな中、ありがたかったのは州立大学の教授だった夫は、前期をオンラインクラスで乗り切り終了していたために、新学期が始まるまで仕事のことは考えなくても良いことでした。

夏休み中はしっかり闘病と家のことに専念できます。

闘病はつらそうですが、全神経を集中できるドリーム・ホーム実現プロジェクトがあったことは大きな救いでした。寝ても覚めても家のことを考えているようでした。体力は落ちているものの、この時点でもメールや電話でジェフやトムとは頻繁に連絡を取り合っていました。

工事の進展については、スマホやコンピューター上で確認できる共有アプリを使っていました。建築会社に出向くことなく、全てオンライン上でサインすることで、正式な契約変更の締決、支払いまでができました。

変更があるごとに修正契約書がpdfであげられ、読んで確認したらオンライン署名で締結完了というテクノロジーを駆使してのやりとりです。

工事は順調に進んでいましたが、6月になると、電気工事、配管工事、空調工事のために、現場での打ち合わせがどうしても必要だから現場ミーティングに来てほしいとトムから連絡が入りました。

さて、どうしましょう!!

夫は免疫力が落ちまくっている末期癌患者ですから、新型コロナウィルスへの警戒レベルはウルトラ級です。しかし、電気配線をどこにどう配備するのかなどは、わたしには到底わかりません。

ミーティングの約束の日、体調悪く現場に行けないことを想定して、夫は次男に一生懸命、自分の伝えたいことを説明していました。次男はハイスクール時代に家の建築設計のクラスを受講し、作品は受賞歴もあるので、図面の見方、建築のイロハを多少理解しています。

約束の当日、なんとか歩けるようだったので、次男夫婦にも付添ってもらい、現場に行ってトムたちと会いました。工事着工すぐのころから比べて半分ぐらいの大きさになってしまっている夫の変わり果てた姿を見たトムはこのとき、はじめてただごとでない夫の体調の変化に気づいたことでしょう。

【体力を振り絞って夫はなんとかミーティングを終えました】

夫は、弱っているのは、抗癌剤治療の副作用のためだから、抗癌剤治療が一段落すれば回復すると信じていたようです。一方のわたしは、あまりの衰弱ぶりの早さに、夫の命がいつまで持つのか?とかなり心配になっていました。

どんどん食が細くなっていて、体も目に見えて小さくなっていました。頬がこけて、髪も薄く白くなり一気に20歳老けた感じです。知らない人が見たらもはや別人でした。

夫になんとか食べてほしいと思っても食べてくれない。無理強いしても始まらないけど、食べなければ死んでしまう。毎日そんなことと格闘しているわたしの側で夫は、ひたすら家の図面を眺め、自分が伝えたいことを絵に描いてはトムに添付メールを送っていました。

そして、このころわたしは、日記にこう記していました。

「もうすぐ死んじゃうかもしれない」そう思うから悲しいのだ。
「死んじゃうのはいつかわからないけど、死んじゃうまでは生きている」
そう考えるようにしよう。

側で闘病に付き合っているわたしは夫の時間が限られていることを夫以上に予感していました。

宣告から3ヶ月ほど経っていますが、自分でトイレに立つことが困難な日もありました。物理的な介護は、健康なわたしにとってはたいしたことではありませんでしたが、何がつらいって、これまで威張っていた夫です。

そんな夫がわたしの介護なくしては暮らせない立場になってしまったことの、夫の精神的な苦痛を想うと可哀想で涙がこぼれました。それを悟られないようにごまかしていましたが、あうんのわたしたちなのですから、泣いているわたしにほんとは気づいていたかもしれません。気づかないふりをしていただけで……。

だからこそ、家のことで頭をいっぱいにしている夫を見るときには、ちょっぴり救われた気持ちになっていました。

【#10家にまつわるストーリー】に続く




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