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さよなら炒飯!一皿目

あの頃の俺たちはよくわからないままフルスイングしていた。それでもそれは僕らの想いと意志だった。

重厚な企業が集まる大手町。
その一角にある少し風変わりな中華料理屋「金龍飯館」。
ランチは炒飯だけ。そして客に長居を仕向ける。儲ける気があるのかわからない。バイトとして入った28歳「朔ちゃん」は惰性で炒飯を運ぶ毎日。
ある夜、高校の野球部でバッテリーを組んだキャッチャー「嶋津」と再会する。嶋津も失意の28歳だった。
「これで終われない」
二人は自分たちが何者かになるためのヒントを大手町の金龍飯館に見つけた。
中華料理屋 高校野球 データ 株式 伊能忠敬 天文学をめぐる
青春ハードボイルドエンターテイメント!

あらすじ

その店だけ時給が飛びぬけて高かった。

二十八歳で職を失い、とりあえず金を稼がなくてはならない。口座にある数字をかきあつめても家賃二ヶ月分。ファミレスでメニューを選ぶのに躊躇する。実家はそこまで太くない。
転職でステップアップを目指すところだが、正社員ってやつがしんどい。責任、決断、上司、後輩、顧客。そんなもの考えたくない。
バイトを探す。実入りがよい肉体労働を考えたがキツイ事はしたくない。飲食店がいいかもしれない。それもチェーン店でなく、個人経営の店。チェーン店だと店長が年下の可能性がある。うっとうしいバイトリーダーがでかい声で騒ぐのが耐えられない。


大手町 オフィスビル一階 中華料理店
ホール担当
平日九時~十六時 週三回以上
待遇○○○○円


時給が目を引いた。相場の2.5倍はある。場所はメガバンク本店、政府系金融機関、総合商社本社や巨大インフラ企業がひしめく東京大手町。大手町の店ならそこまで酷い店ではないだろう。大手町に勝手に信用と信頼を塗り付けるあたり、自分の権威主義的なものを見た気がして少しうんざりする。でも、あながち間違ってはいない気がする。
店名を検索すると前は新宿にあったらしいが、情報はそれしかない。個人経営のようだ。
店の名は金龍飯館。
 
面接に出向いたビルは大手町と丸の内の境い目。周りのビルに比べかなり古びているが、人の出入りは途切れない。
年下に見える童顔の優し気な男の子一人が面接をする。色白で背が高く、細身でバランスのとれた体つき。フィギュアスケートの選手にいるかもしれない。店の椅子に座って待つ僕の前に音もたてずに現れた。挨拶もせず、僕の名前も確認しない。
「使い捨てにされたことってある?」
柔らかい微笑みで僕に問いかける。バイトの面接にしてはエッジの効いた質問だ。 とっさに答えた。
「どうなんでしょうか、人は誰しも使い捨てにされて、使い捨てにしてるんじゃないでしょうか」 
SNSで自分大好きなおっさんが講釈垂れている様な言葉を思わず口にした。目の前の男の子の反応は薄い。後は条件などの説明を受けて面接は終わった。今回は採用一人に応募が四十人以上だそうだ。次を探そう 。
三日後、深夜にメッセが来た。明日から来て欲しいと。




中華鍋を玉杓子でうち鳴らす音が響く。狭い厨房に炎が上がり、瞬時に消える。少しくたびれたビルの一角。街中華より少しだけ高い。内装もそれなり。気取った雰囲気はない。六人入れる個室が一部屋、四人掛けテーブル席が四つ、カウンター三席。周りの店に比べると小さな店 。
かき入れ時のランチ。炒飯、五目あんかけ炒飯、カニあんかけ炒飯。三種の炒飯だけ。全てのメニューに大ぶりの焼売が三つ付く。汁麺はメニューにない。夜はオフィス街真ん中のビルということもあり、街にいる人が極端に減る。予約が入った時だけの営業。 
ボリュームがあるので周辺のビルからも客が来る。何より旨い。厨房のリーさんは小柄、白髪で短髪だ。無口だが公園で孫たちが遊ぶ様子を目を細めて見る優しいおじいさん、そんな風貌だ。小さな体で中華鍋を二つ同時に使う。かんかんと音を立てながら、交互に鍋を振る様は圧巻だ。まるで阿修羅像の三面六臂。

リーさんは炒飯をわざわざ二種類作る。あんかけが載らない炒飯は少し油を多めに使いしっとりとさせる。あんかけが載るものはパラパラの炒飯。濃厚なタレで豚肉やカニと炒飯を絡める。
昼に合わせて大きなせいろで蒸される焼売は大ぶりで肉汁があふれる。
僕を面接したヤン君の仕込みだ。ヤン君が焼売を包む姿はしなやかで美しい。体のどこにも力が入っていない様に見える。無駄な肉がなく、しかし体幹は強靭に見える。細く長い指から焼売が生まれる。その焼売、リーさんはまだまだだという。
ヤン君がリーさんのサポートをする。二人の流麗な動きは金が取れる。リーさんの炒飯を玉杓子から皿に受け取り、ヤン君はすぐさまあんかけをかける。それをいくつかの作業と同時に行う。ヤン君の動きは滑らかで全ての関節に高級なオイルが注されているようだ。朔ちゃん!と呼ばれ、僕が客に運ぶ。

客が店に入り席に着くと、ホール担当の僕が有無も言わさず焼売とジャスミン茶のポットを差し出し注文をとる。先に焼売を出すことで客の待たされる感が減る。回転率も上がる。ここで注文を迷い「後で」とか言う客がいる。この時間帯に三種の炒飯から選べない。お前、仕事もできないだろ? と念を送る。
大手町のランチはシャレにならない。皆がしっかり十二時から一時の横並びの休憩時間。 店は戦場だ。僕だけでは廻しきれない時間帯がある。オーダーの順序やメニューを間違える。思わずカウンターに目を遣る。ヤン君が素晴らしい判断で僕のミスをリカバリーする。
ヤン君は注文をさっさと決めない客に、これ以上ないにこやかな顔を近づけ言う。
「いつもありがとうね」
ヤン君が言い終わらないうちに客はメニューを指さす。そのテーブルは操られたように早く食べ終わる。ヤン君は言う。
「近くなるだけで仲良くなれるもんだよね」

汁麺がないから回転が速い。リーさん曰く、炒飯に比べると回転率がかなり悪い。汁麺は食べるのが速い人でも店を出るまで十五分以上掛かる。炒飯ならオフィス街の昼休みに客が二~三回転できる。リーさんは言う。
「一番大事なのはお客のお話が弾むこと。そんなお客さんがたくさん来る事」
確かに汁麺をすすりながら会話が弾む人は色々微妙だ。
リーさんはこんなことも言う。
「本当にお腹が暖まるのは汁麺じゃなくて、ご飯もの。汁麺は熱くなるけど汗をかいてすぐに冷えちゃう。ご飯はお腹の中でずっと温かい」

ヤン君は言う。
「朔ちゃん、早く食べても楽しく食べれば会話も弾むよ。一人で食べると自分を見つめてしまう。それはとっても辛い。うちはみんなでお話しながら食べて欲しい。でも一人でしか食べることが出来ない人もいるから、カウンター席もある。だからカウンター席の人には一言でいいから話しかけてあげてね」
なので話しかける。どちらのビルでお仕事ですか、ああ、あちらのビルですね。そんな簡単な会話をするだけで結構な確率でリピーターが生まれる。社会に参加している様で悪い気はしない。
店に入ったばかりの頃はあまりのスピード感にひるんだ。
今はそれが心地よい。



大学卒業後、セールスプロモーションの会社に入った。広告はなんとなくかっこいい。それだけ。僕が入った会社がたまたまだったのかもしれないが、業界の流れで言うと最下流。キャンペーンが投下される順はCMや新聞、雑誌、ネットなど。セールスプロモーションは最後だ。

プロモーションで訴求力があるのは「景品」。予算内で消費者に訴求力のある景品を探す。一キャンペーンで五コース。二十個の景品の提案をする。労力がかかる。朝から営業に行き帰社が十八時。そこから見積の依頼と整理。会社に泊まることも多々ある。スーツが臭う。
数字が上がらない。入社三年目ぐらいから常務に執拗に絡まれた。理由はわからない。お前は会社にたかるウジ虫だと言われ、それが二年以上続いた。
ある日彼が延滞していた自宅の電話料金を代理で払って来いと言われる。相当遅れたらしく、振り込みができずNTTまで行かなければならないと言う。
四万ほどの現金を預かり、営業の帰りにうんざりしながらNTTに向かった。受付の五十代の男性から、何故本人が来ない、あなたは誰なんだと説教を喰らう。そして振り込みでもよかったと言われた。延滞した料金は何故か八千円ほどだった。酷く消耗して社に帰る。

会社のエレベータに乗り、階のボタンを押す。ゴンゴンとエレベータが動く。ドアが開いても降りることが出来なかった。もう一度下まで降りる。上に行く。下に行く、上に行く、下に行く。五往復ほど繰り返した。何かが切れた。
常務のいるデスクを渾身の力で蹴り飛ばした。PCが派手な音を立てて飛ぶ。書類が舞い、ペンが転がる。常務は驚き慌て席を立った。僕はフロアに響くように大きな声を出した。お前の延滞した電話料金、なんで俺が払いに行くんだ。俺はお前の何なんだ。
常務は周りを見渡し、必死の笑顔を作り、こちらに向かって来る。僕は傍にあったシュレッダーに釣りの三万二千円を入れた。 
 


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