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さよなら炒飯!六皿目

一年の秋から嶋津と並木がキャプテンや監督に打順を提案した。
二人の提案は打率だけではなく、出塁率、長打率を踏まえた数値からだ。
並木の笑顔での説明はわかりやすく、監督をはじめ二年生も納得した。
なので今までの常識であれば四番に座るバッターが一番や二番になる。
しかしOBが黙っていない。十七年前に一度甲子園に出た。しばらく低迷していたが、今年のチームは期待できる。OBが我が物顔でやって来る。
彼らにとって珍妙な打順が目の前にある。練習試合後、彼らは監督に詰め寄る。よせばいいのに嶋津が割って入る。
「あなたたちの野球は十年以上前で止まっているんすよ、言うだけの人が僕らの責任取れるんですか、BABIP知ってます?」
乱闘になる寸前に並木が周りを包むよな笑顔で止める。
練習中にもOBがやって来る。一人が僕につきっきりになる。彼らがやろうとしていることは自己満足だ。僕の事なんて考えていない。でもここで僕が何か言っても面倒な波紋を起こすだけ。笑顔で流せばいい。
しかし嶋津が目を怒らせてやって来る。
「何してるんすか」
「こいつのフォームを修正してるんだ」
「何のためですか」
「スピードを上げるために決まってるだろ」
「球速あげてどうするんですか」
「あ? 球が遅いピッチャーより速い方がいいに決まってるだろ」
「誰が決めたんですか?」
「当たり前だろ、そんなことは」
嶋津のマシンガンが火を噴く。
「球速あげてコントロール乱れたらどうするんですか。そのダイナミックなフォームで県予選七試合投げ切れるんですか。体持ちませんよ。球速よりもコントロールと体力の使い方の計算っすよ、思い込みと思いつきでうちのエースいじらないでください。草野球やってるんじゃないんですよ」
向こうから並木がにこやかな笑顔で和やかな仲裁を連れて来る。

嶋津が言う。
「朔ちゃん、なんでなんも言わないんだよ」
「だってあいつらは俺が何言おうとも話し続けるだろ」
「俺たちは甲子園行くために色々決めただろ。あいつらはそれにたてついてきてるんだぜ?」
「結果さえよければいいじゃん」
「その結果って誰が作るんだよ、俺たちだろ。俺たちが判断して決める中で生まれるんだよ。0.295だ。お前エースなんだからふらふらしてるんじゃねえよ」
嶋津は僕らから離れる際に結構デカい舌打ちをした。

並木が嶋津を目で追いながら言った。
「何かを決めることは軋轢を生むんだ。朔ちゃんはその波の陰でこっそり進めばいい。嶋津はああいったけど、肝心なところは嶋津が決めるだろ。朔ちゃんは今まで通りでいいさ」並木が笑う。
「そんなもんなのか」
「そんなもんだ」
並木は僕の肩に腕を乗せて嶋津を見ていた。

十二月。
冷え込みが厳しい夜、嶋津の部屋で並木と三人でデータ分析をしていた。
嶋津の家は物持ちがよい。随分古いものがある。扇風機は多分二十年以上前のものだ。階段や廊下は丁寧に磨かれているが歩くとぎしぎし音がする 。
僕らは表計算ソフトが何とか動く古いpc二台とタブレットで入力をしていた。
嶋津はすでに上半身半裸だ。並木が二十枚ぐらいのポテトチップスを重ねて口に押し込み、一度にかみ砕きながら言った。
「高校で野球やっているからには甲子園は誰もが目標だけどさ、嶋津の気合ってかなり強いよな」
「そうか?」
「なんか理由あるの?」
いつの間にか三人とも手が止まっている。ポテトチップスは四袋目。全部特大濃厚にんにく醤油味だから凄い匂いがしているはずだ。隙間風は入って来るけど、三十年は使っているはずの石油ストーブを真っ赤にしているので部屋は暖かい。ストーブに載せたやかんの蒸気で窓が曇る。嶋津が言う。

「小学校一年ぐらいかな。隣で由美と由美の母ちゃんと三人で高校野球見てたんだよ。野球ってよりも甲子園のわけわかんない熱気に由美がものすごい興奮して喜んでてさ。あれ、夏にエアコン効いた部屋でアイス喰いながら見ると何か胸に来るものあると思わね?俺も何か飲まれちゃってさ」
「それで野球始めたの?」並木が聞く。
「それだけじゃないんだけど」
嶋津は自分が抱えている業務用特大ポテトチップの袋に並木が手を突っ込んで食べているのに気を払わずに言った。
「その頃にさ、自転車で二人乗りしてたんだよ。何にもないところで調子に乗ってスラロームしてたら吹っ飛んじゃった。結構スピード出てて。俺は何ともなかったんだけど由美が左足の靭帯とか切っちゃって。高校入る前にボルト出す手術したんだけど、そのせいか、軽く引きずるんだよね。負い目はあるよな」
嶋津の後ろ向きとか、何かを背負う様な言葉を初めて聞いたような気がした。彼は人そのものに興味がある様に見えない。どんなボールを投げたのか、そして次のコースはどうするのか、僕がピッチャーでなくてもいいと思えることが時々ある。でも由美ちゃんは違うのか。自分で恥ずかしかったが、少し由美ちゃんが羨ましかった。

階段を大きな音で上がって来た由美ちゃんがそのままの勢いで派手にふすまを開けた。
「うわ、くっさいなぁ。なにこの匂い。ニンニク?ていうか、君たち勉強してんの?プリント渡したじゃん」
色褪せたオレンジのトレーナーに履いているのは高校のジャージ。
「由美、30点コースってない?」嶋津が聞く。
「アホなの?赤点以下じゃん。三人いたんだ、ちょっと待ってて」
由美ちゃんは日本酒の四合瓶と何かの包みを持ってきた。瓶のラベルには剣菱。
「飲んじゃおう」
嶋津はにやけながら湯呑を四つ用意した。これは表ざたになったらシャレになんないなと思ったけど一升瓶じゃないからいいかと適当に納得した。並木が聞く。
「何この流れ。よく飲んでるの?」
二人はへらへらして答えない。なんだかんだで並木も僕も由美ちゃんから湯呑を受け取った。
「由美ちゃん、まだ学校のジャージなの?」僕は聞いた。
「ん、このジャージは洗濯したやつ」
「どういうこと?」
「お風呂入って洗濯したジャージ着たってこと。もちろんこのジャージで寝るよ?そのまま学校に行けるでしょ」
「という事は二十四時間ジャージかよ」
由美ちゃんがそう言うと、世の中の高校生はジャージで寝ることが正しい気がしてくる。
「前から思ってるんだけど、由美ちゃんジャージすごく似合うよね」
「すっごい複雑な褒め方だけど、そのまま受け取っていいのかな」
「まあ、思ってもないことは言わないよ。いいな、と思ったたら言った方がいい」
由美ちゃんは嬉しそうに、僕の背中を結構強くバシバシと叩いた。
「由美ちゃんってさ、むちゃくちゃ成績いいじゃん。なんでうちの高校なの?」
この間の模試由美ちゃんは東大を狙える勢いの点を取っていた。
「うちの高校、近いじゃん」
「それだけかよ」並木が言う。
「それだけ!」
由美ちゃんは嶋津を横目に笑いながら答えた。誰がどう考えても嶋津と同じ高校が理由だ。聞いた僕がどうかしている。並木が僕を見て笑っている。
由美ちゃんは「そんなことより」と手にしている包みを差し出した。
「何それ、うまいのか?」嶋津が言う。
「お前にはやらない。並木君と朔ちゃんにあげるから」
由美ちゃんが包みから三冊の色違いのノートを取り出した。
「なんか、すごいかっこいい」
思わず僕は言った。並木もノートを手に取り「サイズがいつものノートと違うな。すげぇ高そう。このゴムバンドで閉じるの?」と聞く。
角が丸みを帯び、中の紙質はとても滑らかにペンが進みそうだ。
「モレスキン。ピカソとかヘミングウェイが使っていたノート。君たちデータとか扱うわけでしょ。スマホでもいいけど、白紙のノートだからひらめいちゃうこともあるかなって。早いけどクリスマスプレゼント」
皆で雄たけびをあげ、ノートを手に取った。高級品にもほどがあるので並木が聞く。
「由美ちゃん、これ大丈夫か? なんかむちゃくちゃ高そうだけど」
「そんなつまらないこと考えなくていいの。普通のノートの十五倍」
嶋津が「言ってんじゃん」と笑いながら手にとり、表紙を撫でている。

深みのあるネイビーとオフホワイト、鮮やかな明るいレッド。並木が「色、どうする?」と言う。僕らは自然と手が伸びた。並木がネイビー、僕がオフホワイト、嶋津がレッド。嶋津のペンを借り試し書きをする。書いた文字が素敵に見える。触り心地もいい。
「それにしても、三人とも考えた通りの色を選んでくれたね」由美ちゃんが言った。
「並木君が奥深いネイビーでしょ、朔ちゃんは何物にも染まるけど、何物にも染まらない、ホワイトじゃないオフホワイト。嶋津は危険色」

深夜になった帰り道。僕と並木になぜか二人が付いてきた。結構飲んだので四人とも足元がおぼつかない。由美ちゃんはベレッタM9のモデルガンを振り回している。慌てて僕と並木が奪い取り、並木がコートのポケットに押し込んだ。由美ちゃんは強盗だと叫ぶ。まるで迷惑が歩いている。
嶋津が少し大きな声で言った。
「今日は新月、月は見えない。新月って言うことは朔の日だ」
「それって、あれだ、朔太郎の『犬に吠える』ってやつだな」並木が嬉しそうに言う。
「犬に吠えるって何なんだ、並木君、犬が犬にわんわんって言ってどうすんの。あれ?本当は何だっけ」
もちろん萩原朔太郎の「月に吠える」だが、そこは放っておく。

深夜の誰もいない公園。さっきまで嶋津の部屋の窓を叩いていた風は収まっていた。冷え込みがきつく、空気が乾燥している。高い位置にある月がくっきり見える。嶋津は冬は月の軌道が高いからなと言い、公園のトイレに行った。そのタイミングで並木がかなり大きな声で歌いだした。その声は夜中の住宅街を包み込むような、素敵な歌だった。

やたらマジメな夜 なぜだか泣きそうになる
幸せは途切れながらも続くのです

スピッツのスピカだった。並木の歌声はいつもの穏やかに周りを収める声ではなかった。美しくも何かを渇望したような、そんな歌声が夜に消えていった。
トイレから戻って来た嶋津が「すげぇデカいのでた」とスマホの画像を僕らに見せようとした。由美ちゃんが「せっかく並木くんがいい歌うたっていたのに、お前のうんこで上書きするとは」と嶋津の胸倉をつかみ、引きずり倒そうとしたので僕と並木が割って入る。
そんな事をしているうちに由美ちゃんが公園の植込みに倒れ込み、助けようとした僕らも植え込みに倒れ込み、四人で芝生に転がった。

「やるからには、甲子園とか行きてぇ」嶋津が言う。
「行きてぇじゃなくて、いくんじゃなかったっけ」僕が返した。
「甲子園に行ったら何かあんのかな」並木がつぶやいた。
「行かないことにはわかんねぇよ。行ってから見える景色があるんじゃね?何かあるかもしれないし、何にもないかもしれない」僕が言った。
行ってから見える景色とかそんな事考えたこともなかった。なんでここでそんなことを言ったのかもわからない。
嶋津が起き上がり、僕の頭を嬉しそうに笑いながらぱしぱしと叩いた。

乾いた冬の夜空に僕たちをさえぎるものは何もなかった。




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