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さよなら炒飯!三十皿目

「朔ちゃんは聞きたいことまだあるでしょ。何で僕だけ捕まったんだって」
ヤン君はその棒のようなものを三回ほど左手の人差し指でなで、また内ポケ
ットにしまった。僕は優衣ちゃんを連れて来たことを心から後悔した。僕だけが捕まった事はもうどうでもよかった。聞きたいことは聞いた。ただ、ヤン君は喋りたい。喋ることは彼のストレス値を下げる。僕たちに活路が見いだせるかもそれない。
「警察の動きは把握していたはずだった。でも急だった。僕らはいつでも動けるようにしてた。だから何とかなった。それでも唐突すぎる。タイミングが全くつかめなかった。問題は朔ちゃんと嶋津だ。僕は君たちから情報を頂いていた。だから何とかしてあげたい。別に何とかしなくてもいいんだけどね。ただ、朔ちゃんには伝えるか迷ったよ。だって朔ちゃんは別に法に触れる様なことしてない。ここで逃げたら逆にまずい。勘ぐられる。口座のお金も抑えられるかもしれない。嶋津はだめだ。執行猶予はつくけど金融商品取引法違反は間違いない。だから嶋津には教えた。朔ちゃんは大変だったと思うけど留置所でよかったんだ。取り調べにも対応できたし、訳の分からない自白もしなかった。そこも予想通り。嶋津が朔ちゃんに連絡なしに消えたのも完璧だ」

頭から蛇に飲まれた様な気持ちの悪さが僕を覆う。勝手に行く末を握られている。でもそんな中でも少しほっとしていた。嶋津はヤン君やリーさんの恐喝に絡んでいない。そして「やさしさをあなたへ」を標榜する企業の「カウンセリングの名簿と個人情報が流出」した件。その流出にも絡んでいないはずだ。名簿流出は恐らく嶋津と一緒の部署にいたマーライオンちゃんがやったのだろう。彼はサーバーを自由に扱える。そして名簿が流出すると顧客のプライバシーが損なわれる。その様な事は嶋津はしない。
「何のために僕の部屋を盗聴?」
「相変わらずだね、朔ちゃんは。こうなった以上、僕とかリーとかの事を朔ちゃんが軽々しく喋ると困るでしょ。朔ちゃんが素晴らしかったのは警察で僕らの事とか嶋津の事とかしゃべらなかった。偉い。偉いよ」
「警察にも盗聴器仕掛けたの?」
「もちろん」

スターバックスの窓から秋の最後の日差しが柔らかく僕らを包む。優衣ちゃんはヤン君をまっすぐに見据えていた。ヤン君はよく喋る。
「取調室に盗聴器仕掛けるなんてできんのかよ?」
ヤン君は鼻で笑った。
「朔ちゃんの部屋よりは大変だけど、焼売包むよりは簡単」
「リーさんは?」
「俺は昔リーさんに拾われた。リーさんはチンパンの流れを汲む」
「チンパン?」
「青幇。大昔中国でアヘンの流通を牛耳ってた組織。戦前はあらゆる快楽が味わえる『大世界』ってビル作った。楽しそうだよね。僕も行ってみたいし、そんなビル作ってみたい。食欲と性欲と睡眠欲の最高なものを考えたい。でも欲望がその三つに収まる訳ない。リーさんは台湾に帰ったよ」
「台湾」
「リーさんの煙草覚えてる? 『峰』吸ってたよね。『峰』って日本の煙草だけど台湾だとまだ売ってる」
ヤン君は足を組んだまま姿勢を崩さない。ソファに座っているのに背もたれに体を預けていないのに、どこにも力が入っていない。
僕は本当に腹が立った。勝手に人を手のひらで転がした気になっている。なのでもう一度聞いた。それぐらいしてもいい。
「警察は恐喝って言ってたけど」
音を立てずにヤン君は笑った。口がナメクジのような動きをした。背中に冷えた泥が張り付いた気がした。
「まだ言うんだ。朔ちゃんもしつこいね。僕は困っている人たちを救ってあげたんだよ。関わった人たちは横領とか機密漏洩とか。そこに僕が入ると救われるのさ」
「何が」
「良心だよ。YESとNOを他人に預けて自分を支配してくれる人が来ると安心するんだ。自由ってめんどくさいんだよ」
ヤン君は優衣ちゃんに顔を向け、ずいぶん長いこと見つめていた。
「不安な時ほど何かにすがりたくなる。ナチスはドイツが世界恐慌でぼろぼろになって、みんなが不安でどうしようもない時に出て来た。朔ちゃんがピッチャーやってた時はピンチで嶋津にすがったでしょ。それとおんなじ」

スタッフが皿を落とし、割れた音が店に響いた。僕は嶋津と噂話を元に株を買った。それだけだ。盗み聞きはした。でも誰にも迷惑を掛けてはいないし利用もしていない。
「ヤン君は僕らの計画にただ乗りしただけだろ。盗聴器を僕らに仕掛けてそれに乗っかった。でも僕らの情報を元に恐喝まがいの事をした。一緒にしないで欲しい。僕らは誰にも何かを強要したりはしていない。それから僕と嶋津のバッテリーはどちらがどちらかに寄りかかっていない。チームでやっていた。さっきヤン君は救ったとか言ってたよね。それはヤン君が被害者に寄りかかっただけだ。みんなヤン君に服従していた。ヤン君はそこにアイデンティティを見出していたんだ。そっちの方がたちが悪い」
ヤン君は表情を崩さずに返した。
「ただ乗りしたのはどっちなのかな。まあ、そんな事はいい。朔ちゃんはすごい。何でもできる。何にも出来ないけどね。僕と組もう。結構大きい事が出来ると思うよ」
「断る」
当たり前だ。
「僕はね、朔ちゃんにとって良いこともしたんだよ」
嫌な予感しかしない。
「朔ちゃんをいじめたエールフランスの常務、あの後どうなったか知ってる?」 
「何したんだよ」
「朔ちゃんにあれだけのことをするのはよろしくない。朔ちゃんがいた会社、今、知ってる?」
「業績が上がらない。株価は低迷。それぐらいしか知らない」
「そうそう。いいこと教えてあげる。あの常務はセールスプロモーションから外れて、アニメのキャラクターとかをテーマにしたカフェ事業を展開した。そこに資本が注がれた。カフェにキャラクターのファンが押し寄せる。なぜってそこでしか手に入れられないグッズも展開したから。キャラクターグッズはお手の物。朔ちゃんもそんなの作ったでしょ。でもカフェを運営するノウハウがない」
セールスプロモーションを生業としている会社はグッズを手掛けることは苦も無くできる。僕もいくつか仕事にした。
「魅力的なキャラクターグッズは作れる。グッズ目当てに客が大勢押し寄せる。でもカフェは大変。ノウハウがないから客のさばき方がわからない。僕とか朔ちゃんから見れば本当にアマチュア。だから客の滞留時間を見誤る。炒飯とはわけが違う。だから予約制にした。その予約するにもお金を取った。えげつない。なのに結局長蛇の列。もっとまずいことも起きる。ジュース飲んだ人が動悸が激しくなったり、手や顔が真っ赤になった。わかるよね、間違えてアルコール出しちゃったの。朔ちゃん知ってた?」
全然知らなかった。その会社は新宿にあった。大手町や丸の内の客の話題には上がらない。
「君と仲の良い常務は役員から外されちゃったし、離婚したよ。離婚した相手は朔ちゃんに二股かけた女の子。可愛かったのにね」
最悪だ。僕の軽はずみな愚痴で何人かの人生が狂ってしまった。
どうせあの会社の事だ。決済システム費用をケチって自前で作ったのだろう。ガバガバなセキュリテイ。ヤン君はそのシステムに入り込み、そしてジュースにアルコールを混ぜてすり替えた。彼にとって簡単な事。僕の声はかすれた。
「彼はもう関係ない。それから彼の家族まで壊すなんてありえない。なんてことをしたんだ」
「そんなこと言うなよ。僕は朔ちゃんの事を思ってやったんだよ。朔ちゃんが彼の今の気持ち考えてあげなよ。いい気持になるでしょ」
後悔した。あの店で他人が関わるナイーブなことをべらべら喋るものではなかった。勢いよく胃がえぐられる。
「ヤン君はなんでそんな事するんだ」
「朔ちゃんはその人が嫌いだったんだろ?嫌なことされたんだろ?だったらいいじゃないか。僕がやってあげただけさ」
詳しいことはわからないけど、これがサイコパスと言うのかもしれない。彼は僕の事を考えて常務に手を出した訳ではない。楽しむためだ。いろんな人を巻き込んでしまった。
ヤン君は首を左右に振って、ゴキゴキと骨を鳴らした。
「どう?一緒にやらない?」
間を空けて僕は言った。
「やらない」
躊躇した。ここでヤン君に乗ればこれ以上僕の周りの人は巻き込まない。でも乗った後の道を行けば、二度と並木や由美ちゃん、そして横にいる優衣ちゃんにまともな顔をして会えない。
「やらない。君とは組まない」
ヤン君はもう一度首を左右に振り、骨を鳴らした。僕の骨が鳴らされた気がした。それは身体奥深くまでざらざらと響いた。
「何で?」
「自分が譲れないことを言えなくなる。それは人としての自由とは程遠い」
「朔ちゃん、信頼できる人に北極星の場所を教えてもらうのはとても効率が良い。人生がスムーズに廻る。楽だし、迷う必要がない。昔の朔ちゃんはそうだったよ」
言葉が勝手にあふれた。
「前はそうだったかもしれない。でも今は違う。君と組むと遠くの誰かが起こした波とかバイブスを感じ取れなくなったり、それを誰かに伝えられなくなってしまう。それはとても大事なことだと思う。それを捨てることはできない」
ヤン君は少し間をあけて笑った。
「何だよ、バイブスって。いつからクリエイターみたいなこと言い出すようになったのかな。笑えるね。そんなつまらない事を考えるなら僕とは組めないな。で、朔ちゃん今何考えているか当ててあげようか。僕が朔ちゃんの周りにいる人に何かするんじゃないかって。大丈夫だよ。手は出さない。ひどい言葉かもしれないけど。君たちはもう使い捨てだ。最初の面接の時、僕が何聞いたか覚えてる?」
思い出した。面接にしてはわけのわからない質問だと思っていた。
「使い捨てにされる気持ち」
「そうそう、覚えてたね。嬉しいな。組んでくれないのが残念でしょうがない。でも使い捨ての人には価値はない」
ヤン君は滑らかで繊細な指を自分でゆっくり撫でた。その指先から生まれた焼売を僕は思い出した。その焼売は大手町や丸の内の住人を楽しませた。それだけで良いのに。

「ただ、この僕でもわからない事が一つある。警察が動いたでしょ。それは絶妙なタイミングだった。大きな仕事がいくつか同時にフィニッシュする直前だった。僕にとっては最悪のタイミングだ。物事がフィニッシュする。それは一番危ない時間。最後に揺れる奴がいる。それを防ぐために僕らは心砕く。そこで誰かがリークした」
「ゆすった相手だろ」
「そいつらの動きは全部わかる様になっている。そんなへまはしない」
ヤン君はゆすった事を否定しなくなった。そして少し早口になる。
「見当がつかないってこの事だ。結構調べたんだけどね。時々周りをうろつく若い女がいたけど、どうもつながらない。まあ、そんなことはどうでもいい。もう終わったことだ。今回のリークはどうも気持ちが悪い。でもこれから新しい事をやる。この件で関わった奴らとはこれ以上は付き合わない」
「わかったらどうするの」
今度はヤン君は少し声をだして笑った。あまり気持ちのいい声ではなかった。
「朔ちゃんはそのお嬢さんとご両親の事を気にかけているんだね。何もしないさ。何かするのはそいつが次に俺を邪魔する時だ」
ヤン君は僕らを見ていた、でももう僕らの事は見えていない。
「さっき、ありとあらゆる快楽を集めた大世界ってビルの話したよね。朔ちゃんならどんな快楽を入れる?」
「わからない」考えたくもない。
「そうだろうね。朔ちゃんはそういう事に縁がなさそうだ。僕はそれを考えるのが今、一番楽しい」
彼が何をしたいのか何となくわかった。でも人はそんなに簡単にコントロールされるものではない。そしてヤン君も最後は誰かにリークされ、コントロールされたのだ。
「そうそう、これ僕も持っているんだ」
ヤン君はそういって内ポケットから目に刺さるような赤のUSBメモリを取り出した。
「最近二人でお店に来てくれなくなった。でも最後に来てくれた時に嶋津が変な動きしてた。見てたら朔ちゃんのバッグになんか入れてた。それをコピーした。朔ちゃんがびっくりするように同じUSBメモリにした」
「待って。その日、ヤン君はいなかったよね、買い出しに行くとか」
ヤン君はこれ以上ない人を見下した笑みで言う。
「あそこは僕の場所」
ヤン君はこれからもこうやって生きていく。使い、使い捨てにし、それを相手にわからせることを自分の拠り所にする。それだけのために今日ここに来た。
「朔ちゃんと嶋津のおかげで結構な軍資金みたいなものを手に入れた。ありがとう。そうだ、お嬢さんのマウンテンパーカーの内ポケットに拳銃あるよね。マトリックスでネオが使っていたやつかな。ベレッタM9。だめだよ、お母さんの黙って持って来て。でもそれ、モデルガンだからね」

ヤン君は来た時と同じように音を立てずに立ち上がり、音もなく店から出て行った。



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