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さよなら炒飯!十一皿目

12月24日の夜。都心からだいぶ離れた新興住宅地。親父に借りた車で深夜に並木の家から少し離れたところで嶋津と待つ。エンジンを切ったので少し寒い。
並木の家は周りと比べてこじんまりとしている。クリスマスのイルミネーションもつつましく飾られているが、他の家の物量に任せたものより、暖かく、優しい。嶋津が言う。
「この間、並木が清掃センターの話しただろ」
「ああ」
「なんであれ話したんだろ」
イルミネーションの点滅が嶋津の顔を照らす。僕はその点滅を見ながら答えた。
「俺たちから見ると幸せな並木でも、社会に出て何か思うところはあるってことだよ」
「並木はそれを他の人にも話すのかな」
「話さない気がするけど」
「俺たちは並木の役に立っているわけだな」
嶋津が続ける。
「人の役に立つって難しいと思わないか?一番厄介なのが五十代ぐらいのある程度成功したおっさんが、悪意もなく素で『俺もいい歳だからここで一つ、誰かの役にたとう』とかいう気持ちで近づいてくるんだ。まあ、その歳で悪意があったら犯罪だけどな。あいつら、人の役に立った経験値もないのに善意で来る」
嶋津が何の話をしているのかよくわからない。
「それ、何の話?」
「何でもない」気が入らない声で嶋津は答えた。 
嶋津が言っているのは、たぶん高校の時に無責任なアドバイスをしてきた奴らの事だ。嶋津は今が思い通りに行っていない。だから何かの記憶を材料にして手のひらサイズの地獄を頭の中にわざわざ作る。怒りのポイントを過去に探し出して火をつける。閉塞感をどこかに押しやるために。
しかしその閉塞感みたいなろくでもないものは何度押しやってもこっちに戻ってくる。
目の前にクリスマスの灯りが見える。幸せな普通の人々が醸し出す灯り。僕らにはおとぎ話のような灯り。

十一時過ぎにスマホに連絡がある。並木夫婦が出迎えてくれた。
「由美ちゃん、久しぶりだね」
僕が声をかける。由美ちゃんは相変わらず可愛い。髪はところどころはねている。そして守るべきものがある人の顔になっていた。
由美ちゃんは小さく手を振り
「二人とも久しぶり、元気にしてた?そうじゃない。今日は本当にありがとうございます」と丁寧にお辞儀をする。お母さんだ。嶋津は頭をペコペコさせた。由美ちゃんは僕の耳元でささやく。
「嶋津くん、本当に生きてたんだね」
「クリスマスの精霊かもよ」
由美ちゃんは「精霊生きててよかった、あれ、精霊って生きてるっけ?」と楽しそうに笑った。
由美ちゃんは嶋津に『くん』をつけた。高校の時は『くん』なんかつけていない。僕は少し楽しくなった。何だかんだで四人揃ったのだ。あの時と同じなんて無邪気には言えない。それでも僕の気持ちを弾ませた。

並木は僕らに二人分のサンタのコスチュームを渡す。
「二人ともサンタか?サンタとトナカイじゃないのか」
「部屋を出るとき、物音を出してほしいんだ。サンタが来たってのがわかるぐらいの。何なら軽く起こしてもいいから。少しならお話してもいいかもな。二人のサンタのほうがガサ感があるだろ、お友達はサンタ一人、優衣のところは二人。どうよ」
サンタの数で勝負というのはまるでわからないが、クライアントが言うのであればそうなのかもしれない。由美ちゃんがプレゼントを取りにリビングに向かった。その由美ちゃんの後ろ姿に何か違和感があったけど、それが何なのかはわからなかった。
優衣ちゃんの部屋は二階。そっと階段を上がる。僕が部屋のドアノブを静かに廻し引いた。
部屋の中で優衣ちゃんはパジャマ姿でベッドの上にお人形の様にちょこんと座っていた。
「お父さんのお友達だよね」
嶋津は狼狽した。
「いや、あのですね、サンタです」
優衣ちゃんは鼻で笑った。でもその笑い方はとてもチャーミングだった。そして小さな声で言う。
「全部わかってるし。お父さんとお母さんには私が気が付いたかもしれないけど部屋から出ていくときには寝てたって言ってね」
僕と嶋津はうなずく。出来た小学四年生だ。超絶優秀だった由美ちゃんの流れだ。動きや喋り方も似ている。学校でモテるだろう。それか女の子達に疎まれるか。
「お父さんすっごく一生懸命ですっごく空回りするのよ。あ、二人とも座って」
嶋津が床のラグの上に、僕は勉強机の椅子に座った。優衣ちゃんはベッドからそっと抜け出し、常夜灯を点け、僕らに二つずつチロルチョコをくれた。
チロルチョコを渡す時、僕と嶋津の顔をそれぞれ三十秒ほど見つめた。距離が近い。そして言う。
「こちらが朔ちゃんで、こちらが嶋津くんですね」
「なんでわかるの?」僕が聞く。
「お父さんが高校の野球部の話をするの。大学入って髪伸ばしたらもじゃもじゃで誰だかわからなかったのが朔ちゃんで、色白で王子様みたいな、でも中身はまるで違うのが嶋津くんだって」
優衣ちゃんはまた嶋津に近づく。距離感が昔の由美ちゃんに似ている。真剣をかなり通り過ぎた表情で嶋津の顔を目を覗き込み、くまなく見た。
嶋津は後で言った。
「真夜中に小学校四年生の女の子に十㎝ぐらいの距離で迫られて、下の階に両親がいる経験は今後ないだろう」
部屋に経緯台に乗った大口径の反射式の天体望遠鏡がある。
「天体観測が趣味なの?」聞いてみる。
「そう、なんか色々ときっちりしているようでしてないところが好き」
ベッドに戻って優衣ちゃんは言う。
「サンタ、二人で来るとは思わなかったよ。なんで二人なの?」
「量で勝負とかお父さん言ってたよ」
優衣ちゃんはあきれて、でも楽しそうに笑う。プレゼントの包みを手に取り言う。
「ジル・スチュアートのお財布、ブルーレーベルのワンピース」
「どっちかな」僕は聞く。
「両方入ってる」優衣ちゃんは笑う。
嶋津が「めちゃめちゃ愛されてるね」と言う。
「そうなのかな、うるさいよ結構、お父さんもお母さんも」
「うるさいのは愛されてる証拠だよ」
優衣ちゃんは「ふーん」と答え、続ける。
「お父さんに言って欲しいの。清掃センターで働いているお父さん悪くない。私に気を使ってシャワー二回とか浴びてるけど、私、全然平気なんだよね。お仕事なんだから。そんな感じの事言ってよ」
僕は言う。
「優衣ちゃんさ、こんなおっさん二人が言うより優衣ちゃんが言うほうがお父さん喜ぶよ」
「恥ずかしいじゃん」
「素敵なことを素敵だと言うことは、大事な事だよ」僕は言った。
「朔ちゃんは年に一度、クリスマスに良いことを言う」
嶋津が気持ち悪いウィンクを僕にしながら言った。
大きなサメのぬいぐるみを抱え、しばらく僕を見つめて優衣ちゃんが言う。
「おじさんたち、お父さんと本当に仲良しなのね」
嶋津は優衣ちゃんに言った。
「おじさんよりお兄さんって呼び方が俺は好きだな」
優衣ちゃんはたぶん十九番目の素敵な笑顔で微笑んでくれた。僕が小学校四年生なら間違いなく恋に落ちている。ただ、並木が父親というとこが一番の障壁になるに違いない。
僕らも優衣ちゃんにプレゼントを用意していた。
「これ、二人から?おお!開けていい?」
優衣ちゃんの物怖じしない明るさは由美ちゃんにそっくりだ。
「ノート!かわいい!これ、誰のセンスなの?」
あの日由美ちゃんから貰ったモレスキンのノートにした。明るすぎない落ち着いたブロッサムピンク。
「いいセンスでしょ」
嶋津が自分の手柄のように言う。もちろん僕が選んだ。
そろそろ下の手ごわい両親が心配する時間だ。僕らは優衣ちゃんに手を振りながら部屋を出た。

リビングに戻ると並木夫婦は前のめりで聞いてきた。寝ぼけていたから、サンタ二人来たよとか、そんな事話しておいたと言っておいた。並木たちは大喜びし、お礼に僕らにアマゾンのギフトカードを渡した。





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