見出し画像

さよなら炒飯!二十八皿目

優衣ちゃんはさっきまで使っていたデスクトップではなく、僕が金龍飯館で使っていたノートPCを使っている。プロジェクターに映す必要がなければ、こっちの方が使い勝手が良い。優衣ちゃんは家ではmacbookairを使っているらしい。「あっちのデカイのはキーボードががしゃがしゃして使いにくい」と言う。皆で優衣ちゃんを囲む。
優衣ちゃんはニヤニヤしながらテーブルに転がっていた赤いUSBメモリを差そうとした。
「ちょっと、それアイツの裸踊りでしょ」
「あんなにおもしろいものを一回しか見れないなんて」
由美ちゃんが押しとどめたが、しっかりUSBメモリのデータが読み込まれた。見たことのないフォルダが現れた。
「何だこれ。さっきはなかったよな」
並木が身を乗りだした。由美ちゃんが言う。
「さっきはあっちのPCに差したんだよね。その時はこのフォルダ出なかった?」
「出てない」僕が答えた。
「なんか違いがあるの?」由美ちゃんが聞いた。
「デスクトップは半年ぐらい前に買った。ノートPCは嶋津が用立てた中古」
「キッティングは嶋津君がやったの?」
「そう」
由美ちゃんはしばらく考えている。
「嶋津君がキッティングしたPC、そしてたぶん嶋津君が朔ちゃんのバッグに投げ込んだUSBメモリ。どっちも嶋津君。という事はなんでも仕込み放題なんじゃないかな。USBメモリががっつり最前線で使われている時は、特定のPCでしか認識できない商品があったのよ。嶋津君は朔ちゃんに用立てたPCでこのUSBメモリをセッティングした。鍵と錠みたいなものよ。だからさっきのデスクトップとか刑事が使ったPCだとこのフォルダが見えなかったのね。少し技術がいるけど」
得意げに由美ちゃんが言う。
何かあった場合を考え、前もってノートPCとUSBメモリを設定した。用意周到な野良コーポレイトITだが、あいつには他にやることが色々とあるような気がする。
由美ちゃんはノートPCのフォルダを開けようとした。新しいウィンドウが現れ、パスワードが求められた。そのパスワードを入力する場所は二カ所。その右には「9」と「5」がある。
「9と5」僕はつぶやいた。その数字の前には数字が来るはずだ。並木も由美ちゃんもわかっている。最後の夏の僕らの数字。由美ちゃんも含めてチームで作り出した数字。あの夏の僕らの数字。
由美ちゃんは「0」と「2」を打ち込んだ。0.295。BABIP。
フォルダが開いた。中には、長たらしい数字が並んでいる。
「37.545213, 139.045778」
緯度経度だ。調べると三条市の山奥だ。並木が言う。
「嶋津はここにいる。来てほしいんだよ朔ちゃんに。行って来いよ。行けばわかることもあるかもしれないし」
  
遠くで誰かのクラクションが鳴っている。どこかの焚火の香りが窓から入ってくる。
「私も行く」 目が座った優衣ちゃんが言った。
「なんであんたが?」
「ほら、私の周りで行方不明の人っていないし、並木家天文部として助手も必要でしょ」
「いつ行くのよ」由美ちゃんが言う。
「来週の月曜日」優衣ちゃんが答えた。
「平日だよ?」僕が口を挟む。
「来週の月曜日は運動会の振替。それにしても運動会ってさ、なんであのろくでもないダンスとか応援合戦とかしなきゃいけないの」
「優衣は結構ちゃんとやってるじゃないか」並木が言う。
「そりゃやるよ。あそこでふてくされてちんたらやってるのが一番かっこ悪い」
嶋津はそんなところでは必ずちんたらしてたか、怒ってた。親子でも随分違う。
「朔ちゃんは来週の月曜日空いてるの?あ、無職だから空いてるよね。新潟って高速道路で行くんだよね」
「関越道と北陸道」
優衣ちゃんはスマホで何かを調べている。
「上里サービスエリアにスタバあるじゃん。今の季節限定って何だろ。朔ち
ゃん何飲む?」
「寄る事、決まりなんだ」
「もちろん」楽しそうに僕に笑顔を見せた。

由美ちゃんと並木が長い時間キッチンの隅で話をしている。僕と優衣ちゃんはレディーボーデンを食べる。レディーボーデンのメーカーから表彰されたい。各々二つ食べた頃、由美ちゃんはめんどくさい顔をして言った。
「日帰りならいいわよ」

気が付くと秋の夕陽が部屋の中まで届き、僕らを茜色に染め始めていた。




月曜早朝に優衣ちゃんと出かける。前の日にレンタカーを借りた。コンパクトで長距離に向いている車、と言ったら若い男性の社員が少し大きめのツーリングワゴンを持って来た。
「これってコンパクトカーじゃないよね」
「長距離走るのならこれぐらいの方がいいんですよ。仕事じゃなさそうだし。どうせ女の子助手席に乗せるんですよね、だったらなおさらです」
小学六年生の女の子を連れて行くなんて、絶対に言えない。

玄関に現れた優衣ちゃんはなかなかだった。確かに僕は山に入るかもしれない、外を歩ける服装がいいとは言った。ジャケットはアークテリクス、パンツはノースフェイス、フリースはパタゴニア、グレゴリーのバックパック、ローカットのトレッキングシューズはサロモン。
「アウトドア雑誌から出てきたみたいだよ」
「ほんとそうだと思う。お父さん、私に掛けるお金がなんかおかしい。アークのジャケットなんて要らないよ。モンベルの三倍ぐらいするんだから。モンベルで十分。朔ちゃん、モンベルのお店って凄いの。ノースフェイスのお店にお父さんのフリース買いに一緒に行ったの。そしたら結構高くて。だから近くのモンベルにも行ってみたの。そしたら同じ様なフリースがあってね、値段見たら半分以下。そしたらお父さん店員さんに聞いちゃうの、すみません、今ノースフェイス行ってこれとほとんど同じフリースあったんです、倍以上したんですけど何でですかねって」
「目に浮かぶよ」僕は笑いながら言った。
「ね。そしたら店員さんが言うの。あー、ノースフェイスさん、カッコいいですからねって。以上」
「え、それで終わり?」
「そうそう、それで終わり。モンベル最高。お父さん、機能は高級なブランドとまるで変わらないっていうし、安いし。お母さん、山のユニクロって言ってる。でもデザインがおじいさんぽいから買わないって」
「で、優衣ちゃん。僕は今、上から下までモンベル」
優衣ちゃんは笑いながら「ごめんごめん」と言い、続けた。
「あ、上里のスターバックス寄ってね!今、マロンとカシスとかいう訳の分かんない限定メニューがあるから」

晩秋の関越道を北に走らせる。トラックが多い。前後左右に大型トラックやトレーラーに囲まれ、それらを縫うように走る。窓の外には乾燥し透き通った青い空と茶色の田畑。関東の冬景色だ。風が強い。高速道路脇の吹き流しが真横にたなびく。レンタカー会社の男の子の言う通り、ツーリングワゴンにしてよかった。安定感がある。
時折、大型のセダンが吹っ飛んで抜かしていく。彼らは彼らの時間がある。僕には僕の時間があり、トレーラーにはトレーラーの時間がある。そんな事に僕がどうこう言うものでもない。金龍飯館に入る前とは少し変わったかもしれない。気分と雰囲気。そんなもので動く。それに一喜一憂する人たちをたくさん見た。それが社会を成り立たせている。
「朔ちゃんは嶋津くんと会えたら何か言うことあるの?」
優衣ちゃんがキットカットを食べながら言う。
「さっきから考えているんだけどさ、特に話すことない様な気がするんだよね」
「バッテリーで同志で仲間なのに?」
「そう、バッテリーで同志で仲間なのに」
優衣ちゃんはキットカットの包みを開けて「口開けて」と言い、僕の口の中にキットカットを放り込んだ。 放り込むというよりも投げ込んだという方が正しかった。キットカットは喉の奥にぶつかりむせる。ステアリングを持つ手に力が入る。
「でも、ずっと二人で稼いでいて、同じお店の二人とも仲良しで、その四人のうち三人が朔ちゃんに何も言わないで消えちゃうってひどいと思うな」
まださっきのキットカットが口の中にあるのに優衣ちゃんはまた僕の口に投げ込む。祭りの夜店にある何かのゲームみたいだ。「あ、ごめん、これ抹茶味だった」
「寂しくないの?」
「あまり考えたことないな」 二種類のチョコが口の中で混ざる。
「よく言うじゃない、ペットロスとか」
僕は危うくキットカットをフロントガラスに吹くところだった。
「いくら何でも嶋津は人間だからペットじゃないよ、脱ぐからってそこは人間にしておいてあげてよ」
優衣ちゃんは笑いながら言う。
「何だっけそれ、そーしつ?だっけ」
「喪失感?まあ、そう言われると前に比べると気分が上がることはすくなくなったかもしれない」
「今は楽しくないの?」
「自分でもよくわからないんだけど、とても短い間に年を取った気がするんだ。でも優衣ちゃんとこうしてドライブするのは本当に楽しいよ」
これは本当だ。優衣ちゃんは運転している僕の肩をよしよしと言いながらた叩き、チョコと抹茶のキットカットを同時に僕の口に投げ込んだ。

埼玉の北部に入ると車が減ってきた。三車線の中央を走りながら時折車線を変更し前の車をパスする。両脇の防音壁が途切れると遥か遠くまで見渡せる関東平野が広がり、また防音壁がその景色を隠す。進行方向に山々がうっすら見えてくる。三国山脈だ。
ヤン君の事を考えていた。ヤン君は大陸のどこかの都市で店を開くだろう。高級ではなく、いつもより少しお金を払えば良いものが食べることが出来る店。もし、僕が大陸に行ける事があればその店を探そう。たぶん見つかる。その店に入り炒飯と焼売を頼む。デザートは月餅だ。店主のヤン君は僕が来たことを知っている。でも出てこない。だから僕はウェイターに写真を渡す。ヤン君と嶋津と僕が月餅を手のひらにのせた、金龍飯館で撮った写真。初月餅記念写真。そして店主によろしくと伝える。
でも想像したその情景は何か憂鬱なものが入り込んでいた。自分が勝手に想像している場面に暗い影が見える。

上里のサービスエリアに入る。優衣ちゃんがスタバスタバうるさい。駐車場にはトラックとトレーラーと営業で使うようなワゴンが何台か。そして紺色の磨き抜かれた曇り一つないドイツ製高級車。
スターバックスには出張らしい四十代の男性一人しかいない。ここで思い出した。平日に優衣ちゃんを連れて歩くこと。
優衣ちゃんが先回りして言う。
「大丈夫だよ、何か言われたら学校の振替休日だって言うから」
大人だ。僕が本日のコーヒー、優衣ちゃんがマロンとカシスのフラペチーノを頼み、店の中で一番座り心地がよさそうなソファに座った。
特に何も話さずにいたら優衣ちゃんが「これが倦怠期の夫婦ってやつだな」と言う。
「誰が夫婦なんだよ」そう返したら、優衣ちゃんは手を頭の後ろで組んで笑った。

優衣ちゃんの真横に細身の男がいる。音も立てずに立っている。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?