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さよなら炒飯!十皿目

冬に入る頃、嶋津には言わずに並木を居酒屋に呼んだ。あの騒動をキャプテンとして一人で対応し、終始嶋津に寄り添ったコメントを出し続け、様々な場所に出向いた並木を呼ばないわけにはいかない。

いつもの居酒屋に並木を連れて行く。嶋津は先に席にいた 。
「生きてたよ、マジで」
並木は一人つぶやくように言いため息をついた。それは安堵以外に何かが込められている気がした。
嶋津はテーブルに向かって来る並木に気が付き、呆然としている。
並木は席に着くなり、いつもの冷凍の枝豆を手づかみで皮もむかず口に放り込む。僕は思わず「枝豆、皮付きでも食えるのか」と聞く。 並木は答えず、噛み切れない枝豆の皮を噛み続け、無茶苦茶な笑顔で言った。 
「良かった。嶋津が生きていてくれたんだ、枝豆の皮ぐらいなんてことない。死んで花実など咲くものか。生きてこそだ。良かった」
嶋津は黙っていた。並木は嶋津の隣に座り、枝豆まみれの手で背中を叩いた。嶋津は並木を見て小さくうなずいた。
僕は嶋津の中ジョッキを勝手に空け、唐揚げと焼き鳥盛り合わせとチキンサラダとだし巻き卵とオムレツと照り焼きチキンとチキン南蛮を頼んだ。たまにはいいだろう。十二月。もうすぐクリスマスだ 。

「甲子園に行ったS高のやつら覚えてる?」
並木が照り焼きチキンをほおばりながら言う。
「俺たち、あいつらに秋も春も勝ってたのにな」
あの夏、僕らに勝った高校は決勝でS高に負けた。練習試合も含めて僕らはS高に勝ち越していた。彼らは気合と根性と練習量。嶋津が一番カモにする相手だった。
「水野って覚えてる?」並木が言う。
「あいつプロ行ったんだろ? あのチームであいつが唯一頭使うやつだった、打順とかも水野が考えてたんだよな」嶋津が身を乗り出して答えた。
水野は守備範囲の広いショート。そして長打はないが高い出塁率を買われてプロにスカウトされた。出場機会に恵まれなかったが、トレードされ芽が出た。今シーズン後半に調子を上げ、来シーズンはたぶんレギュラーだろう。並木が言う。
「秋にあいつのチームが近くで消化試合やっててさ。メッセ送ったら帰ってきて。飯食ったんだ。あいつ俺たちの事よく覚えてて、嶋津と朔ちゃんのことずっと喋ってんの」
「何を?」僕は聞く。
水野には苦戦した。
元々とんでもないバッティングセンスがある上に自分の中で整理したデータをうまく使う。僕らの内角高めなどはすぐさま見抜かれた。ただ、水野の前にランナーを出さなければいい。
「コントロールはいいし、いやらしいキャッチャーが読みを外すから本当にめんどくさかった。でもそれが楽しかったって」
「お前、それ本当かよ?」
嶋津はテーブルに目を落とし、顔を少し傾け疑い深い声で言った。
「ここで嘘ついてどうすんだよ。お前らがこんなにデータ活用して、偽データ流したり意表のついた野球やるんだったら、お前らの高校行けばよかったって。プロのあいつが言ってたんだぞ」
それは並木からの僕と嶋津へのクリスマスプレゼントだった。そのプレゼントは昔話といえども僕と嶋津の猫背を少しだけ、でも確実に正した。

 例の球審の話が出る。並木は何のこだわりもなく口にした。当時並木はあの球審にも謝りに行っていた。
「五十嵐さんって言うんだ。何回か行ったんだけど、最初は口も利いてくれなかった。でもしばらくしたらトーンが変わって。俺すごいだろ、二人でドトールでお茶までしたぞ」
「すげぇな」と嶋津がつぶやく。
SNSを使って情報を拡散した時、並木が「ようこちゃん」として投稿した。元々並木のコミュ力は高かったが、おっさんが多いフォロワーと対峙する時にさらに磨かれた。
「何でそこまでしたの」僕は聞いた。
「あれさ、単純にボタンの掛け違いだろ。球場の雰囲気がむちゃくちゃで、誰が飲まれてもおかしくなかった。五十嵐さんも飲まれて内角の判定はぶれぶれだった。でも外角は逆にボール一つ、ストライクが大きかった。そしてな、その外角のジャッジは最後まで安定してた。それ、わかるだろ嶋津。人のやることだからいろいろある。五十嵐さんあれ以来審判やっていないんだ。誰か一人が被害者じゃないんだよ」
並木はビールを空けてから言った。
「五十嵐さんには息子さんがいたんだ。高校卒業してからすぐに事故で亡くなった。息子さんも野球やってて、ポジションはピッチャー。でも性格は嶋津そっくりで何かあると騒ぐ、たてつく、暴れる。嶋津が息子にしか見えなくなった」
並木の口調は相変わらずゆっくりだ。
「息子みたいな奴が目の前でキャッチャーしてる。居ても立っても居られなかった。でもそれは判定のノイズにしかならない。あの試合、集中して判定したけど、そのノイズが気にならなかったとは言い切れない。そんな話してたよ」
店には客が入っている。相当うるさいはずだが僕らの頭には響かない。枝豆は相変わらず凍っているがさっきよりは少し柔らかくなった。

並木と由美ちゃんは高校卒業後すぐに結婚した。由美ちゃんのお腹に女の子の赤ちゃんがいた。
並木は市役所に入り、由美ちゃんは通信制の大学を卒業した。その赤ちゃんは今、小学校四年生になっている 
「結婚ってどう?」僕は聞いた。 
「悪くないよ。というか、いいね。みんな自分のやりたいことができなくなるとか言うけど、やりたいことなんて年とともに変わるものだし。優先順位が変わるだけだ。子どもは生意気だけどかわいいしな」
僕が口を開いた。 
「並木、市役所で今何やってるの」
「俺、匂うか?」
嶋津が並木に近づき嗅ぐ。
「いや、特に」
「ならいいんだけど。環境課の清掃センター」
「匂いって?」
「ゴミの匂い。最近はデスクワークが少し増えたけど、人が足りなければ現場出るし、というか、週二は清掃車に乗るんだよ。センターでの作業もあるし。どうしてもゴミの匂いがつくんだ。でさ、家にそろそろやっかいなお年頃の小四女子がいるわけよ。だから帰りにセンターでシャワー浴びる。でも匂い残るんだよね」
「大変だな。でも異動あるんだろ」
「お前らみたいなフリーランスより不安感がないだけ楽だよ」
並木が言うと嫌みがない。世の中にはそういうやつもいる。並木は続けた。
「異動は少ないな。環境課の清掃センターと下水道局はほとんどない」
並木は焼き鳥を横に咥え、一気に口の中に叩き込んだ 
「ガラスの天井って知ってるか?」
「ああ、あれだろ、女性が能力があっても昇進が止まることだろ」
「そうそう、性別でキャリアアップができない話。で、ガラスの地下室は知ってるか」
「いや、知らない」
「危険な職場とか皆が嫌がるような職場に男性を押し込めるイメージな。清掃車に乗った女性って見たことあるか?」
並木の声は少しだけ熱がこもり、速くなった。
「ない、確かにないな」
「うちの部署、女性はほとんど来ない。この間下水道局のやつと話したけど、ここ五年ぐらい女性は異動してこないって。それが女性の希望なのか、組織の論理なのかはわからないけど」
嶋津は口を挟まず大人しく聞いている。

「俺、清掃センターの仕事好きだからな。ゴミを処理すると物事が上手く整理されて行く気がするんだよ。何ていうか、街の落としどころをつけていく気がするんだ。やった事が目に見えるだろこの仕事。でもな、娘、優衣って言うんだけどさ、優衣の小学校入学式、市長の代行で下水道局の局長が祝辞を述べたんだよね。紹介されるだろ、本日市長の代行としてお越しになられました下水道局のなんとか局長ですって。そしたらさ、親の席から笑いが起きたんだ、下水道局のところで。ありえないだろ」
並木は続けた。
「いいんだ、別に清掃センターが男だらけでも。俺はフェミニズムに喧嘩売っている訳ではないしミソジニストでもないつもりだ。でな、俺はかわいい優衣ちゃんに気を遣って清掃センターでシャワーを浴びてそして家でもシャワーを浴びるわけだ。親父が生ゴミ臭いのは父と娘の関係で致命的だろ。でもそれ以外はいいんだよ、清掃センターが男だけの職場でもそれでうまく回るなら。敵は入学式で下水道局長を笑ったあのつまらないメンタリティだ」僕が生ビールを六杯頼んだ。
「なんだよ六杯って」
「嶋津が寂しいって言うんだよ。人数×二だ」
「意味わかんねぇ」
 
嶋津がトイレに行った時に並木が言った。
「俺、今日大丈夫だったか?」
「なんだそれ」
「なんか変じゃなかったかってこと」
「もしかしたら、緊張してた?」
枝豆皮ごと食べるあたりからして、並木らしくない。
「やっぱ、そう見えるよな」
「なんかあったの?」
「俺もまさか枝豆皮ごと食うとは思わなかったよ」
「だから、なんなのよ」
「俺、まだ自分でよくわかってないから、また今度な」
並木が高校の時にもそんなはぐらかし方をした気がしたけど、何だったか覚えてない。めんどくさい奴だ。そしていきなり言いだした。
「朔ちゃんって高校の時、彼女いなかったよね。知ってたけど。何で?」
「何でって野球ばっかしてたし」
「好きな人とかいたの?」
「なんだよそれ。今更なんだよ。いたって言えばいたかもしれないし。別にどうでもいいじゃん」
「今はどうなのよ」
「お前なんなんだよ、前の会社にいた時はいたけど、今はいないって」
「高校の時あんまり聞いてなかったけど、朔ちゃんってどんなやつが好みなんだ」
目的も脈絡もわからない並木の話は僕を少しいらだたせた。こういう時は変にはぐらかせるより、しっかりと答えた方が話を終わらせやすい。
「ショートカットでブルーレーベルとアナスイと組曲とヒステリックグラマーの全部が似合う子」
「それって高校の時からか?」
目の前に恐ろしく厄介な並木がいる。
「高校の時はちょっと違ったかもしれないな。もう覚えてないよ」
並木は赤い顔をし、ぼんやりとしてた目つきで僕を見ている。
「朔ちゃんは、自分に鈍感だよな」
頬杖をつき、適当な手つきで目の前のポテトフライをつまんだ。

嶋津が戻って来た時に並木が言い出した 
「お前ら時間取れるだろ、頼みがあるんだ」
「山の様にあるぞ、世間の27とか28に比べたらな」 嶋津が言う。
「もうすぐクリスマスだろ。サンタになって欲しいんだよ 」
「優衣ちゃん?」
「そうそう。優衣のクラスメイトがハードル上げちまって、サンタの格好したやつが来なきゃだめらしい。おまけに深夜に自分の部屋に来るんだって」
「俺たちがサンタの格好で優衣ちゃんの部屋まで行くわけだ」
嶋津は乗り気だ。そりゃそうだ。自分のために駆けずり回った男の頼み。 
「サンタの恰好とかプレゼントは全部こっちで用意するから。どうだろう」

サンタクロース。久しぶりにクリスマスの出席者になるのは悪くない。キャプテン並木の願いだ。やらない訳にはいかない。




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