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さよなら炒飯!三皿目

しばらく前から親父の車を借り、深夜にあてどもなく走ることが日課の様になっていた。金龍飯館で忙しくしている時は何も考えることはない。
それ以外の時間には訳の分からないものが頭に押し寄せる。なので一時間ほど真夜中を徘徊する。屋外だとその波は少しだけ減る。窓を開け放ち、風が入るがままに走る。
少し大きな川の堤防で車を止め、鉄橋の下でぼんやりする。真夜中でも人の匂いを帯びて動くものは結構ある。貨物列車、配送のトラック、タクシー。どれもが僕に視線を向けない。
ただ、音もなく流れる漆黒の川を見続けると何かに引っ張られる。それを感じたら家に帰る。
その日も鉄橋の下に向かうと、誰かが先にいた。深夜に鉄橋の下にいるのはろくな奴じゃない。車を廻し立ち去ろうとした。ヘッドライトがゆっくりとその人影を照らした。
嶋津だった。


親父の本棚にあった「ノルウェイの森」の永沢さんはこう言った。
「時の洗礼を経ていないものを読んで貴重な時間を無駄にしたくない」
本の内容も永沢さんのセリフもよくわからなかったが、僕はこう解釈した。

「他人がよいと判断したものを取り入れることが効率的」

他人の判断はそこに何かしらの経験と考えがあるはず。
僕の判断なんかよりも信じるに足りる。考えてみれば子どものころからそうやって生きてきた。何も困ることはなかった。
高校受験も学校や塾の先生のアドバイスだけで学校を選んだ。
もちろん両親も何か言ってきたが、学校や塾の先生に比べて経験値は低い。和やかに適当に流した。
高校に入り、僕の目の前に違和感しかない男が現れた。それが嶋津だった。僕と彼は野球部で僕がピッチャー。嶋津がキャッチャー。
嶋津の空気を読まない適当なハッタリ。大きく出る態度。理由が不明なポジティブな姿勢。例えば世界史の授業。中世ドイツ、活版印刷を発明したグーテンベルク。教師は言った。
「この発明のおかげでグーテンベルクは巨万の富を築きました」
嶋津が手を上げる。
「それ違いますよね、グーテンベルクは浪費家でカネの計算が出来ず、フストという実業家に融資してもらうんですが、あっという間にそれを溶かして印刷機やら持ってかれるんです。彼は不遇の中で死んでいきます」
確かにグーテンベルグが浪費家で、多額の借金を背負ったことや印刷機を差し押さえられた記録はある。でも不遇の中で亡くなった記録はない。
でも嶋津は勢いでそれを言い切る。僕は嶋津の行動が恥ずかしくてしょうがない。
聞くとその世界史の教師がしたり顔して授業を進めるのが見ていて痛々しかったからだと得意げに言う。僕にとって痛々しいのは嶋津だ。
ろくでもない渦が嶋津を中心にしてぐるぐる巻く。
嶋津は貴公子のような容姿で女子からの人気を集めていた。線が細く、色白で美しい。白馬が似合う。怒る姿が想像できない。休み時間は他のクラスの女子が彼を見に来る。でも実態は真逆だ。ハッタリで押し切る白馬の王子様なんて、せこい結婚詐欺師しかいない。

彼が僕にかけた最初の言葉。トイレから出て来て手も洗わずに嶋津は言った。
「朔ちゃん!すげぇデカいの出た! 写真撮っちゃった!」
そして実に迷惑な癖があった。集中すると「脱ぐ」。僕たちと野球の話で加熱すると唐突に脱ぎ始める。
彼がキャッチャーである限り、サインを出すのは嶋津だ。それに従いコントロールよく投げ込めばオーダーコンプリート。後は結果を待つだけ。
僕のピッチャーとしての売りはコントロール。遅いストレートとさほど曲がらないカーブ、そんなにスライドしないスライダー。

雨の日、放課後の教室で嶋津は距離感を無視して僕に近づいて言った。つばが飛ぶ。
「朔ちゃん、自分じゃ気が付いてないかもしれないけど、お前のコントロールはものすごい武器だ」
「結果は残してないぞ」
「今までお前と組んだキャッチャーが馬鹿だったんだ。相手の狙いをそらす事なんかできなかったし、しようとも思っていなかった。何も考えずに適当なカンだけで朔ちゃんを投げさせた。ここはいい感じの外角低めっ! てな。朔ちゃん、ピッチャーの投げたボールがホームベースに行くまで何秒だと思う?」
この段階で既に学ラン、Tシャツ を脱ぎ上半身裸だ。
「考えたこともない」
「0.5秒ぐらい。その間にコースと球種を外された県大会レベルの高校生バッターが対応できると思うか?」
「地方大会レベルなら、無理かもね」
「そうなんだ。コントロールが良ければ配球次第で行けるんだよ、俺が全部引き出してやる。三年の夏には甲子園には出れるぞ。優勝は無理だけどな」
「いいから、着ろよ」
既に嶋津はパンツしか履いていない。その姿で「お、漏れる」とトイレに走った。

同じ野球部の並木がそれを眺め、大仏のように微笑みながら言う。
「見てる分にはおもしろいけど、バッテリー組むお前は大変だな。勢いとハッタリと噓が服着て歩いているような奴だけど、嘘ってばれなきゃ真実だ。俺も一回ぐらい噓とかついてみたいぜ」
並木のポジションはショート。一般的には小柄で俊敏な選手がなる。彼は185センチ、体重80キロ。そして朴訥。他人に異を唱えるところを見たことがない。教室でゆるやかに動く様は象と言われる。
嶋津のせわしない動きとは対照的だ。グランドに立つ時だけは別の生き物の様に俊敏になる。さながら平原を駆け抜けるチーターのように。

並木は実にセンスのいいおしゃれだった。北欧デザインジャガード織りのソックス。部活が終わるとわざわざ履き替える。ここまでソックスに気を遣う男子高校生は半径100キロにはいない。
冬に学ランの上に羽織るものはダサいpコートやダッフルコートじゃない。M-51、モッズコート。うまく着ないとよれよれのスナフキンになる。それをうまく着こなす。家庭はごく普通だと本人は言う。でもどこからか育ちの良さが透けて見える。

直後の県内屈指の強豪との一年生同士の練習試合。僕は嶋津のリードに従い、彼の構えるミットに何も考えずに投げた。六回を投げて二失点。バットの芯で捉えられたのはほとんどなかった。
「俺たちは試合をほぼ支配したぞ。あと二年ある」
嶋津の顔は上気し、声は低く小さく、そして力強い。当然バスの中でも脱ぎ始める。
「今日のあいつらは強い。今までいろんなピッチャーと対戦している。でもだ、考えてみ?中学生がどんな気持ちでバッターボックスに入るよ?朔ちゃん」
「いいボールが来たら打とうかな」
「そう。打てたら今日の俺は調子がいい。打てなかったら今日の俺は調子が悪い。それだけだ。そいつらが今まで当たったピッチャーの配球は、セオリー通りのつまんねえやつだ。俺がやったのはそれを少し外す。それだけであいつらを二点に抑えた。朔ちゃんの遅いストレートでもコントロールさえあればここまで出来るんだ」
「どうでもいいからバスの中で上半身裸はまずいって」

僕と並木は嶋津の部屋に入り浸った。
下町にある家はかなり古い。彼の部屋には天体望遠鏡や経緯台、赤道儀など、天体観測に必要な物とキャンプ道具が雑多に並んでいた。
嶋津は天文学について「先人が積み重ねたデータを元にその美しいものを眺め、また時として予想がつかない発見があるのが楽しい」と言い、キャンプは一人で行く、何故か頭がすっきりすると笑った。
「朔ちゃんはなんかあんの?」
「スピッツ」
「バンドのスピッツ?」並木が聞いた。
「随分古いな。今時とは程遠いやつじゃね?」嶋津が言う。
「何十年も続いているってことだよ。卒業式で歌うところもあるだろ」僕は答えた。
「それを選ぶのはぶっちゃけロックじゃないぜ」
この嶋津の「俺は全部知ってるもんね」という顔。最初はむかつくだけだったがそのうち慣れた。たしかにスピッツがブレイクしたのは1995年。クラシックといわれてもしょうがない。
「スピッツって幅広いよね、俺も知ってるぐらいだから。教科書にも載ってるよな」
並木が良いこと言う。
「スピッツを聞いていると他の奴と話が広がるんだよ」僕も返す。
「朔ちゃん、そんな事でスピッツ好きなのか?」嶋津が顎を上げ、あきれたように言う。
うまくやれるところは摩擦なしにやっていきたい。めんどくさい事は可能な限り避けたい。
でもスピッツの事をなんやかんや言われると、それなりに腹が立つ。
ただ、ここで何か言う事で何かになるのかというと、何にもならない気がする。
嶋津があくびをしながら「ぬるいんだよと」呟いた。
並木は僕を見ながら「嶋津は音楽聴くの?」と言う。
「レッチリ」
「何それ」
「レッチリって言ったらレッド・ホット・チリペッパーズしかねぇだろ。Can’t Stopは宇宙的な曲だ。衝動という衝動が連鎖して宇宙までつながる歌だぜ」
嶋津が踊りながらデカい声で語り始めた。
「レッチリ、パンクとファンクとロックの融合だ。バイブスが世界に響く!」
僕は嶋津のレッチリ語りをを少しうんざりして聞いていた。確かレッチリも90年代から2000年代にブレイクした。クラシックに近い。そしてレッチリの刺青率は高い。ほどほど圧のあるバンドを趣味にすると、他人の趣味にマウントをかませられる。おまけにレッチリはメンバーを一人薬物で亡くしている。スピッツよりも押しが強い。
並木がネットでレッチリを検索し笑い出した。
「朔ちゃん、嶋津が脱ぐのはレッチリの真似だ、全裸ライブとかやってるぜ!」
レッチリの4人が股間だけを隠した訳の分からない姿で踊り狂う動画を僕に見せた。
それでも嶋津は嬉しそうだ。「全裸は世界を揺らす」とか訳の分からないことを言いだし、しばらく Can’t Stopを踊っていた。その後僕らはCan’t Stopを数限りなく聞く羽目になった。

「あ、並木って趣味あんのか?」嶋津が聞いた。
ゆっくりと並木が答えた。
「ない。毎日穏やかであればそれでいい」
象と言われるだけある。



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