マガジンのカバー画像

ヴェネツィア急性盲腸炎回想録

25
2001年3月、私はヴェネツィアで急性盲腸炎となった。はじめてのイタリア 、はじめての手術入院。毎日が驚きと事件であった。 2021年からちょうど20年前の出来事を、回想録として… もっと読む
運営しているクリエイター

記事一覧

ヴェネツィア盲腸回想録 序

 放置してきたnoteで何を書き始めようか。鉄道空撮「空鉄(そらてつ)」や写真の話でもいいが、それは有料にしたほうがいいかと考えあぐね、ふと思い立ったのが、今から20年前の初入院初手術である。
 noteの挨拶がわりというわけではないが、ある旅で起きた「事件」の回想録を綴ってみよう。

               -<※>-

 2021年、私は43歳である。この43年間生きてきた中で、人生の分

もっとみる

Day0 -予兆、最後の晩餐

 2001年2月末。私はまだ大学生で、妹と約2週間のイタリア旅行へ旅立った。イタリアでの兄妹珍道中はさておき、この旅では父のイタリア出張と日程を合わせ、最終目的地ヴェネツィアでは、父と会社の同僚の方々と「リストランテで最後の晩餐でもどうだろうか」ということになった。
 いよいよ最終日を目前とした3月12日。私達は親子水入らずでムラーノ島観光をしていた。ヴェネツィアでの滞在も5日目となり、今日が最終

もっとみる

Day0 -発狂、発症

 宿へ戻る。狭い部屋だ。この宿は、私達がアドリア海の女王と名付けた女将がいる。最初の部屋が狭くて酷く、変えてくれと言うと強気でまくし立て、仕方ないと追加でお金を渡したら、がらっと顔色を変えて、過ごしやすい部屋に変えてくれた女将。毎日のように誰彼構わず強気な態度の彼女を見て、妹と「あれは相当強気なおばちゃんだね。アドリア海の女王と呼ぼう」と決めたのである。
 うろ覚えだが、たしかアドリア海の女王も、

もっとみる

Day1-救急外来

 救急窓口は薄暗い。担当者は一人なのか、窓口は誰もいないときがある。Aさんと妹と窓口付近で並ぶ。患者は私の他に居た気がする。とくに並んでいるそぶりではなく、待合室の席に地元らしき男性が座っていたと思う。
ここは薄気味悪い。薄暗いだけではなく、建物が古いのだろうか。周囲は古くさく、奥の方から「ぴちゃ…ぴちゃ…」と水滴が落ちるような、気持ち悪い音が絶えない。病院と相まって薄気味悪さは倍増だ。
 まるで

もっとみる

Day1-判明

 窓口の担当者が現れ、救急外来の奥の部屋に通されたのだと思う。看護師が救急担当医師か、身振りで「車椅子に乗れ」と言う。
日本で見る車椅子とは全然違う形だ。背の高い背もたれが付き、ちょっとした玉座に座る感覚である。映画"ハンニバル"で、レクター博士が刑事を座らせた車椅子を押すシーンがあるが、その時に登場した形と似ている。
 車椅子に座った私は、これでやっと診察してくれる安堵感に包まれた。採血され、救

もっとみる

Day1- 交渉

 まさかの急性盲腸炎? 想像だにしなかった結果に戸惑い、このまま飛行機に乗って帰国していいものか悩む。
 盲腸炎の恐ろしさは知らない。薬でちらす。酷かったら麻酔してチョンと切る。オナラが出たらハイ退院。それくらいの知識だ。だが、通訳Aさんからの話は深刻だった。
「急性なのでいつ破裂するか分からない。最悪死に至る。」
 それを聞いて暗澹たる気持ちになる。言葉は通じない異国の地。我慢したら最悪は死。ど

もっとみる

Day1-手術まで

 私は病室で寝ている。大部屋だ。今まで見舞いはあっても入院の経験は無いから、病室にいるというのが不思議である。しかもここは日本ではなくヴェネツィア。
 通訳のAさんはもともと空港までの見送りだったこともあり、この時点でヘルプ終了となった。Aさんが通訳してくれたおかげで、なんとか手術まで漕ぎ着けた。病院に残るのは私達家族である。妹は搭乗する飛行機の離陸時間が過ぎているはず。父と二人で空港へ行き、事情

もっとみる

Day1-手術へ

 手術へはいつ呼ばれたのか忘れた。覚えているのは、女性看護師が来て私を寝台に載せたところからだ。
 初めての手術。よくテレビで見るような、寝台に載せられて院内を移動するシーン。仰向けに寝ているものの、周囲の景色は目に入ってくる。
 病室を出て右へ曲がり、ナースステーションは通ったかな。しばし直進したら左へ曲がってエレベーターに乗った。妹が付き添っていたか忘れた。このときはもう空港へ行っていたかもし

もっとみる

Day1-暗闇へ

「Ha,Ha,Ha…!」
 その医師は長電話と同じテンションで私に近づく。「Hello!」だったか「Ciao!」だったか、私にでも分かるフランクな挨拶をして、
「Yoichi Yoshinaga… Yoichi! Oh! Yoichi! Ha,Ha,Ha!」
 私の名前を反芻すると、いきなり大笑いした。この名前はイタリアでウケるのか? あまりにも笑うので、ちょっとムッとする。
 そして、いきなりぶ

もっとみる

Day1-起床

 どれぐらい長い暗闇だっただろうか。"左隣のマリア様"による指パッチンのあと真っ暗となり、やがて水面へと浮かび上がるかのように薄っすらと視界が明るくなって目が覚めた。全身麻酔はかなり効いていたらしい。
 ふと目を覚ますと、仰向けに寝ている。見知らぬ天井だなと思ったら、そこは先ほどの病室だった。と、視界に見知らぬお爺さんが2人現れた。(誰だろうか? 親戚にこんな人が居たか?)いや、ここはヴェネツィア

もっとみる

Day2-病室

 私が入院している男子大部屋は、5床のベッドが3・2で並ぶ。いや、6床の3・3並びであったか? まぁいい、大した違いはない。
 私は窓から離れた、つまり出入口に近い側のベッドで、右側にトイレと出入口、左隣は管だらけの大柄な中年B氏である。斜向いの窓側は、むすっとして気難しそうな、小松政夫似の初老C氏。C氏は昨日の入院騒ぎから一言も挨拶を交わせず、たいていはカーテンを閉じ、問診などで姿を現せても、私

もっとみる

Day-2 隣人

 術後2日目は飲食禁止である。これは日本でも同じなはずだ。私は一人、ただ寝るだけしかやることがない。
 就寝時間となる。私はひたすら寝る。術後で疲れているとはいえ、寝てばっかりだとかえって眠りが浅くなる。と、隣のB氏がモゾモゾと動く。気になってそちらをみると、管だらけな体を器用に起こして立ち上がり、足を引きずりながら歩く。その姿は、腐りかけの巨神兵か、満身創痍のエヴァンゲリオンか。闇夜で蠢くB氏は

もっとみる

Day3,4-入院生活

 入院生活は単調だ。手術直後までは数時間おきに強烈な出来事が発生していたから、鮮明に記憶していた。変化の乏しい3日目からは、20年経った今となっては記憶も曖昧だ。日付が前後するかもしれないが、覚えている事柄を列記していく。

 2日目か3日目の日中、若い女性看護師がきた。ショートカットで小顔の美しい女性。目を見張ったのは容姿である。
 身長は170cmの私よりもありそう。メイクはバッチリで、スカー

もっとみる

Day3,4-入院生活2

 点滴の話が出たので、ひとつの出来事を紹介しよう。入院2日目に「点滴の減りとスピードが早すぎるのではないか」疑惑が生じた。その話には続きがある。
 急激に衰えた若い体を戻すには、ほぼ滝のように落ちる点滴のスピードが良いのかもしれない。しかし、500mlほどの点滴液が30分もしないで空になるのは、さすがにおかしいのではないか。私は医療関係に疎いので、術後の点滴スピードはそんなものなのかもしれないが…

もっとみる