Day0 -発狂、発症

 宿へ戻る。狭い部屋だ。この宿は、私達がアドリア海の女王と名付けた女将がいる。最初の部屋が狭くて酷く、変えてくれと言うと強気でまくし立て、仕方ないと追加でお金を渡したら、がらっと顔色を変えて、過ごしやすい部屋に変えてくれた女将。毎日のように誰彼構わず強気な態度の彼女を見て、妹と「あれは相当強気なおばちゃんだね。アドリア海の女王と呼ぼう」と決めたのである。
 うろ覚えだが、たしかアドリア海の女王も、目を見開いたまま黙って見ていた気がする。はたから見ても心配するほど、私の姿は相当ぐったりしていたようだ。部屋に戻る。快適といってもヴェネツィアの宿はけっして広くはない。散らかった荷物をパッキングせねばならない。何とか力を振り絞り、スーツケースに纏める。
「辛い。寝る」
 熱はどんどん上がり、目が蒸発しそうなほど熱い。息苦しい。過呼吸になる。これは40度近くありそうだ。そのうち頭痛が酷くなり、節々も痛みが増し、あちこちが蒸発しそうなほど熱く、いつしか激痛へと変わっていく。
「苦しい!痛い!」
 関節、骨、内臓、脳。体すべてがキリキリと音を立てるかのような激痛。(なんだこれは…耐えられない…)あまりの激痛に、部屋の壁に思いっきり何度も頭突きをする。そうでもしないと痛みが紛れない。
 私は息を切らしながら「殺されたほうがマシなほどの激痛だ」と妹に伝える。今すぐ楽になりたい。妹は兄の突然の豹変に驚くしかない。何かあったらと、当時ではまだ珍しかった海外携帯電話を持っていたため、妹は父と連絡した様子。迎えに来る現地ツーリストにも事情を話したようで、とにかく病院へと連絡を取っていたらしい。私はその頃、痛みに疲れ果てていた。

 早朝。現地に住む日本人女性のツーリスト、Aさんが迎えに来る。Aさんは通訳も兼用しているので心強いが、この旅は旅行会社のフリープランだから、本来は空港までの付き合いとなる。 Aさんは病院まで一緒に着いていくという。手配していた水上タクシーに担ぎ込まれた。
 まだ白やむ前のヴェネツィアの運河を、一艇の水上タクシーが駆ける。ボート上の私はただ過ぎ去る町並みを眺める。やがて船から見ても大きな建物の横についた。どうやって担ぎ込まれたか忘れたが、そこは市民病院であった。
 緊急外来窓口へ行く。何やら薄暗い空間。ここは地下か? 何処かは分からなし、建物の構造も不明だ。第一、周りを観察するほどの体力は既にない。とにかく、病院なのは間違いない。救われた。そう、私は救われたのだ。よかった。早く診察を!
 しかし。診察はすぐには叶わなかった。


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