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友達の定義によって数は異なるが、自分にとって本当に大事な友達を見つけることを最優先に生きることが大事

幼い頃から、友達の数は少なかった。

今はもっと少なくなり、ほとんどいない。ここ最近ずっと友達についてばかりを考えていた。

年々歳を重ねるごとに、自分の価値観も変わっていき、変化していく。その変化によって、感じ方や捉え方がちょっとずつずれていく。その中で、自分にとっての友達とはなんだろうか。

「友達がゼロで完全にひとりぼっちなんだ!」ということを言いたいわけではない。友達をどう定義するかによって、自分の友達の数には振れ幅が生じるからだ。その定義上僕の友達は少ないということだ。

中でも最も重要なのは自分の中でどういう人が重要な位置に来るのか、また、そういう人は誰なのか、自分が定めた軸の中で友達を見つけることだという話。

小〜高は周りの目を気にして周囲と同調していた

親からは「友達を作りなさい」と言われ、育ってきた。大方の人がそう言われてきたかもしれない。

確かにそれ自体は重要な考えだから否定する余地はない。ただ幼い自分はその言葉を鵜呑みにしてしばらく生きてきた。要はただ友達を作るために周囲と馴染んでいたのだ、それは小〜高まで一緒。

自分は他の人と何かが違うと常に感じていた。例えば遊び一つとっても、みんなが楽しく遊んでいることが、自分にとってはさほど面白いとは思えなかった。今考えるとマイノリティ側の人間だったのかもしれない。

振り返るとどこか無理して、自分を殺して他人と接していた。昔から一人で何かをすることが好きで、本を読んだり、周囲を散歩したりする方が好きなのだ。


でも、遊びを断ればグループから排除され、仲間外れにされてしまう恐怖心のもと、僕はそのコミュニティに所属することを余儀なくしていた。

幸か不幸か、小〜高までは所属するコミュニティがあったので、そもそもそういった環境に入れないということは起こらなかったのである。

そうやって小〜高時代は生きてきた。もちろん質は学年が上がるにつれて上がってはいたが、自分の本質は変わらなかった。

もちろんみんなと居ることが楽しくなかったわけではない。いろんな思い出を作ることができたし、有意義な時間を過ごすことができたのは間違いない。

ただ、その中で感じる違和感が少しずつ増幅していった感覚なのだ。小〜高校までは少なかったのだが、最近は本当にそう思う。具体的に言うと、遊び一つとっても他の人が感じる幸福と自分が感じる幸福は違うという違和感である。


例えば最近だと(最近っていってもここ1~2年)、高校時代の友達と少しずつ考えや話の歯車が合わなくなってきている。

どういうことかと言うと、過去の話ばかりに執着していたり、人の噂話ばかり話たり、とかその他諸々の理由がある。

地元の友達とは年に1回会えば良い方。でも毎回会うたびに過去の高校の時の話ばかりが展開される。終わったと思えば、〇〇がこの前あの人と歩いてるの見たとか、あの人結婚したらしいとか。

毎回そんな話ばかりが飛び交っている。話たい気持ちはわかる、過去の思い出を振り返ることは楽しいからだ。


でもなぜか毎回そればかりで飽き飽きしている。だから最近は、地元に帰っても誰かと話そうと言う気にあまりならない。そもそも自分の確固たる価値観とかを持っていない人が多いので、話が空中分解しがち。なので、話しても伝わらないのだ。

今をどう生きるのかが重要なのに、過去の思い出と友達の人が多くて、なかなか自分の本心とかの話ができないものだと傷心している。

考え続けた末の答え

こういった経験があったからこそ、大学の後半では友達についてふと考えることが多くなった。自分にとって友達とはなんだろう。大事な友達ってどんな人なんだろうとか。

自分なりの結論としては、「価値観を押し付けず、同じ目線で対等に接することができ、お互いのことを尊敬し、共に言い合える間柄」なんだろうという終着点に行き着いた。

この答えにたどり着いたことがきっかけで、少し気持ちが楽になった。同じ目線の人はそもそもそんなに存在しなくて、出会えたらラッキーと思えるようになった。

本当に大事な友達と思える人を大事にすること、この重要性に気づけたのは自分の中で大きかった。

友達とは

人によって友達の定義は違い、接する対象も異なるだろう。

僕はそれで構わないと思う。自分は23年生きてきた結果として、上記の考えに行き着いただけだ。みんなが自分の思う価値観のもと、幸せに過ごしていけば良いのではないかと思っている。

ただ、価値観は宝石みたいなもので、適宜磨いてアップデートしていかなければならないと思っている。変化を伴わない価値観は、自分にとっては衰退と同義の意味を表すためである。

その時その時で自分の考え方は移り変わっていく。けれども本質的に大事なもの、大事な考えはおそらく変わらない。


友達は少ない方がいい、そう考えれることがある意味自慢でもある。いろんな人と浅く付き合うよりも、特定の人と深く付き合っていくほうがよっぽど重要だと認識しているからだ。

現状、自分の定義上での友達数はゼロだが、それに近い人は何人かいるという状態である。今は悩みごととかないので、特に困っていないけど、いつか、心から尊敬しあえる素晴らしい友達を見つけること・作ることができたら。

そう思っている。

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