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ココロとカラダのあいだを行き来する。『自分疲れ』頭木弘樹

以前なら、ちょっと無理しても大丈夫だったのに、今は休みながらでないと仕事が続かない。うっかりすると、すぐ身体のどこかを痛めてしまう。天気が悪いと辛いときがある。怪我したわけでもないのに、指が動かなくなる……ヨガやピラティスに一年以上通ううち、ようやく「そういう年齢になったんだ」と理解できました。遅すぎです。

小指について、いちばん知っているのは、小指をケガした人だ。

『自分疲れ ココロとカラダのあいだ』

この本は、何となくしんどいときにも、さらっと読めます。片手サイズで軽くて、ページはめくりやすい程よい厚さと手触り。文字のフォントも行間もいい感じで、文章は個包装だから、どこでやめてもいい。かわいいイラストや、なじみのある小説、マンガ、俳優さんのエピソードがたくさん引用されていて、「あるある」、「なるほど!」、「そうだったの!?」事例がたくさんです。

ココロとカラダは、どちらがメインか分けられない。性格の問題と思われていたものは、実はカラダの問題だったってのはよくある話。カラダが感じて、初めて感情が生まれるし、身体の条件によって性格もかわる。でも、カラダの一部がなくなっても、あるように感じることもある。

カラダの問題は、友だち関係にも影響します。人間関係どころか、社会(会社)にも評価されてしまう。確かに、病気とか以前に、みんなと一緒に食事をしない人は敬遠され、どんな深刻な理由があっても理解されにくいのは事実。胃腸や大腸が弱い人は、自分をコントロールできない人だとみなされます。

でも、カラダは本来、そんな簡単にコントロールできません。できると思っている人は、無自覚なだけか、経験がないだけ。みんなできてると勘違いしがちだけど、実は隠している人も結構いるそうです。そして、自分がある日突然、自分をコントロールできなくなって、ようやく気づくという。

ココロとカラダは簡単には分けられないし、好きと嫌いの間にも、ちょっと好き、なんとなく好き、わからないけど好き……みたいな無数のグラデーションがある。そして、男性と女性の間にも無数のグラデーションがあるそうです。人のカラダの内蔵が、機械の部品みたいにきっちりわかれているわけではないように。

「じぶんが生きているこのカラダ」は実はすごく曖昧で、あるときはカラダだけみたいに思うけれど、別のときにはココロだけみたいに感じることもある。生きている間に、その両方を絶えず行き来しているのが人間だと頭木さんはいいます。この話、個人的には、かなり腑に落ちました。

読んでいると、とりあえず肩の力が抜けて、「まあ、いいか。」と思える不思議な本。気持ちの前のめりが少し治るような。季節の変わり目にもおすすめかも。読んでいる間に、ヨガのコーチがよくいうセリフを思い出しました。

「隣の人を真似して、無理してがんばらないでくださいね。みなさんが今、曲げたり伸ばしたりしているのは自分の身体で、隣の人の身体じゃないですよ。自分の身体のことは、自分に聞いて、大事にしてあげてくださいね。」

同じシリーズの外国語についての本も、よかったです。こちらもおすすめ。


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