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闘いはピッチとその外にもあり。『女子サッカー140年史』スザンヌ・ラック

先日、娘と見たフランス映画『クイーンズ・フィールド』。フランスの田舎のクラブチームが全員出場停止になったので、女性たちが代わりに試合に出ようとする話。夫たちが、選手のユニフォーム隠すとか、グラウンド使わせないとか、子供っぽい妨害をするのでイライラしましたが、まさか実際の女子サッカーの歴史でも、これと同じようなことが起こっていたとは驚きです。

この本によれば、イギリスの新聞で最初に女子サッカーが確認できるのは、19世紀後半。日本だと明治時代になります。「国際試合」の公式記録としては、1881年5月9日、エジンバラでスコットランドとイングランドの試合があるそうです。ただし、この頃はまだ、ハイヒールのブーツを履いた、色物的な扱いでした。

男子サッカーに比べると、女子サッカーは下手くそ。スピードがない。スキルが足りない、などなど。今でも聞くような上から目線の指摘は、この頃からあったようです。あとは、女子がサッカーなんて言語道断。ロングスカートでもやれるローンテニスやクリケットが望ましいとか。苦笑いしかでません。

イギリスの女子サッカーの盛り上がりに決定的だったのは、第一次世界大戦。戦場に行った男子の代わりに、女性たちがサッカーをやるようになりました。今まで女子サッカーを眉を潜めてみていた男たちも、女性たちの活躍に肯定的になりました。アメリカの場合、同じことはサッカーじゃなくて野球で起きてました。お国柄ですね。

戦争が終わると、女性は工場やグラウンドでは戻ってきた男たちに、場所を明け渡さなければなりませんでした。女性たちのサッカーは、興行収入もよかったけれど、だからこそ警戒されました。1920年、イングランドのサッカー連盟(FA)は、女子サッカーの禁止令を出したそうです。ひどい。

その後、イングランドで女子サッカーに再度注目があつまったのは、なんと50年後。1971年、ようやく女子サッカー禁止令が解除になりました。一方で、女子サッカーはイングランド以外の国でも盛んになっていきました。イタリアでは、1970年代から80年代に女子サッカーのプロ化の動きがあったそうです。

アメリカでも、1970年代のフェミニズム運動の影響を受けて、発展していきました。北欧のデンマーク、ノルウェー、スウェーデンでも、女子サッカーの強豪国になっていきます。東西ドイツでは、職場のレクリエーションから80年代に代表チームの活躍につながっていったとか。

そして、2000年代に入ると世界各地の女子サッカーが世界各地で発展していく流れをざっくり説明しつつ、現代のイングランド女子サッカーをとりまく課題と将来的な提言でこの本はまとめられています。なんと、女子サッカー禁止令をFAが正式に謝罪したのは2017年だそうです。まぢか……

この本を読んで、最初の部分はとてもおもしろかったし、世界の良書をいち早く翻訳している、さすが白水社だとは思ったのですが。でも、全部読み終えた後の感想はこれの一言につきます。

イングランドとヨーロッパ以外にも眼を向けて!!!
日本代表は、オリンピックで優勝してるのに言及なしってひどい!!!

大昔、大学の歴史の先生が「イギリス人は今でも自分たちが世界の中心だと思っている。あの国の歴史書もそんな感じ」と言っていたのを思い出しましたよ。ジャーナリストでもアジア=インド。それより東のことは知らないって。しかも、ヨーロッパだってイギリス中心の記述で、近隣の国には最低限の言及しかないし。

訳者さまも同じ思いだったようで、巻末の訳者あとがきは、日本女子サッカー史になっているのが、唯一の救い。ありがとうございます、実川元子さま。それから、中国では漢(B.C.206-A.D.220)の時代に女性が蹴鞠というゲームをやっていたとかいうのは、雑学として楽しいです。


■余談

以下の映画は、イギリスの中流のお嬢さん+ガチガチ女性に厳しいインド系女性がサッカーやる映画でしたが、本書を読むと、インド系という設定がなくても全然行けましたね。女子サッカーに反対する両親たちの設定。

女性の参政権は、第一次世界大戦後に獲得できたのに、サッカーは禁止っていったいどういう理屈なのか意味不明。体育会組織は、政治の世界より保守的ってこと?(ありそう……)


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