見出し画像

「女」芸人のお笑いはなぜ面白いのか

お笑いが好きでよく見るのですが、疑問がずっとありました。それはなぜネタが面白いのか、ネタを面白くする文脈は何かということです。特に、男芸人が面に出てきやすい世界で、「女」芸人のお笑いについて。2017年にはThe Wも開催され、たくさんの女性芸人がスポットライトを浴びられるようになってきました。でも女性芸人のお笑いは独特な特徴があることに気が付きました。

ちなみに、これは俗にいう「お笑い論」ではありません。何がお笑いを面白くしているのか、それはなぜなのか、なぜ私たちは笑うのか、ネタそのものではなく、それを成り立たせている背景から考えてみようというものです。
女芸人のお笑いの特徴(全ての女芸人のネタには当てはまらないが、男芸人のお笑いにはほぼ当てはまらないもの)は主に2つあると思っています。

一つ目が女が嫌いな女を題材にするもの。このネタをする代表的な芸人さんだと、横澤夏子さんや吉住さんなどが当てはまります。被害妄想や自己過信だったり、高級志向、ぶりっ子で男性に媚びるなど、日常にいるイライラする女性についてです。

二つ目がセクシーさ、モテる/モテない容姿に関するもの。紺野ぶるまさんや去年のThe Wの決勝にも出られた茶々さんがいます。エロティシズムを取り入れたネタです。他にも、ぼる塾さんなど、あんりさんのぶりっ子具合を、体格差のある田辺さんときりやさんがツッコミを入れるように、イラつく女子と(反対にモテないとされている)容姿の両方の要素を取り入れた芸人さんもいます。

では、なぜこういう女性芸人のネタがウケるのか。

フロイトに基づいたジョーク・コメディ論によれば、コメディーの面白さは普段、私たちが社会のルールやモラルのために押し殺している、潜在的な怒りや欲望をちょうど良いように(それはお笑い芸人の腕にかかってくるわけだけれども)解放してくれるかららしいです。いつもは隠しているけれど、本当はそうしたい・それが欲しいと思っている。だから、それを指摘されたとき、私たちはくすぐったくて笑います。(ちなみにフロイトは女性の性を劣っているとし、男性を優遇した理論を説いたことで悪くも有名ですが、今回は今の日本のお笑いが男性からの視点に偏っているということでここでは言及しています。)

この視点で見た時に、二つ目の特徴の一つ、セクシーさを売りにしたお笑いに関しては男性ウケがいいのは分かるかもしれません。ただ、下ネタやエロさを売りにしたお笑いをする男性芸人もいます。ですが、そういう笑いは「同類の笑い」です。男性に対してウケます。女性芸人に特有なのは、それは女性ではなく、男性に向けての笑いだということです。
女性は日常から「男から見た女」を強要されます。悪い言い方をすれば、「性的なもの」です。そこには、女性の身体は女性自身のものではないというメッセージがあります。テレビやお笑い業界は男性が多く、賞レースでも男性の審査員の票を貰わないといけないことから(去年のThe Wでも7人中4人が男性でした)、男性向けの笑いをすることで、文字通り生き延びている女性芸人も多くいると思います。最初はそういうつもりではなくても、周りからそういう期待をされてしまい、そういう売り込みの仕方にならざるを得ないケースもあります。明らかにセクハラである状況がお笑いという形で出ているのです。

ただ、もう少し厄介なのが、さっき分類した、「女が嫌いな女」です。こっちは男性にはあまりウケません。これを笑うのは女性です。イライラする女子を代わりに斬ってくれるとスカッとするのです。被害妄想、自己過信、高級志向、ぶりっ子、男性に媚びる女….. 

じゃあなぜイライラするのか、その欲望自体が生まれるのか…..

特性として、自分以上のものを手に入れている人、それを自慢してくる人、特にそれが「その人自身が不当に得ている」と思うとき、私たちはイラッとします。要するに、「幸運な位高い女」を私たちは嫌います。

位が高いとはどういうことか。一つはさっきのセクシーさと関連した容姿です。男性の目から見て、自分より容姿が優れていてモテそうだと判断した女性を私たちは快く思っておらず、それをどうにかしたい欲望が生まれます。反対に自分と同じレベルかそれ以下だと判断した女性には共感します。だから、例えば、ぼる塾のあんりさんの自慢話を、体格の大きい田辺さん・きりやさんがけなすことで笑いになるのです。さっきの「男から見た女」がまた登場します。ただ今度は、男性の視点が女性の中に無意識のうちにあり、女性が他の女性を見、評価しています。

もう一つはやっぱり経済面です。お金持ちの女、男に媚びる女も私たちは快く思っていないのではないでしょうか。じゃあなぜそもそも女性の中にそういう格差が出てくるのかという疑問が湧きます。

歴史によれば、70年代になり、女性の晩婚化が進み、結婚して退社するまで働くことで経済力をつける女性が登場しました。企業も大学卒の女子も雇うようになりました。一方で、男女別の採用が一般職・総合職と名前を変え、女性が総合的な仕事に就きづらくなります。80年に非正規雇用を民間が斡旋できるようになり、女性の大半がパートの仕事に就くようになりました。90年代になってバブルが崩壊して、一部の総合職の女性が勝ち残り、男性でも仕事に就けない状況が起こったために、「女性活躍」のスローガンの裏では、エリート女性へのバッシングが始まりました(それが政権から不満を遠ざけるという政府の狙いだったという見方もある)。また、慰安婦問題も認められるようになって、被害者面する女性に対する反感が、保守的な女性の層から出てくることになりました。(以上、上野千鶴子著『フェミニズムがひらいた道』より)

こう見ると、雇用制度によって非正規雇用に就かざるを得なくなったパート主婦と勝ち組で残ったエリート女子の分裂が進み、女性内での貧困の差が定着したことや、強者女性と弱者女性、両方へのバッシングが起こってきたことが分かります。さらに、勝ち組女性がいる手前、お金をたかったり、被害者面することは「弱さ」と考えられ、バッシングの対象となってしまうのではないかと思います。「幸運な位高い女」というのは、その他大半の女性が苦しんできた制度や社会で、学歴、経済状況など色々な理由で勝ち残れた女性ということになりそうです。また、他の女性も自分が弱く見られたくないという感情から、今も根強く続く男女格差の社会で、悪く言えば、甘えてすねをかじろうとする女性(そうした方がより楽である現状があります)に対する嫌味、蔑みがあるかもしれません。さっき言った美貌を理由にたかる女性にも快く思っていません。そういう女はずるいからです。こうやって格差でどうしようもない現実とずるいという感情の間に葛藤が生まれます。お笑いはそれをネタにします。具体的には、幸運女子と甘え女子の両方をバッシングします。そうやって葛藤をうまい具合に解決してくれるから面白いのではないのではないでしょうか。

でもこれは男性芸人のお笑いにはまずありません。自分より運よく何かを手に入れたと評価された男性をけなして笑いにするネタを私は見たことがありません。現状、男性の方が望んだものを手に入れやすい社会で、男性の間でもそういう無意識的な自信があるのだと思います。だから、手に入れた男性を憎む必要もない。だって努力すれば、女性よりも簡単に手に入れられます。そして、他のもの、特に女性にすがる必要もあまりない。一方、女性というと、ずるい女をバッシングするか自身のセクシーさを売る選択肢が悪くも出来ているのです。ちなみに、女性同士が小競り合いしている姿もエンタメになり得ます。男性からしても、女性同士に競争させることで自分の縄張りが侵されないという安心感という欲望を満たしてくれるところがあります。The Wのみノックアウト方式(芸人のネタが終わり次第、暫定1位の芸人と争わせていく)が取られているのも、意図があるかないかに関わらず、社会の風潮を反映しているからに思えます。

この状況に気付かされることがあります。社会的弱者(この場合女性)同士がバッシングすることで、結果的に自らに良くない結果を招いてしまっているということです。不満は、男性優位の社会やエンタメ業界のせいだということに気付かず、他の女性に矛先を向けることは、オジさんが描く平和な社会にとって好都合になるのです。逆に言えば、不満は本当は女性へにではなく社会の方だったということに気付くということは、業界内のみならず、女性が自らの発信力を高め、自分達の生きやすい社会に変えていくことにつながると思います。

だから、私たちの方から、それは笑えないといったメッセージを発信していくことが大切なのです。大半の女性視聴者にウケなくなったら、お笑いを制作する人たちも改善せざる得なくなります。そして、男性から見た容姿によって優劣をつけてしまうこと、ハンデがある社会の中での経済力の差が出てきているといった意味でも、女性同士がお互い一緒になることは難しい。だからこそ、「同類の笑い」よりもっと「共感の笑い」が必要なのです。差はあれど、女性という理由で社会で生きづらいことがある(男性は全員生きやすいと言ってる訳ではありません)からこそ、芸人のノーマルが男とされている中で、「女」芸人さんには、日々起きる不満や望んでいることにもっと切り込んだネタをやってほしい。セクハラを痛快に斬るネタや「生理の日あるある」なんかを見られると進歩したなと感じます(笑)。テレビやエンタメには圧倒的に女性の声が少ない。だからこうしたネタを見られるようになった頃には、社会での女性の存在感や発言力もより高まると思います。女性が単なる華として司会者の横に配置されるのではなく、場を回したり、「女性らしく」ないために言えなかった、意見を言ったりできるようになってほしい。そして、賞レースの場でも女性審査員の方が増えていっていってほしいなと思います。

エンタメが影響力があるからこそ、そこで生まれる観客の反応・笑い(スタジオ内での強調圧力で笑っている場合も含む)は、女性のみならず、他のマイノリティの方々の存在を無視したり、軽視するようなメッセージを無意識的にも発し続したり、自分の中で普通のことにしてしまうことになります。馬鹿にされている方も、なんとなく違和感があっても、わからないうちに周りに合わせて笑ってしまう。そして、エンタメは生きづらい社会を生み、それを反映するものになってしまいます。だからこそ、私たちが笑うメカニズムとその社会的な背景を理解して、違和感があるものにノーを言い、面白いものには思いっきり笑いたいなと思うのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?