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若者と健常者中心の街作りに思うこと~愛の無いサービスと偏った商品

同じようなことを幾度か過去の記事でも吠えたり、呟いたりしていますけど…いやさ、本当に今の日本って技術は進んでいるけど、人に優しくないサービスや街が増えました。世の中、表向きは多様性とかバリアフリーとかジェンダーフリーとかを掲げている企業なんか多くなってきたけれども、高齢化社会と言う現実はかなり無視されているなって、つくづく思いますよ。その意味では、この情報化社会って言うのは、まさに現代の"姥捨て山"だなあって思ったりする。

誰しもが年を取り、いつしか衰える

さてさて、先月に臀部の腱を痛めてしまって、かなり不自由している…なんてこと書いていましたけど、その立場になって初めて解ることって多いもので。改めて色々と、世の中って高齢者や怪我人・病人、身体に不自由や障害などがある人に優しくないつーか、あんま考えてないところも多いなあって痛感させられました。
はい。眼(ドライアイと白内障と網膜剥離による視力障碍)の問題を抱えるようになってからは、様々な不自由さと折り合いつけながら生活しています。

でもって、エスカレーターやエレベーターが充実しているのは確かに都会のいいところだと思うのです。でも、優先席にしてもエレベーターにしても、スロープのある通路にしても、明らかにそれを必要とはしていない健常者が独占していて、本当に必要な人が使用しようとするときに使えないってのもあったりしますよね。まあ、それは仕方ないかなあ。この辺りは一人ひとりの意識の問題で、助けてくれる人や気遣いをしてくれる人もいないわけじゃないし…それが救いであり、まだまだ世の中捨てたもんじゃないと言う希望はあることはあるから。

それと自転車ね。自転車ってエコではあるけど、路上駐輪・駐車、マジ迷惑です。お陰で歩道は狭くなるし、車椅子の人とか通れないし、使えないルートとか出てきちゃうし、ホント困りもの。

喫煙者もそうだけど、一部の人がルールを守らないから、全員が悪いことになってまう。マナーを守っている人もいるのに、一部の人のせいで規制されちゃうのはなんだかな~って思いますよね。

他人をエレベーターガールにする人つて多いよね

若作りファッションとマスクのお陰で、たまーに30代か40代に誤解してもらえることもあるから、そんな年寄りには見てもらえないわけですけども…
まぁ、いちおうまだ50代だし。でも身体能力つーか健康面では70代くらいかな…www そこはそれとして…

脚が痛いこともあり、この一か月位ずっと、びっこ引きずりながらヨタヨタと歩いてまして(今はだいぶ普通に動けるようになりました。まだ治ってないし痛みはありますが)、めちゃくちゃ時間が掛かるわけですよ、歩くのに。なので、横断歩道を青になった瞬間に渡り始めたと言うのに、向こう側に行きつく前に途中で赤になってしまった…と言うことに何度も遭遇してしまったりなんかして。
ちゃんと渡り切ってからもまだ青と言う信号もあったから、その信号によって時間が違うということで…それは交通量のこととかで調節しているんでしょうけどね。たぶん、歩行者よりも車の交通量のことを優先した結果なのでしょう。

いやさ、でも短すぎます。若い人、普通の人ならスタスタと渡り切れるのでしょうが…今回の私のように足を怪我している人とか、お年寄りとかには青信号の時間があまりにも足りないんだわ。
かと言って、カメのように極端にスローモーだったかと言うと、たぶん80歳くらいの人と同じ速度。歩行を補助する手押し車?(なんだっけアレ)を押している人と変わらない速度であったと思う。

うん、ホント足りないよ。信号を渡る時間がさ、圧倒的に短すぎる。まあ、信号が変わりかけているのに無理に渡る人は論外としてさ… 

便利さや合理性は必ずしも人には優しくない

セルフレジも本当に困る。使いにくいとか、そういうもんじゃない。40代以上の4人に一人が緑内障、60代以上の5人に1人が白内障(だったと思うけど)…さらに年を取ると視界が狭くなる。子供も視野・視界が狭いけれど、そっちに戻っていくんだわ。老眼とは別にね。一瞬でモノを見て、それを判別する能力も退化している。視界に入れてから、それがなんであるかを認識して、対処するまでの時間にタイムラグが発生するってこと(時間差攻撃か)。だから、目先のものしか見れない。眼鏡で補正出来る問題では無い
ついでに、だいたい腰とか膝とかに故障と言うか問題を抱えている。円滑に体を動かすことが出来ない。目て見て自覚してからも、それをすぐ行動に熱すことが出来ない。瞬間的に動くことなんぞ、どんどん出来なくなっていく。よっぽど若い頃から鍛えていた人でない限りはね。

だから、セルフレジとか、横にあったり、下にあるものは、まず視界に入らない。レジの人の手元しか見えないんだもの。それが精一杯の視力の限界って人もいる。レジの液晶画面だって文字が小さすぎるし、見にくい。腰をかがめないといけないものは、めちゃくちゃ身体に負担が掛かる
※百貨店の正社員として販売職を長くしていた人も還暦になって、視野が狭まり、真正面しか見えて無いのでイレブンセブンで横を指さされて「ナニ言ってんだ、こいつ」と思ったと…同様のことを言っていた。どうやら還暦くらいからグッと視野が狭まるのか。

その意味で、年寄りには買い物をしてくれるなって、そんな排除システムにしか思えない。正直、不親切だ。この感染症下では合理的なシステムだって、開発者やメーカー、健康で身体に問題の無い若者世代は、いいアイデアだと自負していて、大歓迎している人も多いのだろうけど。

うん、人間は機械じゃない。どうして人を機械のように扱うんだろう。人の生活を便利に、豊かにするために機械も技術もあるべきだと思うのに…どうして人間を機械のように画一化された存在として捉えて、「皆同じ条件」にあるものとして扱おうとするのだろう(処理して、あしらうって感じ?)…同じ所要時間と理解力でソレを利用出来るのがしごく当然とばかりに、使いこなせない、適応出来ない方がおかしいのだと…一体なんでそのような弱者を切り捨てるようなアイテムやサービスばかり生み出すのだろう。いつからこの世の中はこんな風になってしまったんだろう。何が技術革新だ。情報社会だ、そんなのクソくらえだ! 勝手にナルシズムに浸ってほざいてろ!

あなたたちだって、いつか年を取って、視力も体力も衰えるんだよ。その時になって、困りやがれ

年を取る弊害は、何も加齢臭だけでは無い(老害もあるか)。

眼鏡や補聴器、杖や歩行器、そうしたものだけでは補えないものがたくさんある。年寄りが常にイライラしたり、怒りっぽくなってしまうのは、自分の身体が思うように動かせない苛立ちと焦りもある。

私は子供の頃は視力は1.5だったし、それは20代の時まで。30以降に派遣の仕事でPC作業をするようになってから、一気に眼鏡が必要なところまで衰えてしまった(乱視と近視)。加えて50になってから老眼と白内障になってしまっただけではなく、網膜剥離とドライアイ悪化で手術した後も、両目とも普通に見えなくなってしまったのね。まず文字の形が歪んでいるし、真ん中が見えない。歪んだ鏡に映った世界と言うか、魚眼レンズで覗いたような感じで、まっすぐがまっすぐに見えないし、見えてないところ(視界に死角)があるってところかな。日本語は想像とカンで大体この文字で文章だろうってことで読めるけど、アルファベットと数字の判別が難しいので、スペルとか見落としが出てしまう。数字も10桁あっても、8桁に見えてしまう。あと、極めつけが文字とか記号とか、それらがダンシングしているわけですよ、アニメーションみたいにね、動いて見えちゃうの。それがスマホを使えない理由。印刷された文字にしても、読めなくなった理由。盲目では無いのだけどね。眼鏡をかけているからって、それですべての問題が補正されるわけではないし、正常に見えているというわけではない。この説明をしても、スマホ画面を見せてくる人が多くて、乾いた笑いを浮かべるしかない。

そんな私の問題は置いておいて…
それぞれ個々の理由でスマホは過半数以上の人にとってはお役立ちアイテムではあるが、すべての人にとって便利に使えるものでは無いと言うのに…スマホを所持するのが当たり前な世の中になっていて、置き去りにされている側としては、腹立つことも多いわけですよ。マイノリティである人たちのこと、完全に無視してますからね。不自由を感じていること、この上無い。携帯もPCもやっとの上で使えているわけですが…(ブラインドタッチが出来る人間で良かったわ)

使いにくいとか使いやすいとかの問題では無いんだよね 
画面の文字やアイコンが認識出来ないんだよ 何もかも小さすぎて
これを不便なものと感じている人も少数派だけど存在するのです
何しろPCや携帯が普及したのは私世代でさえ30代以降だしさ
適応出来ない世代も人々も当然いるわけです
そして、そういう人を馬鹿にする風潮もおかしいよ

70代以上でもスマホを使いこなせている人いるけど、使えない人も多いわけですよ。PCも使えない人、老夫婦だけで暮らしている人、そういう人たちのことを社会も企業も行政も置き去りにして、忘れ去ってたりする。使えないのが悪い、所持してないのが愚かだとばかりにね。画面が大きければ使えるってもんではない。大体において開発しているのは30代とか40代の働き盛りで、身体機能に何も問題の無い人たちだったりするし… 年寄りのこととか、世の中のニーズとかまったく解ってないじゃんかー

なんで常に20代~30代を中心に考えての商品開発ばかりするのかなあ。

昨今ではAIの機械音声が対応するコールセンターも多いけど、加齢とともに聴こえなくなる音域(周波数の音)があるんだよ。聞き取れないんだがね。機械の音声。耳にも頭にも入ってかないの。若い人は低周波は聞き取れるけど、年寄りは低周波は聞き取れないのよ。そこを利用してのサービスはあると言うのに、その逆は無いんだわ。
私の年齢でさえ、すでに聞き取れないわ、AIの声。そして、郵便局の不在票とか、文字が小さすぎて視えねぇ、電話もAI音声で何話してんのか聞き取れねぇ! 役所からの案内も文字が細かくて小さすぎるぜい。

機械の音声は騒音にしか聞こえないんだわ。世代によってはね。これは聴覚の衰えの問題なのだから、仕方ない。だから、電話を通しての身内の声も聴き分けられなくて、オレオレ詐欺にひっかかっちゃうんでしょーがっっ!

レコードの音とCDの音、PCやスマホから出る音の違いが判る人、減りました
アナログ世代の人と今の世代の人では音に関する感受性も明らかに異なります
レコードの音は耳に優しく、音が豊かでリアルでした 生音には負けますけど
ある意味でみんな音に鈍感になったと言うのかなあ 
色彩に関する識別能力も日本人はかな~り衰えました
写真や画像の解像度は高くなって色鮮やかになったと言うのに
それを見る人の感受性は反比例したかのように衰えていってます

んでもって、最近のサイトはスタイリッシュを意識してんのか、文字の色が薄くて背景に消されて見えないってとこが多すぎるぜい。

それと画面を150%に拡大して視ている私としては、拡大すると見切れてしまって、スクロールのボタンもない画面とかは、全体が見えなくて、困ってます。サイトを見ろとか言われても、縮小すると見えないし、拡大しても見えないし、画面に現れない箇所を見ろと言われても、マジ困る。せめてスクロールくらいつけてよ。拡大しないと視えない人もいるんだから。そんなサイトを作った人には、早めに老眼か白内障、ドライアイの傷で視野狭窄になる呪いでも掛けたくなりますわよっっっwww

そして、これも何度も叫んでいるけど、どの街も似たり寄ったりのショッピングモールとレストラン街ばかりで、チェーン店と同じブランドばかり。資金力のある企業と量産店で、街の個性は失われ、何処にでも手に入る、あそこにもここにもある店舗ばかり。オリジナリティやその土地、地元らしさは年々失われ、面影は無くなり、町独自の色彩や匂いが消えてしまっている
それも、若い人中心の街づくり。

どこもかしこも同じ景色、同じブランド、チェーン店、同じようなものしか無くて、マジつまんない。この街でこそ味わえる雰囲気やカラーや空気感、この街でしか手に入らないもの、この街にしかない店…というものが無い。もーちょーうんざりするし、綺麗で整っているけれど、温かみの無い無機質な街ばかりで、アホみたいな建築デザイナーがやらかした仕事だなって、ホント思う。横文字ばかりで何を売ってんだか、解らない気取った店ばかりで、ここは日本だと言うのに西洋の街を作って何が楽しいんだろう
こんなんで何か都会のオアシスだって、開発者ってマジ馬鹿じゃねぇ。近未来的? その近未来的な街を作ったことで、住民や勤務するオフィスワーカーに鬱が増えたケースなんて腐るほどあるじゃねーか。某大型団地とか近未来をテーマにして作った某新都心とか湾岸地域とか(自殺者が増えたりね)。

50代以降のシニアにとっては、つまらない、見るところも無い、欲しいもの、買いたいものも行きたいところも無い、興味も無い、無いないづくしの場所ばかり。エルダー、シニア以上の人たちが楽しめる場所がもはや街中には無いと言ってもいい。だから、旅行に行くしか無くなってしまうのだけれども(あとは山登りとジムと病院通い?)。

この感染症下で、その旅行もお預けになって、年寄り同士の仲間内で集まる機会も減り、悶々としつつ…そんなんで消費する機会も場所も無いから、せめてもの「お取り寄せ品」にお金を使うことしか出来なくなった…そう(シニア世代の友人知人曰く)。

あと、一気に老けたー老化が確実に進んだとも言う人が多いなあ…やはり人と会ったり、しゃべったり、楽しむことが無いから。若い人と違って、「や一人様」で楽しむことが少ない世代だからかもしれない。

先日、千葉に帰省した際、確かに駅も駅ビルは綺麗になって、便利にはなったけれども。昔ながらのショッピングセンターは、地元ならではの店が軒並み無くなっていて、東京でもたくさん見かけますわねって、よく見知った店や小洒落た店ばかりになっていた。悪い意味では千葉のあの鈍臭さ、ローカルな雰囲気が無くなってしまって、新しい住民や若い人たちにとっては住みやすく便利になったのだろうけど… なんかホントつまらない街になった別に千葉で無くても、って感じの平凡な何処にでもある街(ピーナツのオブジェとかは可愛いけれど)。わざわざ行きたいところでも、そのために何かを探しに行くところでは無い。
それだけでなく、幅広い世代向けの個性的なものを扱っていた(個性的な店主の)店が無くなって、若い人向けの商品を扱う、単一的な店しか無くなってしまったというおまけつき。

新宿東口はベルクさんの立ち退き騒動で知ったことだけれども、どうも店側の経営の問題だけでは無いらしい。こういう古くからの店を強制的に立ち退かせて、大資本の提携している店舗や系列の企業をテナントとして入れようというのは、かなり以前からのJRのやり方(策略)だ。

例えば、駅弁なんかがそうですね。人気のある駅弁を構内から締め出して(一方的な契約打ち切り)、ほぼJR系列の店だけにしたしだのは30年前位からだったか。京都ではそうやって締め出された駅弁屋さんが、改札まで届けてくれるサービスもしていましたっけ。人知れず消えていった駅弁の事情には、そうした背景があるのですよ。
結局は消費者のニーズや地元(企業)の利益では無くて、自分ンとこが私服を肥やすことしか考えてない企業ばかりだってことね。どこもかしこも商業主義で、致し方ない部分はあれど、なんかやだなーって思う。そんな企業は利用したくないと思いつつ、交通機関ではJRを使わないという選択肢が無いのであった。

老夫婦のデート・スポットって無いよね あったっていいのに

しかして、本当にどこもかしこも若い人中心の街づくり、店や品揃えばかりで、エルダー以上、シニア世代が楽しめる場所が無い。
母曰く、
「一番お金を持っていて、お金を使える世代だと言うのに、私たちが欲しいもの、ショッピングを楽しめる店、遊べる場所、行きたいと思う場所が何処にもない」

子供を連れた母親や親子連れ、車椅子などに配慮する店はあっても、年寄りが買い物に行きたいと思うデパートやショッピングモールや施設が無いのだ。レストランの食事の量は年寄りには多すぎる。映画は若者向け。博物館とか美術館、劇場なんか、そう言う選択肢はあるけれど。

どうせなら、一つの街に一つくらい、エルダー以上、シニアをターゲットにしたデパートやショッピングモール、大型の商業施設があってもいいと思う。何しろ高齢化社会だ。人口比率的にも、これから右肩上がりに高齢者が増えていくわけですよ。

50代、60代、70代、80代、90代と…そういう人たち向けが集って楽しみ、買い物したり、様々な楽しみを見つけられる、色んなものが集まった大型施設があってもいい。つか、あるべきじゃね? 
ファッションにしても、アイテムにしても。高齢者向けのスポーツジムやカルチャースクール、世代ごとに懐かしいリバイバル作品を上映する映画館、懐かしのスターや歌手のサイン会やライブとかもあってもいい。病人食や食事の量を調節できるレストランや懐かしメニューの喫茶店や茶屋、健康食品や器具を扱う店、50代以上だからこそ楽しめるゲームや憩いの場(ボウリング場やミニゴルフ、ゲートボール出来るとことか?)
高齢者が必要としている行政サービスや民間サービスの相談所や窓口、高齢者のためのPCやスマホ教室、年寄りが一日中いても楽しめる場所、どこか懐かしくて暖かいそれでいて便利で面白い場所…

(先日うちの母親もこのようなことを叫んでいましたっっ 「街が新しくなって、年寄りが行くところが全滅した!」…と。やはり親子なのか。80歳曾孫3人のひいばあです。ガラケーの通話機能以外使えません<20歳で結婚・出産した人なので私の年齢にしては若い親になりますかね)

働く人も50代以上でいい。同じ目線でサービスしてくれる店員さんがいるのが一番いい。(病院とかリハビリ施設、温泉?銭湯なんかも併設しててもいいかもねwww)
今はもう懐かしい、消えてしまった商品、サービス、昭和を懐かしむモノやイベントがあってもいい。

そう言うところがあってもいい。若い人向けの商品なんて、マジ我々には要らない(私まだ還暦前だけどさ)。

確かに見た目元気な年寄りも増えたけど、かと言って、何もかも若者と同じなわけではないのです。

巣鴨や浅草も、もはや年寄りの集う場所では無くなって、年寄りがお金を使いたい店が無いのが現状。

なんでまあ、本当に企業も土地開発者も何処もかしこも、若い世代と健常者しか世の中には存在していないような考えで、都市開発も商品もサービスもそこしかターゲットにしないのかしらね。高齢者の身体機能とかニーズとかをまったく無視して、排除しようとするのだろう。

うーん…

年寄りにこそ、それが小さなものにせよ大きなものにせよ、属するコミニティって大切で重要なのにね。震災の後に度重なって起こる悲劇で、そのことを思い知っているはずなのに。(情報が必要なのにネット環境が無いことから情報難民になってしまう老人は多いし、コミニティを失ったり、そこから外れたことで孤独死したり自死したりする高齢者が続出している)

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