見出し画像

きずつけるのではなく、きづける/きずける社会 | #もしも叶うなら


叶ってほしいことは、数えきれないが、

その中でも、特に、私は、

きずつけるのではなく、きづける/きずける社会

になってほしいと願う。

もう少し詳しく言うと、

無作為に他人や自分を傷つけることが無くなり、
お互いに尊重できるような社会

になってほしい。



連日のように、誰かを傷つける音が聞こえる。

その音を聞く度に、癒えない傷が軋む。



私は、中学生の時、いじめられた。

ずっと陰口を言われ続けた。ずっと仲間外れにされた。



高校生の時、てんかんを発症して、

てんかんに対する言われもない偏見、中傷を見聞きした。



これらの声は、音は、私の耳に残り、

この時の感情は、未だに私の心と頭を引っ掻く。





いじめられた時から思っていたが、

陰口、嫉妬、差別、偏見、暴力、嫌がらせ、いじめ、誹謗中傷など、

他人をきずつける行為は、弱い負け犬のすること。


だから、私は、決して容認しない。


自分と違う人のことを、違うと認識することは悪いことではない。

自分と違う人だから、仲間ではないと認識することがいけないのだ。


仲間ではないから、きずつける。

同じではないから、きずつける。


私は、そんなことをする人に、違うと断言したい。


違うからこそ、きづける。

同じでないからこそ、きずける。



これは、どんなことにでも言える、と最近、ずっと思っている。



私の所属している研究室は、大きく3つに分かれている。

教員が3人いて、それぞれ異なる研究をしているが、根本は同じ。

だけど、3つに分かれているから、

どうしても、所属する個の集団に引っ張られる。


いじめはないが、陰口は所々横行している。


だから、私は、違う集団の研究と私が所属する集団の研究を繋げることで、

これらの境界を敢えて曖昧にしたい。


違う集団の研究の良さや大変さにきづき、

違う集団の研究をする人とコミュニケーションを交わし、

お互いの違いを思いやり、尊重し、

同じ研究をきずき、創りあげたい。


それは、私の研究室内でも、別の研究機関との間でも叶えたい。



そのためには、やはり、私も、私以外の人も、

きずつけるのではなく、きづける/きずける心

を持たねばならない。


だから、私は、同時に、

きずつけるのではなく、きづける/きずける社会

を叶えたいと強く願い、

私もそのうちの一人として、このことを訴え続けたい。




I’ve had enough, I’m not a freak.
I just keep fighting to stay cool on these streets.
I’ve had enough, enough, enough.
And this is my prayer, I swear.
~ Hair (Lady Gaga)~

この記事が参加している募集

#最近の学び

181,541件

サポート以上に、フォローして頂けると、大変、嬉しいです!