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人生第80話 『本当につらかったがやりがいを感じたこの仕事』

おはようございます。新年明けましておめでとうございます。

今年もnoteを続けていきますので宜しくお願い致します。

今年も素晴らしい年になるといいですね。

久しぶりに記事の続きを書きたいと思います。

前回の記事では始まった仕事について発信しました。

今回の記事ではその仕事についてもう少し深堀していきたいと思います。

私の職種は「現場監督」です。なので上司、先輩と仕事を進めていきますがより密な関係があるのが職人さんです。

建築物を建てる為には様々な職人さんと付き合っていきます。個性豊かな方々ばかりでとても勉強になりました。

よかったことが、私の支店は大阪で大阪の現場でしたが、さすが大阪!!と言わんばかりに職人さん全員面白かったです。

よく仕事がつらく、へこんでいた私を笑わせてくれたのが職人さん達だったので、もしかしたらこの最初の現場を乗り越えられたのもこの現場で出会った職人さんたちのおかげかもしれませんwww

それでも仕事はつらかったですね。

長時間の通勤時間に加え、毎日新しい出来事の連続で私の現場はとにかく放任主義といいますか、先輩達も忙しくて後輩にかまっていられない状況でした。

なので自分で担当していた業務や工程は自分で解決することが多々ありましたが、そこはやはり新人なので判断に誤りが発生することはよくありました。

本当に現場に配属された一ヶ月は職人さんに「WGさん!これどうなっているの??」と聞かれても即答できない自分にもどかしさをいつも感じる日々でした。

それでもそんな私の対応にも大きな心で接してくれて、職人さん全員に私の成長を見守って頂きました。

半年も過ぎると大方、業務や工程の進め方はわかってきましたがただ初めての現場で今回の現場は約1年スパンの工期現場だったので常に新しい工程の連続でとまどいばかりでした。

これはあくまで2004年当時の話ですが、最後の仕上げ3か月前くらいになると休みがありませんでした。3か月連続勤務で毎日午前様を迎える日々が続きました。

私がこの時初めて経験したことは、疲れて帰ってベットに寝ようとした時、ベットに埋まっていく感覚に襲われました。

これはあまりにも体が疲れているとこのような感覚に陥ることがあるそうです。サッカーをしていた私は唯一の自慢は体力でしたが、その自慢の体力も失う程毎日が厳しい仕事だったのが今思うと恐ろしい程ブラック企業でしたねww

そんな毎日を過ごしてもやはり私の唯一、仕事を継続できた理由、それは

「物作りの楽しさ」

です。

今もそうですが、最初に現場に配属されたときは何もない平地だったのが基礎ができ、躯体ができ、外装、内装ができていく過程はとても感動を覚える日々でした。

よく建物の周りを足場で囲んでいますが、外装工事が終わり、足場を解体した時の建物の外観が一望できる瞬間はとても感動できる瞬間でした。

そんなこんなでつらく、苦しいながら楽しく、物作りの感動を改めて感じれた1年はあっという間に過ぎていきました。

次回は2年目となった私の状況について発信したいと思います。

次回も宜しくお願い致します!!

宜しければサポートお願い致します!人生の岐路に立っている人に対して私の経験で何かお伝え出来ることがあるかもしれません。