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デジタルが導く行政〝新常態〟 住民と職員双方の理想追求を|【特集】漂流する行政デジタル化 こうすれば変えられる[PART5]

コロナ禍を契機に社会のデジタルシフトが加速した。だが今や、その流れに取り残されつつあるのが行政だ。国の政策、デジタル庁、そして自治体のDXはどこに向かうべきか。デジタルが変える地域の未来。その具体的な〝絵〟を見せることが第一歩だ。

行政デジタル化の解は一つではない。暗中模索する自治体が向かうべき方向性とは。研究者、元自治体職員、IT系ライターである有識者3人の知見と経験からその糸口を探ろう。
聞き手/構成・編集部(川崎隆司)
写真・中村 治


編集部(以下、──)ICT技術の導入やデジタルトランスフォーメーション(DX)をはじめ、行政がデジタル化を進めることの意義とは。

廣川 2025年には団塊の世代が全員75歳以上の後期高齢者となる。医療介護の分野で行政負担が増加する一方、少子化で職員の数は減っていく。行政業務をいかに効率化、省力化できるかは全自治体の共通課題だ。

行政もマーケティング思考を身に付け、
ターゲット像を想定した戦略を

廣川聡美 Satomi Hirokawa
HIRO研究所代表/元横須賀市副市長
1975年より37年間、神奈川県横須賀市役所に勤め、情報政策課長、企画調整部長、副市長などを歴任。地域情報化計画策定や情報基盤構築、災害情報共有システム構築などの事業に携わる。現在は総務省の地域情報化アドバイザーとして、デジタルに関する計画策定や人材育成などについて全国の自治体へ指南。

庄司 その先にさらに「2040年問題」がある。団塊ジュニア世代が65歳の高齢者となり、団塊世代も90代。総務省が18年に公表した報告では「40年には従来の半分の自治体職員数で、本来担うべき行政機能を発揮できるような仕組みの構築を」と記載された。

 そのような状況で行政の非効率さやアナログな部分が改善されないまま、職員が大量の業務に追われ疲弊しているようでは、若者にとって「未来のある魅力的な職場」に映らない。

職員は「住民全員に等しく手厚いサービスを」
といった発想を転換する必要がある

庄司昌彦 Masahiko Shoji
武蔵大学社会学部メディア社会学科 教授
専門は情報社会学、地域情報化、電子行政など。中央大学大学院総合政策研究科博士前期課程修了、修士(総合政策)。19年より現職。国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)主幹研究員などを兼務。総務省「地方自治体のデジタルトランスフォーメーション推進に係る検討会」座長、デジタル庁「データ戦略推進WG」構成員などを務める。

酒井 私たちよりも下の世代はデジタルネイティブ。クラウドやチャットなど、学生まで当たり前のように使えていたITツールが、社会人になって仕事で「使えない」となれば、息ができなくなってしまう。

 民間企業のIT投資額は年々増加し、コロナ禍でリモートワークが進む中、行政と民間とで〝働き方ギャップ〟が広がっていることも背景として認識しなければいけない。

IT企業や市民開発者の参画を受け入れ、地域課題
に取り組む「シビックテック」という概念がある

酒井真弓 Mayumi Sakai
ノンフィクションライター
慶應義塾大学文学部卒業。IT系ニュースサイトを運営するアイティメディアを経て、2018年にフリーへ転向。現在は記者、広報、イベント企画、マネージャーとして、行政から民間まで幅広く記事執筆や企画運営に携わる。著書に『ルポ 日本のDX最前線』(集英社インターナショナル)など。

廣川 自治体が日々追われる業務には定例作業や単純作業も多い。それらをデジタルに任せ、地域計画づくりや住民との話し合いといった職員自らが考える仕事にシフトしていけば、行政業務は自ずと面白くなるはずだ。

──まず、何から着手すべきか。

庄司 自治体職員は窓口でのやりとりを前提とした「住民全員に等しく手厚いサービスを」といった発想を転換する必要がある。

 銀行の例になるが、昔はみんながハンコと通帳を持って営業時間に合わせて窓口に並んでいた。その後、ATMが窓口業務を代替し、さらにいつでもどこでも振り込みなどのやりとりができるネットバンキングやスマートフォンアプリが導入された。結果、多くの利用者にとってより便利になり、窓口混雑は解消され、銀行は顔を見て直接応対すべき顧客に注力できるようになった。

 たしかに行政の仕事の中には直接窓口に来てもらい、顔を見ながらの状況把握が必要な場合もあるかもしれないが、全ての手続きや、全ての住民に対して足を運んでもらう必要はない。アナログとデジタルを戦略的に使い分けるべきだ。

廣川 ひと昔前の役場の窓口や地域には〝生き字引〟みたいな人がいて、その人に相談すれば、どの課でどういう手続きをすればいいか、何が必要か、間違えやすいポイントは何か、などと親切丁寧に教えてくれる場面もよく見られた。

 ベテラン職員の存在やご近所付き合いが減って、地域独自のアナログなネットワークが薄れつつあるからこそ、デジタルで補っていかないと住民一人ひとりが時間的なコストを負担することになる。

酒井 苗字変更や死亡に伴う各種手続きなど、同様の変更が複数箇所にまたがって発生し、なおかつ多くの人が経験するような分野では、システム上で一括修正できるような仕組みを取り入れるべきだ。

 デジタル庁も、社会基盤となる行政データについて標準化することで利用促進を目指す「ベース・レジストリ」の政策を掲げるが、国と自治体で連携しながら進めてほしい。

庄司 各自治体が所管する業務システムの標準化は行政デジタル化における「土台」の部分にあたる。それができたならば、整理された状態のデータを取り出して多目的に利用したり、全国の自治体に向けた追加的なサービスをシステムへ同時に取り入れたりといったその先の活用も広がるはずだ。

廣川 住民目線を意識した自治体視点で見れば、人が見やすく、かつロボティック・プロセス・オートメーション(RPA)などの機械で処理しやすくするために、どのように帳票まで落とし込むのか、画面設計はどうするのかといった業務システムのインプット、アウトプットまで考えてようやく完結する。その検討に際しては、国やベンダーに任せ切ることなく、自治体職員が住民サービスを細部までイメージして進める必要がある。

住民側にとっては「ややこしい」
複雑怪奇な行政業務

庄司 行政のデジタル化について自治体職員の方とお話をすると、「デジタルは難しい」と口を揃えるが、住民の立場からすると「行政の仕事も相当複雑でややこしい」といえる。一つひとつの書類の様式が異なり、どこに何を書いてよいのか分からず、隣の自治体に引っ越せば、書類が別の様式になっていたりする。

 複雑怪奇な行政業務をそのままオンライン化しようとすると、使い勝手の悪いものが出来上がってしまう。一歩立ち止まり、形式や様式を揃え、よりシンプルに伝わりやすくできるかがその後の明暗を分ける。

──デジタル化をきっかけに従来業務のやり方自体を見直す。まさにDXだ。

酒井 自治体職員と違って、われわれ住民は行政手続きのことを常に考えて暮らしているわけではない。数年ぶりに役所を訪れ、突然目の前に書類を出されても理解しやすい、記入しやすい「住民目線のデザイン」を取り入れるべきだ。

 WEB化も進めてほしい。WEBの質問フォームであれば、「ここで回答が止まった」といったログデータを基に改善につなげることができるが、紙の様式の場合は作成者が想像するしかない。また、誤って入力した際にシステム上にエラーが表示されるように設定すれば、申請書が郵送で役所に届いて初めて記入漏れに気づき、本人に再度電話で確認するといった行政事務の手間を省くこともできる。

廣川 WEBデザインでは、画面を見ているユーザーの視線がどう動くかを計算しながらのデザイン設計も可能だ。従来型の行政サービスをデジタル化する際に、住民視点のUI/UX(ユーザーとの接点や体験)をいかに組み込めるかがカギとなる。うまく活用すれば、インターフェースを通じて住民の課題をより広く正確に把握できるなど、対面形式では成しえない新たなコミュニケーションツールとなりうる。

 行政もマーケティング思考を身に付けるべきだ。データを基に自らの自治体住民の特性や需要を分析し、ターゲット像を想定したうえで「必要な人に、必要なサービスを過不足なく届ける」といった戦略が今後求められる。

──従来型のやり方にとらわれない人材の育成も必要だ。行政のデジタル化を進める上で求められる人材とは。

庄司 目の前の仕事を俯瞰し、疑問を感じ、問題に気づく視野を持つことだ。「なぜ非効率なやり方で紙の書類を整理しているのか」「わざわざ窓口まで足を運んでもらう必要があるのだろうか」といった課題発見の目を持つ。その次に、見つけた課題の解決と、法律や条例といった現行制度との間でいかに整合性を取るかといったバランス感覚も必要だろう。

廣川 プログラミングが書ける、ビッグデータの分析ができるといった専門スキルをすぐに身に付ける必要はない。行政は住民や民間企業を巻き込んで地域課題を解決していく〝旗振り役〟でもあるので、必要なのは「物事を論理的に考え、日本語で分かりやすく説明する力」だ。ITベンダーにシステムを発注する際にも、そのシステムで何を達成したいのかを相手にストレートに伝え、交渉の舵取りをしていくことが重要だ。

酒井 課題を正確に把握し、求める要件を適切に伝えられることも大切だ。

 少し話が逸れるが、ITやデジタルの仕事に関わりたくて自治体職員を目指す人はあまり多くない一方、地域のために尽力したい、住民のために貢献したいといった熱意や優しさを持っている職員は多い。

 そういった職員が、デジタル化によって紙の書類の処理に忙殺されることがなくなり、インターネットを通じて住民との接点が増えることで、本来備わっている能力や資質をより発揮できる可能性もある。

「行政の無謬性」の壁を
組織改革で乗り越えられるか

──そういった人材を生かすためには行政組織の文化や風土も変えていかなければならない。

庄司 情報セキュリティーの観点でいうと、少し前に兵庫県尼崎市で住民の個人情報が入ったUSBデータを紛失する事件があったが、その直後に別のある自治体で小さなトラブルがあった。職員から「再発防止策をまとめたので見てほしい」と頼まれたので確認したところ、プロセスの各所で人によるチェック機会を増やしており厳重すぎる業務フローになっていた。

 「行政はミスがあってはならない」という無謬(むびゅう)性が足かせとなり、人的・時間的なコストを無視して「リスクをとるくらいなら、多少非効率であっても人海戦術で乗り切ろう」という感覚が日本の行政にはある。コロナ禍の対応が最たる例だ。

 一方、米国では政府が新型コロナウイルス対応における定額給付金を誤って対象外の日本人にまで配る事象があったが、米政府は淡々と「誤って届いた人は返してください」とアナウンスしているだけで、謝罪や再発防止といった対応は特にないようだ。「スピード重視で配ったので多少のミスは仕方なく、必要な人に迅速に届けられたメリットの方が大きい」という考え方なのでしょう。

廣川 職員が失敗することを恐れて新たなことに挑戦しない組織に未来はない。それを変えるためには、トップの言葉と後押しが必要となる。チャレンジをして失敗しても、そこから学ぶことを善しとするアジャイル型組織を、首長を中心につくっていくべきだ。

──必要な組織体制とは。

廣川 やはり専門の部署が必要だ。メンバーはITに関する専門知識を持った者ばかりでなく、業務改革、企画、人事、総務と、組織を構成する各分野に精通し、全体に横串しを通すことができる体制とすべきだ。

 さらにその専門部署をトップである首長、あるいは自治体のデジタル責任者の直轄下に置き、古い慣習やルールに縛られない、ある種の治外法権的組織とするのも有効だろう。

酒井 民間企業でも、「デジタル」のイメージが強い情報システム部門は、会社システムの保守管理を担う〝守り〟の部署である場合が多い。業務改革を伴うような〝攻め〟のデジタルを実行する部署を独立して置くのは理にかなっている。

行政運営を地域住民と一緒に
「シビックテック」という概念

──自由な発想で縦横無尽に動ける組織の中でこそ、新たなアイデアが生まれるのかもしれない。

庄司 従来の文化や慣習から一歩踏み出した人材や組織が育ってくると、行政の枠組み自体もリセットされる。インターネット上で行政サービスが提供されれば、市町村の垣根を越えた窓口業務の共通化や広域連携なども検討の余地があるだろう。

廣川 必ずしも自治体職員が公務員である必要もないのでは。仕事を早期リタイアした高齢世代や、育児が一段落した子育て世代などの中で「地域のためなら手を貸してもいい」といった人たちと共に行政を運営する形があってもいい。

酒井 民間企業や市民の開発エンジニアなどの参画を受け入れ、地元発のIT技術を取り入れながら地域課題の解を目指す「シビックテック」という概念がある。スマートシティのような地域全体のデジタル化計画も行政だけのものではなく、住民みんなが参加できる〝コミュニティー〟としての役割を持っている。

庄司 行政のデジタル化の先には地域全体の情報化、高度化の可能性が広がっている。行政側も地域に関するデータを住民に公開し、インターネット上で広く意見を求めるなど、デジタル化を進める中であえて住民参加の余地をつくっていく工夫や仕掛けが必要だ。行政と住民の関係は、単なるサービスを提供する事業者とお客様ではなく、共に地域を発展させていく協力者であるべきだろう。

出典:Wedge 2022年9月号

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