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"現実”の深層へ -中沢新一著『精霊の王』(と『アースダイバー 神社編』)を精読する(7-1)

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中沢新一氏の著書『精霊の王』を精読する連続note、その7回目である。

(前回はこちらですが、前回を読んでいなくても、今回の話だけでお楽しみいただけます。)


今回は第8章から最後までを一気に読んでみよう。・・・と思っていた所、2021年4月20日に中沢新一氏の新刊が発売されました。その名も『アースダイバー 神社編』。帯をみてみると第一章 前宗教から宗教へ第四章 鹿角大日堂第五章 諏訪大社などなどと書かれている。

これは『精霊の王』の「続編」としても読めるのではないか、ということでさっそく入手し読破したのであります。

例えば『アースダイバー 神社編』の「第二章 縄文原論」は、冒頭から『精霊の王』の「第十一章 環太平洋的仮説」の発展としても読むことができる。

環太平洋的特性の一つとして、文化の深層部に「三元論」が組み込んであることをあげることができる。…科学的思考は「二元論」でできている。どんな命題も「正しい」か「偽である」かのどちらかでなければならず、「正であり、かつ偽である」や「正でもないし偽でもない」は、そこでは受け入れられない。…ところが三元論の思想では、「正でも偽でもない」という中間的存在が認められていて、重要な役割を果たすことになる。(中沢新一『アースダイバー 神社編』p.35)

三元論は、世界の成り立ちを三者の関係としてモデル化する。

三者のうちの二つ対立関係にある。二つの項は互いに対立し、相容れない、相手方を退けあう関係にある。この関係にあるプラスとマイナス、真と偽、0と1、Aと非A、一と多、カオスとコスモス、右と左、上と下などなどは、どちらか片方であれば同時に他方ではありえないものとして互いに区別される。

では、三者のうちの残る一つ(第三項)は何かといえば、それは中間的存在である。

中間的存在とは、互いに区別され対立関係をなす二項の一方でありながら他方であり、他方でありながら一方である、そして一方でもなく他方でもないといったあり方をするものである。

そんなものがありえるのか?と思われるかもしれない。

私たちの日常の意識は、物事の間の予めはっきりと区別された対立関係が大前提としてあるということになっている上で始まっている。対立する両極のあいだには曖昧な中間領域はない。そういう具合なので「どちらでもあってどちらでもない」ということに突き当たると、困惑し、不安になり、恐れ、逃げ出したり目を背けたり見なかったことにしようとしてしまう。

区別「する」動き

しかし、互いにはっきりと区別されるAと非Aの二項対立関係がそれとして存在するのは、他でもないそのように「区別した」からである。

Aと非Aの区別は、端的に予め初めから与えられているものではない。

区別は、区別「する」動きの産物なのである。

ここにいくつかの区別が出てくる。

動的な区別と、静止した区別

区別する動きが作用する以前と、区別する動きが作用した

区別するという原因と、区別という結果

などなど、ついつい時間的な順序関係や、原因と結果の関係(因果関係)などを連想してしまうのであるが、これらのそうした関係もまたそのように区別する動きが作動した上ではじめて作られたものだということを忘れないようにしておきたい。

中沢氏は上に引用したところに続けて、次のように書かれている。

二元論は世俗的な事柄を思考するのに向いている。そのため縄文人のような古層文化の人々も、日常生活の場面では、身の回りの物事を男-女、右-左、上-下、内部-外部のような二元論的な対立項を組み合わせて、世界を秩序づけている。しかし古層文化の人々の心の奥では、人類への「サピエンスのあらわれ」を示すあの流動的知性の発生が生々しく感じ取られていたので、二元論でできる平面的な世界に「垂直に」突き刺さるようにして立ち上がってくる運動がなければ、この世界は生命を持たないと考えられていたようである。そこで二元論に垂直に刺さってくる第三項を組み合わせた三元論によって、この世界を全体的に捉えようとした。(中沢新一『アースダイバー 神社編』pp.35-36)」

互いに区別され対立する二項は、予め別々に存在していた何かと何かが後からくっついたという関係にはない

予め別々に存在していたものなど何もないのである。

あるAがAとして(非AではないAとして)存在するということは、Aと非Aを区別する動きが初めに蠢いているからである。

三元論の第三項である中間的存在は、互いに区別され対立しあいつつペアになっている二項の向こうに後ろに、その区別を区切り出す「動き」が蠢く気配を暗示するのである

これを図で書くとこういう感じだろうか。

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古層文化の人々の心の奥では、…二元論でできる平面的な世界「垂直に」突き刺さるようにして立ち上がってくる運動がなければ、この世界は生命を持たないと考えられていたようである。(『アースダイバー 神社編』p.35-36)

この「垂直に突き刺さるようにして立ち上がる運動」は二項対立関係の背後で動く中間的存在の蠢きの痕跡として具現化される。

それを「環太平洋の古層文化」の人々は「蛇、雷、川などで象徴しようとした」のである(『アースダイバー 神社編』p.36)。

翁は中間的存在・第三項の象徴

ここで『精霊の王』に戻ろう。

精霊の王であるミシャグチあるいは、あるいは卵型の容器に入って川を下る子供(胞衣に包まれた胎児)は、上で引用した「垂直に突き刺さるようにして立ち上がる運動」を象徴する蛇、雷、川の仲間である

精霊の王は、天と地、山と里、森と集落、地下と地上、月と太陽、あるいは生と死などなどの対立関係のあいだにあって、二項両極の中間でそれを付かず離れずの関係に結びつけつつ引き離し、引き離しつつ結びつける。

潜在空間(絶対無分節)から安定化した対立関係の織りなす体系としての現実空間区切り出してくる分節化する動きそのものを象徴する。

「翁」の背後には、目に見えない高次元の「シャグジ空間」が、まるで不思議な生き物のように呼吸をしたり、変身をしたり、動いたりしていることになる。それは目に見えない潜在的な空間の成り立ちをしている。そして、その内部には現実世界をつくりだす力と形態の萌芽がぎっしりとつまって、渦を巻いて絶え間なく運動をしている。(『精霊の王』p.228)

翁は、無分節の潜在空間からの現実空間の発生に関わる。現実の世界の安定した意味分節体系は、翁によって、無分節の潜在空間から区切り出されてくる。

中沢氏は次のように書かれている。

生きている者たちは自分たちの知ることのできる世界だけで「世界」が完結できるわけではなく、死者や未来の生命の住処でもある普遍的生命の充満した潜在空間とひとつながりであることによって、はじめて豊かな全体性を実現できることが、伝統的な価値観を失っていない人たちにはよくわかるのだ。(『精霊の王』p.247)

潜在空間は、分節以前、区別以前である。

そこでは生と死過去と未来などという日常の意識にとっては予め別々に存在するのが当たり前と思われている二項対立関係さえもが、未分節でありながらかつ多様に分節化しようとする傾向を充満させている。

ここで重要なのは、潜在空間と現実空間は二つでありながら一つであるということである。

予め別々に存在するカオス的で神的な世界と、人界の秩序(コスモス)の世界が、二次的に出会って繋げられるというのではない。どちらも「予め」存在などしていないし、「別々」でもない。

潜在空間と現実との対立関係もまた、他のすべての二項対立関係とおなじように、一を二に分節化する動きの中で、姿を顕すのである

現実という安定化あるいは惰性化した意味分節体系は、潜在空間の中から顕在化してくる。

潜在空間は同時に顕在化した現実空間であり現実空間は同時に潜在空間そのものなのである。ふたつはひとつであり二つなのである。そういうわけで「「世界の王」はいたるところ、あらゆる時間に偏在しているのに、「現実」の時空のなかには見つけることができず」ということになる(『精霊の王』p.318)。

未分節の潜在空間から、分節化される現実

このように現実ということは、予め固まったものとして与えられているものではなく、未分節の潜在空間で分節化・差異化する動きが渦を巻き、あるパターンを反復的に描きはじめたところから、その蠢きの影が写像された空間のようなものとして始まる。

こう考えることで私たちは現実ということを変容の可能性に開かれたものとして構想することができるようになる。

現実ということを支えている分節体系の確固たる様は変形することもできる。

変形できるというか、そもそも実はなにも確固として固まってはいないのである。

真に「ある」のは潜在空間の分節「化」する動きであって、出来合いの区別された事物の対立関係ではない。

潜在空間の分節化する動きは、常に動き続けている。

その動き方が無数の残響を互いに共鳴させるような具合で、ゆらぎつつも同じようなパターンで波打っているために、その波の波形のパターンのようなものとして、あるものAとそれと対立するもの非Aとの区別が同じように反復して区切り出され、発生しつづける。

その分節化のいい具合に似たような感じでの反復が、AをAとして、ずっと前から同じようにあったかのような雰囲気を非-非Aであり非-非A'であり非-非A''…であるようなAに纏わせるのである

続く


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