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『精霊の王』(中沢新一著)を精読する

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中沢新一の著書、『精霊の王』を精読します。
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"現実”の深層へ -中沢新一著『精霊の王』(と『アースダイバー 神社編』)を精読する(7-1)

(このnoteは有料に設定していますが、最後まで無料でお読み頂けます) 中沢新一氏の著書『精霊の王』を精読する連続note、その7回目である。 (前回はこちらですが、前回を読んでいなくても、今回の話だけでお楽しみいただけます。) ※ 今回は第8章から最後までを一気に読んでみよう。・・・と思っていた所、2021年4月20日に中沢新一氏の新刊が発売されました。その名も『アースダイバー 神社編』。帯をみてみると第一章 前宗教から宗教へ、第四章 鹿角大日堂、第五章 諏訪大社な

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”心”の表層を剥がしていくと -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(2)

ひきつづき中沢新一氏の『精神の考古学』を読みつつ、ふと、松長有慶氏による『理趣経』(中公文庫)を手に取ってみる。かの理趣経、大楽金剛不空真実三摩耶経を、かの松長有慶氏が解説してくださる一冊である。 はじめの方にある松長氏の言葉が印象深い。 苦/楽 大/小 何気なく言葉を発したり思ったりする時、「その」言葉の反対、逆、その言葉”ではない”ことを、一体全体他のどの言葉に置き換えることができるのか、できてしまっているのか、やってしまっているのか、ということをいつもいつも、「頭

詩的言語/サンサーラの言葉とニルヴァーナのコトバの二辺を離れる -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む

しばらく前のことである。 「人間は、死ぬと、どうなるの?」 小学三年生になった上の子が不意に問うてきた。 おお、そういうことを考える年齢になってきたのね〜。と思いつつ。 咄嗟に、すかさず、大真面目に応えてしまう。 生と死の二項対立を四句分別する。 念頭にあるのはもちろん空海の「生まれ生まれ生まれて、生のはじめに暗く 、死に死に死に死んで、死のおわりに冥し」である。 こういうのは子どもには”はやい”、という話もある。 が、はやいもおそいもない、というか、はやからずお

分別心と「霊性」/中沢新一著『精神の考古学』を大拙とあわせて読む

鈴木大拙は『仏教の大意』の冒頭、次のように書いている。 私たちは感覚的経験的に、なんとなく、自分を含む自分の周囲の世界はいつも同じ、昨日と今日も一続きで、ずっとおなじ一つ世界であるような感じがしている。 しかし、実は気づいていないだけで、世界は二つである、と大拙は書いている。第一に「感性と知性の世界」、第二に「霊性の世界」。 感性と知性の世界とは、通常、素朴に実在する客観的な世界だと思われているもので、確かに固まって、誰にとっても同じ、どっしりと安定した重たいものだと思

象徴”以前”の三元論-中沢新一・河合俊雄著『ジオサイコロジー 聖地の層構造とこころの古層』を読む

中沢新一氏と河合俊雄氏による『ジオサイコロジー 聖地の層構造とこころの古層』を読む。特に「こころ(心)の古層」について考えてみたい。 これがこの本の冒頭に掲げられた問いである。 「こころ」のはじまるところ中沢氏は「こころ」(心)ということを”全体が均質に働くひとつのもの”とは考えない。「こころ」(心)には、いくつかの異なった働き方があり、それらがつながりあい、もつれあい、重なり合っている。 この「こころ」の多様で複雑な複合性を記述するために、仮に「こころ」を地球の大地の

意味分節理論とは(4) 中間的第三項を象徴するモノたち -中沢新一著『アースダイバー神社編』を読む

(本記事は有料に設定していますが、全文「立ち読み」できます!) ◇ 中沢新一氏の『アースダイバー神社編』を引き続き読む。 (前回、前前回の続きですが、今回だけでお楽しみいただけるはずです) 『アースダイバー神社編』には、諏訪大社、大神神社、出雲大社、そして伊勢神宮といった極めて古い歴史を持つ神社が登場する。 中沢氏はこれらの神社に今日にまで伝わる神話や儀礼やシンボル(象徴)たちを媒にして、その信仰の「古層」へと「ダイブ」する。 そうしていにしえの日本列島に暮らした

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創造的分節システムとしての"耳"を発生させる -中沢新一著『精霊の王』を精読する(7-2)

(このnoteは有料に設定していますが、最後まで無料でお読み頂けます) ◇ 中沢新一氏の著書『精霊の王』を精読する連続note、その7回目の後編である。(前編はこちら↓ですが、前回を読んでいなくても大丈夫です。) ※ (最初から読みたいという方はこちら↓からご覧ください。) 境界性『精霊の王』、単行本の208ページには、精霊の王=宿神は「境界性」を象徴する、とある。 境界性とはどういうことかというと、それは互いに区別されるなにかとなにかの境目、接点、接触点、交差点

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中沢新一著『精霊の王』を精読する(1)

これまでしばらくの間、中沢新一氏の『レンマ学』を精読していたのだけれども、ついに読み終えてしまった。 もう一度読めば良いのだけれども、せっかくなので別の本を精読してみることにする。同じ中沢新一氏の『精霊の王』である。 『精霊の王』については前にnoteにまとめたことがあるが、今回は「精読」してみることにする。 『精霊の王』は中沢氏による2003年の著作で、『レンマ学』を遡ること10数年前の話である。 ※ 『精霊の王』には「レンマ」という言葉は出てこない。 しかしよ

両義的媒介項としての宿神 -中沢新一著『精霊の王』を精読する(2)

中沢新一氏の『精霊の王』を精読する連続note。 第一章「謎の宿神」を読む。 ◇ 「侍従成通卿と言えば、比類のない蹴鞠の名手と讃えられ…」(『精霊の王』p.4) この一節から始まる第一章は「蹴鞠」の話である。 「精霊の王」たるシャグジ−宿神は、日本列島に国家が成立する遥か以前から祀られてきた神である。 その精霊の王の話をするのに、なぜ国家が成立して数百年を経た後の時代の芸能のことから始めるのか? 実は日、本列島が国家の「国土」となりその地表の大半の領域からシャグ

精霊の王は人界と異界の媒介者である -中沢新一著『精霊の王』を精読する(3)

中沢新一氏の著書『精霊の王』。その第二章「奇跡の書」、第三章「堂々たる胎児」を読んでみる。 第一章「謎の宿神」では、宿神が蹴鞠の精霊、「鞠精」として姿を現した。それが第二章「奇跡の書」では、今度は宿神が能楽の「翁」として姿を現す。 幽玄の世界に入り込むと同時に、それを言葉によって理論化した金春禅竹。その善竹の筆による『明宿集』には「「翁」が宿神であり、宿神とは天体の中心である北極星であり、宇宙の根源である「隠された王」であるとの主張がはっきりと書きつけられて」いるのである

区別・分節作用それ自体の象徴としての"精霊"へ -中沢新一著『精霊の王』を精読する(4)

中沢新一氏の著書『精霊の王』を精読する連続note。その第四章「ユーラシア的精霊」と第五章「縁したたる金春禅竹」を読む。 (前回はこちらですが、前回を読んでいなくても大丈夫です) 精霊の王というのはその名の通り「精霊」の「王」である。 精霊には古今東西色々なものが居り、人類によってさまざまな名で呼ばれてきた。精霊は多種多様でさまざまな名を持っている。 しかし、そうした精霊たちの間には、違い=差異が際立つばかりでなく、同時に相通じるものがある。特に精霊の「王」、数いる精

鼓のリズムから生じる波紋としての意味分節構造 -中沢新一著『精霊の王』を精読する(5)

中沢新一氏の著書『精霊の王』を精読する連続note。その第六章「後戸に立つ食人王」を読む。 (前回はこちらですが、前回を読んでいなくても大丈夫です) 後戸というのは聞き慣れない言葉かもしれない。また食人王、人を食べる王、などというのもどうにも不気味な感じのする言葉である。 こういう謎めいた、時に不気味な言葉で新たな意味分節を試みることが、既成の思考のプロセスを織り成している言葉たちの分節体系を開いたり閉じたりしながら組み直す契機になる。 ※ まず後戸である。仏教寺院

人間の世界が発生する場所にふれる -中沢新一著『精霊の王』を精読する(6)

本noteは有料に設定しておりますが、最後まで無料でご覧いただけます。 中沢新一氏の著書『精霊の王』を精読する連続note。第七章「『明宿集』の深淵」を読む。 (前回はこちらですが、前回を読んでいなくても大丈夫です) ※ 『明宿集』というのは室町時代の能楽師 金春禅竹によって記された書である。善竹はかの世阿弥の娘婿でもあり、「芭蕉」など珠玉の能楽を生み出した人である。 翁とはその善竹が、能楽において最も重要な作品である「翁」の意味するところを明かすのがこの『明宿集』

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