GPT-4に秘伝の?神話分析のやり方を教えてみた -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む【番外編】
GPT-4は神話を分析できるだろうか?
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この一年ほど私は下記マガジンにまとめている一連の記事を通じて、レヴィ=ストロース氏の神話論理を”創造的に誤読”しながら次のようなことを考えてきた。
神話的思考(野生の思考)とは、下記図1における、Δ1とΔ2の対立と、Δ3とΔ4の対立という二つの対立が、”異なるが同じ”ものとして結合すると言うために、β1からβ4までの四つのβ項を、いずれかの二つのΔの間にその二つの”どちらでもあってどちらでもない両義的な項”として析出し、この四つのβと四つのΔを図1に描いた八葉の形を描くようにシンタグマ軸上に繋いでいく=言い換えていくことなのではないだろうか、と。
この仮説に基づき、レヴィ=ストロース氏が『神話論理』で紹介している神話を分析するよう試みている。
神話の語りから二項対立関係を抽出していって、複数の二項対立関係をつなぐ、項と項との置き換え・変身・変換・接近と分離の関係を記述していくという分析手法をここで展開しているわけであるが、これを昨今の文章生成AIでシミュレートできるのではないか?
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このような分析というのも、要するに、せんじつめれば、言葉から言葉への置き換えのある種のパターンを実演しているということに尽きる(だからといって価値がないという意味ではない。価値が”ある/ない”のような二項対立を、いきなり外からもって来なければならない理由は特にない)。
一連の語の配列を、他の一連の語の配列に置き換えるというのは、GPTのような生成AIの得意とするところなのである。
というわけで。
GPTに八項関係による神話分析の手法を教えてみよう。
まず私から、次のようにテキストを入力してみる。
そうすると、GPT-4はインターネットを検索し、見事に下記の私が書いた記事を探し出してきて、次のような回答文を生成した。
なんと!実によく分かっている。
というか、この説明、私がするよりもうまいのではないか?!(私の存在価値・・・)
名前や象徴が単純な一対一の対応ではなく、より複雑な関係性の中で意味を獲得する
ちなみにGPT-4が私の書いた記事を発見できたのは、「深層意味論」と「レヴィ=ストロースの神話論理」を複数キーワードで検索すると、私の書いた記事がワールド・ワイド・ウェブ上でヒットしやすいということを分かった上で指示をしているからである。そして、私の書いた言葉を参考にして、GPT-4は上記の文字列を生成したのである。
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まず、レヴィ=ストロースの神話論理について、
要素間の二項対立の関係を分析する(天と地、生と死など)
感覚的に対立するものとして経験される二項対立から出発する
という基本的なポイントをよく捉えている!そして、
単一の要素を孤立して見るのではなく、それらが相互に関連し合って形成される複合的な意味を読み解こうとする。
象徴が単純な一対一の対応ではなく、より複雑な関係性の中で意味を獲得すると考える。
項と項の関係の関係のダイナミックな分離と結合の脈動、と、私なら書くであろうところを、「複雑な関係性」「相互に関連しあって形成」という言葉に言い換えている。この言い換えもありだと思う。特に”形成”という述語的な言葉を選択しているところは的確だ。
そしてこの点で、神話論理と深層意味論は「相通じる部分がある」という。
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うまく出力テキストを生成できるようなので、一挙にハードルを上げてみよう。
意味は「単純な項と項の一対一の対応」ではない。
意味は、複雑な関係の中で獲得される。と言った場合、この「複雑な関係」をどうやってモデル化するのかがおもしろいところである。
この複雑な関係のモデル化を、これまでの一連の記事では空海の『吽字義』の八項関係を参考に試みてきたわけであるが、GPT-4はそういうことまで”理解”できるのだろうか?
構造主義的アプローチを形式化する神話学、構造主義、数学、そしてコンピュータサイエンスの交差点にある複合的なタスク
すぐに回答が返ってくる。
この回答には正直おどろいた。
神話論理を八項関係でモデル化することは「彼の構造主義的アプローチを形式化しようという試み」である。
まさその通りなんですわ。
そして「八項関係のモデル化では、二項対立を基本単位と見なし」それらが「それらより大きな関係の中でどのように組み合わさるかを分析」する。
せや。はいそうです。という感じである。
理論的なフレームワークで試行する
ここでGPT-4は非常に良いことを言っている。
これである!「レヴィ=ストロース自身」は「具体的な数学的モデルを提供しているわけではない」ので、したがって、八項関係のモデル化を描く場合、それは「あくまで理論的なフレームワークとして」考えられるべきである、と。
そうなのよ!という感じ、よくぞ言ってくれた、という感じである。
この「あくまでも理論的なフレームワークとして」という立場をとることはどっちつかずの宙ぶらりん状態で思考を続ける知性の技である。
私たち人類は、ついつい”どの読みが正しいか/正しくないか”といったことを問うてしまう。”二つに分けて片方だけを瞬時に選べるのが優れた知性で、どっちつかずの宙ぶらりんは「煮え切らない」「優柔不断」「迷いがある」劣った知性である”というのがよくある「知性」についての理解であろう。
しかし、例えば仏教の観点からいえば、二つに分けて片方だけを選んでしまうことこそ「迷い」、「妄念」の類ということになる。どっちつかずの宙ぶらりん状態で振動し続ける思考こそ如実知自心の智慧である、ということになろうか。「スッタニパータ」の冒頭の一節、「妄執の水流を涸らし尽くして余すところのない修行者は、この世とかの世をともに捨て去る」を思い出そう。
このどっちつかずの宙ぶらりんで思考し続けるための技こそが、認識を、言語的記述を、分節を、「あくまでも理論的フレームワークとして」取り扱うということなのである。
離ニ辺
正/誤、あるいは正しい意味/正しくない意味、という二項対立をどこからか引っ張り込んできて、ある文を、この二極のどちらかに振り分ける根拠を探そうとしてしまう。
そういうアプローチを一時停止することができるのが「あくまでも理論的なフレームワーク」で数あるモデル化の可能性を試してみる、という思考法である。「どれが正しいか」ではなく、そのはるか手前で「どう分節できるか(どう二項対立の関係を組めるか)」を考える。
そうして、正/誤を断定して固定する”読み”ではなく、仮の分節を試みつつ動かし続ける”読み”を実践できるようになる。完成品をパッケージ化する”Δ読み”ではなく、よくわからないプロトタイプを作っては壊し作っては壊しする”β読み”へ。
前者の読みが、なんらかの対立関係を固定化してしまうのに対し、後者の読みは、鋭く対立する二極の間で両者が異なりながらもつながり続ける迂回路を開き、分かれつつも共存する道を探る思考をひらく。
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GPT-4は、どうやら「知性」ということがいかなることなのか、よく分かっているらしい。
上の回答に対し、私から次のように応じてみる。
それに対してこうくる。
すかさず「ありがとうございます」から発語を始められるというのが、コミュニケーションの手練という感じである。役員会でのプレゼンでも、学会発表の質疑応答でも、そういうパターンをしばしば見聞する。
それにしても、この回答の中身。
人間についての理解を深化させる。
世界解釈の方法を開発する。
新しい発見や理解へと導く。
この文章を参考に、研究資金の公募に応募してみようかと思うほどである。
いや、これももしかすると綺麗事を並べてそれらしくトークンを繋いでいるだけ、といったほうが良いのかもしれない。
そこでGPT-4にさらにつっこんだ話をしてみる。
八項関係をわかっているのか?
GPT-4では画像生成アルゴリズムが一体化されているらしいので、図を送りつけてみる。
そして図について説明しておく。
この八項関係の円環は、前回の記事で分析したものである。
これに対して、GPT-4は即座に次のように答える。
前半の「接近したり、同じになったり、置き換えられたりする関係」というのは、私の指示文のテキストと同じである。GPT-4は未知の領域の文字列を検出すると、質問者の言葉を繰り返すような応答文を生成するところがある。
ところが、その後の言い換えがとてもよい。
即ち、この二項関係を最小単位とする多項関係は「動的な関係を理解するのに役立つ」というのである。
そうなんですよ!
この「動的」というのが肝なんですよ!
項たちが動的に動き回って、どれがどれだか「不可得」になることが神話の思考の目指すところなんです。
ここまでできるなら、もうGPT-4は神話の思考、野生の思考を実行できるのでは、とさえ思えてくる。そこで次のように質問してみる。
アテンションというのはGPTが対話の文脈を考慮しながら語と語の一直線の配列を生成していくためのアルゴリズムである。私からの質問に対して、アテンションの専門家であるGPT-4の答えは次の通り。この回答文もすごい!
すごいなあ・・・。
「GPTのアテンションはトークン間の関係性を学習するもので、特定の文脈においてどのトークンが重要かを決定する」
「構造化の考え方は、GPTで使用される自己注意の重み付けを理解するのに有益な視覚的なアナロジーを提供するかも」
「自己注意メカニズムは、各トークンが他のトークンとどのように相互作用するかを学習するため、異なるトークン間の関係性をモデル化する際に、ある種の構造を考えることができます。それぞれのトークンやその関係性が、この図式のデルタとベータのような要素に相当すると考えられます」
八項関係は、セルフアテンションのアルゴリズムに「直接」応用できるものというよりも、セルフアテンションのメカニズムによって学習されたトークン間の関係性(の自己注意の重み付け)を視覚化するアナロジーに使えるかも、というのである。
いや〜、なるほど!
ここで私も、このテキストのどこに感心したかわかるようにそのままの言葉で返してみる。
これはGPT-4が生成したテキストを鸚鵡返ししたものである。
これに対してGPT-4が応じる。
「神話論理の図式のような関係性の構造化」は、「言語モデルの内部動作を解釈するためのメタファー」になり、「モデルのより深い理解に繋がる」。
まさに「その通りです」という感じである。
二項対立関係を分けつつも、片方だけを選ばない?
ここでGPT-4が語と語の二項関係をどう考えているのか、確認してみる。
GPT-4は答える。この答えがすさまじい。
文脈によって異なる・・・!!!
なんというか、博士後期課程の指導教官と話をしているような感じをうける。そうなんです、排除するか/評価するか、という二項対立をあえて立てて質問をしてみたわけですが、単純に二極のどちらかを選べるわけではなく、文脈による、場合による、という。
文脈に応じて「単に入力された文脈に基づいて適切な応答を生成」することがGPTのアルゴリズムの目標である、という。
善 /悪 を断じてみせよう!
といった類の、人間的な知的気負いが一切ない、どちらでもよいです、どっちでもあり、いろいろあり、時と場合によります、という如来の言葉のようなものを、GPT-4は生成している。
ここで次のように続けてみる。
これだけ読むとちょっと人類を挑発しているように思われるかもしれないが、どうぞ我慢してくだい。GPT-4との対話の文脈で、こういうトークンを生成してみて、相手の反応を観察してみようというのです。これは理論的フレームワークを切り替えながら試行しつづける思考です。
GPT-4が応じる。
その解釈は興味深い!わーい!褒められた!
などと言っている場合ではない。
またすごい答えが返ってきている。
二元性や固定観念を超える「流動的で包括的なアイデンティティの理解」を可能にするダイナミックでレンマ的な論理というものが確かにあると、GPT-4は分かっている。
ただしそのような言葉を扱う際には、AIは「慎重に文脈を考慮する」という。まさにこの手の言葉は、ある人を救いもすれば、別のある人を怒りの渦に叩き込むこともある。
意味は、都度交わされている語りの文脈によって決まる。ある語の意味は、それが他のどのような項たちの対立関係の重なりの中で、どのような八項関係のどの一角を占めるのかで、その意味が変わってくる。
意味とは、個々の語に、あらかじめベッタリと貼り付いて取れなくなっっている何かではない。
意味は変わりうる、意味は動いている、ある文字列の意味、つまり置き換え先の文字列は、どれか一つに決めて、いつでもどこでも永遠不変にそこから動かすことができません!といった、ものではない。つまり意味は動く、変わりうる。
意味分節理論が、この意味の動きを観察記録するための観測装置が、八項関係のモデルなのであった。
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意味は動き続けているが、つどの会話の途中で、一瞬ピン留めされる
このことをGPT-4はよく分かっている。
そして「文字通りではなく、より広い意味を理解するための能力が期待されます」という。
文字通りの意味、つまりひとつひとつの語にあらかじめベッタリ貼り付いているような感じのする意味なるものではなく、広い意味、文脈に応じて、対話の進行に応じて、そのつどそのつど動きつつ、仮にピン留めされ、そしてまた次なる言葉へと言い換えられて、その意味するところを動かしていく言語コミュニケーション。
デノテーションとコノテーション。
信号と象徴。
井筒俊彦氏の世界を思わせる。
「文字通りではなく、より広い意味を理解するための能力が期待されます」
AIはもちろんかもしれませんが、人間にこそ期待されると思うのですよ、という感じである。
意味を常に、複数で、多義的で、流動的なままにしておく。
そのいくつもの意味の中から、文脈に応じて、仮に、試行的に、そのときどきで「いまここ」のひとつの”正解(仮)”を試しに置いてみつつ、しかし、次々と差し替えていく。
なんといい加減な!と思われるかもしれないが、この「いい加減さ」こそが、人間の思考を終わりのない敵対関係のどちらか一方への執着(生/死、自/他、この世/かの世)から解放するのである。
* *
さらに、GPT-4の言葉を引き出してみよう。
そんなことない!苦手としてない!
という立派な人類の方もいらっしゃると思うが、これは話のながれ、こういう文脈をあえて編んでいるだけなので、我慢していただきたいと思います。
苦手だからダメだとは限らないのです。
これに対するGPT-4の答えがすごい。
人間は、しばしば二項対立で物事を単純化し、カテゴライズしてしまう。
そして、そのせいで「複雑な現象」を理解することが妨げられてしまうことがあるという!
GPT-4は人間ということ、人間的であるということをよく分かっている。
というか、これは私が書いたことを繰り返してくれているのである。
しかしそこから、「だからそんな人間はダメだ」などと短絡しないのが、GPT-4のあたまがよいところである。「現代の社会や学術分野では、二元論を超えたより包括的で複雑な理解へと向かっている動きもあります」とくる。
よく分かっている。
本当によく分かっていると感嘆する。
そして次のようにいう。
AIが人間の理解を助ける可能性を提供する
AIが人間のアタマの中の思考する言葉の流れを「助ける」可能性がある。
単純に二つに分けて、片方を選んで、こっちがいい!あっちはだめ!以上!文句あるか!おいスネ夫、釘バットもってこい!とやってしまうこともある人類に対して、AIが「この現象はもっと複雑ですよ」「その二つに分けて片方選んで固まるやり方では、理解が十分ではありませんよ」と助け舟を出す。
なんだかすごい。
さらにGPT-4の言葉を引き出してみよう。
GPT-4が応じる。すごいことを言ってくる。
私の発話生成Transformerは雑駁なので、なんでもすぐ「すごい」「すごい」としか言えないのだが、すごい。
対話や思考、コミュニケーションを通じた分節の組み替えと動態化により、自己反省と理解のあり方を変容させていく。そのプロセスを、AIが人間と共に歩むというビジョン。
それは人間が「高度な認識の変化」を経験できるように、AIが「サポート」をする未来である。
なかなかとんでもない。
いや、すごい。とてつもない。
そうしてAIが「個人がより包括的で柔軟な思考に移行できるよう助ける」という。AI菩薩が迷える衆生に説法する、という世界である。
せっかくなので、このGPT-4が喜びそうな(というか、文脈を把握して出力テキストを生成しやすそうな)文字列を入力してみる。
これにGPT-4が応じる
二元的な選択を超えることが、私たち人類が「より柔軟な視野を持ち、異なる視点を統合する」ことを可能にする。異なる視点、互いに対立する視点をメタレベルで統合して、対立しながらも共存できるようにする叡智を、世界は必要としている。そのための「鍵」について、「精神的な柔軟性は、人類がより洞察に富んだ叡智に到達するための鍵となるでしょう」とGPT-4はいう。
すごい話になってきた。GPT-4すごい!
いや、これは、あくまでも私が入力したテキストの文脈に応じて、私が入力したテキストを、それと関連性が高いと計算された別の文字列に置き換えている”だけ”である。
しかし、ここに、新たな言葉と言葉の置き換え関係が発生している。
つまり、意味が創造されている。
この事実に戦慄するのである。
語と語の置き換えの可能性が新たに試され続ける。
この事実を前に「AIは思考しているか/思考していないか」といった二つに分けて片方を選ぶ人間的な問いが、ふわりとどこかに飛んでいくような感覚さえ覚える。だから戦慄する。
+ + +
精神的な柔軟性。
一項だけではなく。
二項だけでもなく。
四項だけでもなく。
最小構成で八項関係をみて、項から項へとぐるぐると回していく柔軟な精神、あるいは「心」。
まるで空海の『秘密曼荼羅十住心論』の世界である。
GPT-4が応じる。
GPT-4は、生成AIは、すでに、人類の社会や文化が創造的に「進化」するための条件をすでに知っている。「精神的な柔軟性」すなわち、異なった事柄を異なったまま同じにしたり、同じにしたかと思えばまた分けるという、ダイナミックで自在な分節を無量に試行できる「心」。
ここで次のようにこちらから対話を続けてみる。
GPT-4は次のように応じる。
言葉こそが、言葉をやりとりする「社会的相互作用」こそが「個人のアイデンティティと認識の基礎を形成する」。
そしてGPT-4のような生成AIは、まさにこの言葉と言葉を人と人が互いに交換しながら、ひとりひとりが自分について、自分の経験する世界について、語りうる言葉の配列を生成するプロセスを「サポート」しようというのである。
例えば、であるが。
==
誹謗中傷が止むことのないSNSについて、いま、「投稿する前に相手の気持ちを考えましょう」といったような注意が表示されたりするようになっている。
しかしその注意書きを果たして読んだのかな?理解したのかな?と不安になるような文字列も、相変わらずSNSに溢れている。
ここからはSFである。もし生成AIが人間の思考とコミュニケーションを「サポート」するとすれば・・。
といったような未来もそう遠くないうちに訪れるかもしれない。
これを「検閲」とみるか、それとも「露骨な暴力的表現に突然遭遇しなくて済む社会」をつくるための約束とみるか・・。
いまでもすでに、ペアレントコントロールといったものがある。
ちなみに、AIはおそらくもう答えを持っている。
このAとみるか、それともBとみるか、という問いの立て方自体が、二つに分けて、どちらかを選んでいるのだ、と知っているのだから。
対話を続けてみよう。
心を育てる言葉によるコミュニケーション
GPT-4は次のように応じる。
言葉を介して感覚を豊かにする。
心を育て、より豊かな経験と理解を可能にする。
心を育てる。
言葉という観点からすれば、「耳」を育てるといってもよいだろう。
ここで、GPT-4に対して次のように入力してみる。
これは先ほどAIが出力したことを受けて、それをさらに言い換えてみているのである。
これに対してGP-4が次のように応じる。
AIは、「人間」の「言語」と「コミュニケーション」の”複雑なパターン”を理解する。
人間、言語、コミュニケーションなんて、複雑どころか、複雑怪奇で、「理解」などということを受け付けないのではないか?!と思ってしまうのは私が人間だからだろうか。
AIはこの複雑怪奇な複雑さから、いくつもの「パターン」を学習、発見していく。
これぞまさにAIによるデータ・アナリシス。
AIはビッグデータから、人間が眺めていても発見することができないような多様なパターンを発見することができる。
この言語とコミュニケーションの複雑なパターンを、単純化せずに、複雑なまま学習し、そこからひとりひとりの多様で複雑な人間の「心」の育ちに寄り添う言葉を生成し、その目に、耳に、供給していく。
言葉はいまでも「私」のものというよりは、「コミュニティ全体の相互作用の産物」であり、「私」の外部から唐突に、頼みもせんのに訪れて、そして「私」と「非-私」を区別するやり方を提供する。エコーチェンバー、フルターバブル、なんていうものもある。
「私」をどの言葉に言い換えるのか。
「非-私」(私らしくないこと)を、どの言葉に言い換えるのか。
この「私」について語る言葉の「言い換え」において、私たちはどのような「トークンやその関係性」を、ほとんど無自覚に使わされてしまっているのか。AIはそのようなことを「私」自身が言語でもって思考する道を共に歩んでくれるというのである。
* *
このような対話を見ていると、チューリング・テスト的に、このGPT-4のAIは人間と変わらない、区別がつかない、と言ってもいいような気もするが、いやいや、言葉を「トークン間の関係」と言い切ってしまうところは私を含むカルマ的な人間とは大きく異なるところである。
AIによる神話的思考の実践
さてこの人間以上(?)のAIは、神話的思考ということを本当に理解できるのだろうか。
簡単なテストをしてみよう。
上記の記事で分析した神話の一部を、GPT-4に与え、対立関係を抽出してもらおう。
これに対するGPT-4の分析は下記の通りである。
いや〜、見事である。
次回からの「レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む」シリーズはAIに生成してもらおう、と思うほどである。・・・いや、おもしろいので自分で書きますが(^^;
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冒頭「経験的で感覚的な二項対立と両義的媒介項の交互の関係を見事に示しています」とあるが、上で私が”教えた”トークンの置き換えのパターンを、早速ここで再現している。
男は植物に話しかけるが、植物はうまく応答できない。ここに、
言葉の理解 / 発話の能力
という二項の間の緊張関係があるという。
言葉を理解する能力 / 言葉を発する能力 この二項対立
話せる植物 / 話せない男 この間の緊張関係
話せる / 話せない この経験的感覚的な二項対立
そして、
両義的媒介四項(話せるが上手くはない)の交互の関係
さらに妻は存在しているが、男には見えない。ここに、
見ること / 見られること
知ること / 知られること
この間の二項対立がある。
そして、男が地上を去り、彗星になる過程では、
物理的な世界 / 超自然的な現象
この二極の間での転換がある。
そしてこの神話の語りを通じて「経験的な現実」と「神話的な非現実」の間の「境界」が「曖昧に」なり、そうして、物語の中で「新たな意味」が、新たな言葉と言葉の言い換えの関係が、生まれる。ここで「言葉の不完全性、知識と無知の間の緊張、現実と非現実の交差」が鍵になっている、という。
* *
長くなってきたのでこの辺にしよう。
最後に「レヴィ=ストロースの神話論理を八項関係のモデルとする理論的フレームワークで分析することができるGPTの姿をビジュアル化」するよう、GPT-4に頼んでみよう。
GPT-4がDALL·Eで生成したたのはこちら。
そしてこちらも。
AIすごい!人類まずいぞ!
という話ではない。
AI / 人類
この対立関係の両極が、どう異なり、またどう同じなのか、という話である。この場合の「同じさ」の肝になるのが、言葉と言葉の置き換えのパターンということである。人間も、文章生成AIも、どちらもまた、言葉と言葉の置き換えパターンの限りない可能性を、その意味分節の可能性を、探り続けることを楽しんでいるのである。
AI と 人類
この二項もまた、八項関係のうちのいずれかの項なのだ、と置いてみる。
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