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中沢新一著『レンマ学』『精神の考古学』『構造の奥』などを読む

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中沢新一氏の著作『レンマ学』『精神の考古学』『構造の奥』などを読み解きます。
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2020年11月の記事一覧

『ホモ・デウス』×『レンマ学』を読む−「知能」と「意識」と「知性」。進化するシンボル体系=意味発生装置の場所

(このnoteは有料に設定していますが、最後まで無料でご覧いただけます) 『サピエンス全史』の著者ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、この本を通じて一貫して、人類の歴史における「虚構」の力に注目をしている。サピエンスの歴史は、虚構の使い方の歴史と言い換えてもよいくらいである。 虚構の力というのは、私たちが、目の前に存在しないもののことを想像・創造し、それについて言葉でしゃべったり、イメージを描いたり=物質化したりして、仲間と共有することができる力である。 そうして共有された虚構

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レンマ×ロゴスのハイブリッドは「脳」から始まる −中沢新一著『レンマ学』を精読する(6)

中沢新一氏の『レンマ学』を読む連続noteも6回目である。 前回の記事はこちらであり、締めくくりに次のように書いた。 私たち人間が、区別と差別で煩悩に苛まれるのは「生滅心」の働きのせいなのだけれども、人間の心は実は生滅心だけでなく、生滅心と心真如との「和合」によって成り立っている。ここに人間が煩悩に苛まれつつそこから脱する道がある。 人間はロゴス的知性によって、ものごとを整然と分けることができる(できてしまう)だけでなく、同時にレンマ的知性によって、ロゴスが区別するもの

アーラヤ識とは? −中沢新一著『レンマ学』を精読する(5)

ひきつづき、中沢新一氏の『レンマ学』を読む。今回は88ページの「大乗起信論による補填」を紐解いてみよう。この節は「レンマ学」の構想の核心部分であると思われる。 今回のキーワードはアーラヤ識である。 アーラヤ識とは何だろうか? アーラヤ識アーラヤ識とは、人間の心の構造、運動のパターンが形成される場である。アーラヤ識という言葉を用いて、人間の心の不思議に探りを入れることができるのである。 人間の心、私たちが日常的に実感として経験している人間である自分自身の心とは、次のよう

「レンマ」とは −中沢新一著『レンマ学』を精読する(4)

中沢新一の『レンマ学』を引き続き読んでいる。今回は50ページから80ページあたりまでを読んでみたい。 『レンマ学』で中沢新一氏はロゴス的な知性とは異なる「レンマ的な知性」の姿を描き出す。 知性というとロゴス的な知性とイコールで考えられることが多いようである。ロゴスを超えたところ、ロゴスの「外」に知性などあるのだろうか?というわけだ。 ここで出てくるのが「粘菌」である。粘菌は脳を持たないし、ロゴス的な言語も喋らないが、しかし栄養源を見つけそこに向かって集合体となって移動し

中沢新一著『レンマ学』 × 岩田慶治著『コスモスの思想』を並べて読む −コスモスの生成とレンマ▷ロゴスへの写像

文化人類学者 岩田慶治氏による「コスモス」の考え方について、前にこちらのnoteにまとめたものの続きである。 コスモスを生成し成り立たせる「反復」岩田氏は『コスモスの思想』の終盤に次のように書かれている。 人類の文化は「コスモス」としてある。 いや、「ある」というか「なる」、成り立っている、といった方が良いかもしれない。 コスモスとしての文化は偶然できあがるものでもなく、必然的に決まったかたちをとるものでもない。文化のコスモスは「自由」に、創造される。それは無数のひと