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時間のないわたしたちの休日

わたしたちに残された時間は少ない。
速度とは現代社会における礼賛対象であり、その速度は常に上がっていく。
移動、連絡、情報、計算、料理、食事、掃除、睡眠
速いことは便利なことだ。短縮できればその分の時間を有意義に使える。
でも一体、その浮いた時間に何をするというのだ?

時間がもっとあればもっと豊かになる。苦しい時間は短くなり、楽しい時間が増えていく。わたしたちの多くはそう信じている。

浮いた時間にすべきことはただ一つ。
世の中のものをより速くすることに貢献するために働くことだ。
余暇の時間を短縮できれば仕事をできる時間が増える。仕事の時間を短縮すればより多くの仕事をすることができる。余暇の時間を捻出することができれば体を休めて、高い仕事のパフォーマンスを維持することができる。

そしてそれらの仕事は新たな需要を生み出す。
時間が足りない。もっと時間が必要だ。
俯瞰してみれば滑稽なものだが、わたしたちはいつもその嘘に騙されて、甘い夢を見ながら汗水たらして必死に働いてしまう。

この略奪のスパイラルから自由になるにはどうしたらいいか。
浮いた時間を、自分のための仕事に割り当てることだ。

無題

仕事をしない、というのは現実的ではないだろう。
誰もが完全に自分を律しながら生きるなど不可能だし、現代人が呼吸をするように入ってくる外部情報をすべてシャットアウトして生活するというのなら、それはもはや仙人の域に近い。
テレビ番組では誰にも関わらず生きている人を紹介するものがあるが、少なくともわたしはああなりたいとは思わない。

ならばせめて、自分の為に仕事をする。
自分に必要な作業や工程の手を抜かず、自分の手順で丁寧にこなす時間に充てるべきだ。

例えば家事。今更全自動の洗濯機や掃除機に頼るなということではない。
ただ一枚一枚のシャツを丁寧にしわを伸ばして干し、小物をどかして埃をとるということ。たまにはケチらずに食べたいものを買い込み、野菜も肉も丁寧な下処理を施して時間をかけて火を通す。
それらすべてを日常の中で毎日行うことはわたしには難しいが、休日ならば喜んでやろう。
毎日誰かを喜ばせるための仕事ばかりしているのだ。たまには自分を喜ばせてあげたって罰は当たらない。

「時間貯蓄銀行」を名乗る灰色の男達は、「時間を貯蓄すれば命が倍になる」と偽り、人々から時間を奪う。モモとその友だちは、この時間貯蓄銀行によって大人に余裕がなくなっていることに気づき対策をうつ。しかし、当の大人は、気づきもせず失敗に終わる。

モモ (児童文学) / Wikipedia

わたしたちに残された時間は少ない。
本当に少ない。だから速さを求める。余計な時間を短縮する。
その恩恵は、わたしが受けるべきだ。

少なくとも誰が恩恵を受けるかはわたしが決めるべきだ。

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