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生理学の魔法

自分の限界を感じるのならば外付けすればいい
多少の副作用さえ支払えば、化学は合法の範囲で十分力になってくれる

大概のことは失敗したし、満足いく結果で終われたことはない。運動会で1着を取ることができたことなんてないし、テストで満点を取ったこともない。むしろうまくいかなくて、反省ばかりが残るのは性格のようなものだろう。
それをまじめであるとも称されることもあるが、実際はそんなに褒められたものではない。抑鬱性が低くコントロールが上手くいかないのだ。
失敗すれば立ち直れないほど傷つくし、そうでなくてももうずいぶん前から自力で眠れない。そも失敗したという尺度すら、突き詰めていけば自己評価でしかないのだから、自滅でしかない。自分で自分の首を絞めるのが、こんなにも気持ちの良いものだとは知らなかった。

当然、普通の生活をするのは大変だ。時間通り眠れなくても、時間通り朝はやってくる。時間通り来れない奴を吊るし上げて罰することで、時間通り来れるのに甘えている奴らの気を引き締める。世の中そんなものだ。仮に70億が69億に減ったら大問題だけれども、1億1千万が1億とんで9百99万くらいに減る分には大した問題ではない。
個を大切にすることが叫ばれる時代の割には、ずいぶん我々は増えすぎてしまった。

加藤はミカンじゃないんです、これはトマトだけどね

とるべき道は2つ。

セオリー通りに考えるならあきらめるべきだ。
普通に生きることだけがわたしの人生じゃない。社会的なビハインドは所詮個性でしかない。そして普通という基準も、統計的な共通認識でしかない。
他の1億9百99万人がそうなだけで、1万人はわたしと同じように苦しんでいる。だからそいつらと競い合うのではなく、うまく付き合うことを選ぶべきだ。本当に残念なことだが、世の中には序列で判断するものも多くいるが、そいつらはたまたま多数派だったというだけだ。わたしが悪いわけじゃない。

そう、わたしが悪いわけではないんだ。

ふざけるな。

その程度が普通だというのなら、普通の基準くらい満たしてやる。
心身がそれに満たないというのであれば外付けするまでだ。抗鬱剤も抗不安剤も睡眠薬も、どれだけインフレしてしまっても構わない。普通の基準に上がらなければ普通以上になれないのならば、少なすぎる代償だ。副作用も依存性も関係ない。麻薬のように明らかに身体を破壊するのであれば話は別だが、幸いなことに一定の認可を得られているのであれば、そう悪いようにはならない。間違っていても誰かが責任を取ってくれる。
中途半端に将来のことを考える前に今生きることだけに集中しろ。一度先頭集団に後れを取ってしまったら、加速度的にずるずる置いていかれるだけだ。温存を考えずにひた走れ。万策尽きたらその時あきらめればいい。

ありがとう、わたしと同じように苦しんでいる同志の皆さん。
ありがとう、生理学をここまで研究してくれた人たち。
わたしはあなたたちのおかげで今日も普通に生きられる。もう手放せないかもしれないし、二度と自力では眠れる日は来ないかもしれないけれど、それでもわたしは幸せだ。仕事ができる。普通に生きていくことができる。
努力の範疇で未来を変えていくことができる水準を保っていられる。

こんなに幸せに感じることはない。
ありがとう。本当に、ありがとう。

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