「村上隆もののけ京都」展(2):村上作品は日本絵画の単なる延長・模倣にすぎないのか?
(長文になります)
はじめに
この記事は、7月27日に投稿した下記記事の続きになります。
上記記事では、展覧会全体の印象について述べました。今回は、個々の作品を取り上げて感想を述べます。
取り上げた作品ですが、一般的な現代美術として見るのではなく、次章に述べる日本美術に対する問題意識で作品を鑑賞しました。ですから、最初に私の問題意識を説明して、そのあと個々の作品の紹介に移ります。
どのような観点で作品を眺めたか?
「線スケッチ」を始めてから日本美術に関心を持つようになったことは何度も繰り返し述べていますが、輪郭を線で描く東洋の技法を使いながら、一方では「透視図法」「明暗法」と、西洋絵画の基本的な技法も使っています。
そのために、西洋美術に対して日本美術の特徴は何かについて考えざるを得ず、一昨年から関連のnote記事を書いてきました。その中で浮かび上がったいくつかの問題意識がありますが、村上隆氏が日本美術をどのように換骨奪胎して現代美術にしているのか、私の日本美術に関する問題意識を元に作品を眺めました。
これまでの記事の中で私が注目した日本美術ならではの描写表現(幕末の西洋絵画の技法を取り入れた絵画、版画を除く)は以下の通りです。
それでは、個別の村上作品とそれが関連する私の日本美術に対する問題意識との比較、テーマの紹介に移ります。
日本美術との比較で村上”現代ART”作品を考える
■村上隆《金色の空の夏のお花畑》:私の問題意識、テーマ1)、2)、4)、5)
図1と図2に、本展覧会のために新たに村上氏と工房「キキカイカイ」が制作した作品《金色の空の夏のお花畑》のそれぞれ全体像および会場での様子を示します。
本作品は、尾形光琳作《孔雀立葵図屏風》の左隻の《立葵図》をベースにしているとのことなので、参考のため下記に示します。
村上隆《金色の空の夏のお花畑》と尾形光琳《立葵図屏風》との比較
《立葵図屏風》と比べて、何が違うのか気が付いた点を以下にまとめてみます。
上記のように、村上作品は、尾形光琳の《孔雀立葵図屏風》をベースにしつつも、伝統的日本絵画の描法とは異なる点が多いことが分かります。
日本美術における金箔の効果について
ただ一点、背景が金箔なのは共通しています。
この金箔の背景は、かつて「当時は障子などで透過された自然光で見られており、しかもその光は揺れ動き変化する環境下で見るべきだ」というジョープライス氏の意見を取り入れて、東京国立博物館・プライスコレクション 「若冲と江戸絵画」展(2006年)ではガラスケースを取り除き昔の灯りの状況下での展示が試みられたことを思い出します。
今回の展覧会では、全ての作品がガラスケースの中ではなく、むき出しのままの展示でした。
読者は図2の写真から、本作品のスケールの大きさを感じるだけでなく、天井の照明が金箔に反射して黄金色で輝く様子が感じ取れると思います。
ですから、ジョープライス氏がいう、障子越しの自然光や、室内の行燈の揺れ動く蝋燭のあかりに照らされた金箔の効果はその通りだと思いますが、そればかり強調するのではなく巨大な金箔の黄金色が持つ豪華絢爛さが、時の権力者を魅力し城郭や寺社の大建築の壁の装飾に使い、権力の誇示や崇高さの適していることも考慮すべきだと思います。
村上氏は「現代ART」を購入する顧客は今や大富豪や美術館であり、彼らの邸宅や美術館の壁面を埋める大きさが必要と云っています。まさにそれを想定してこの作品も大画面にしているはずです。
さて、今回の《金色の空の夏のお花畑》ですが、もともとスマイル顔の正面向きの花を全画面に密集重層配置させた下記に示す《天国のお花畑》シリーズの変形と考えられます。
《天国のお花畑》シリーズは、村上氏の有名なコンセプト「スーパーフラット」を具現化している重要な作品群です。
しかし新作の《金色の空の夏のお花畑》は《立葵図》の構図や描法に影響を受けており、多段配置で密集性と「スーパーフラット」性は保たれているものの、《天国のお花畑》が持つジャクソン・ポロックを彷彿とさせる抽象絵画の性格は失われています(抽象絵画の性格については後述)。
《金色の空の夏のお花畑》の空に浮かぶ花と雲の表現は日本美術の伝統描写に対するチャレンジである
一方で《金色の空の夏のお花畑》では、1)金色の空に正面、横向きの花を飛ばす、2)明らかに積乱雲とわかる白抜きの雲を描くという日本絵画の伝統にはない二つのチャレンジを行っています。
すなわち、従来の日本絵画では、空に浮かぶのは太陽、月、鳥(特に高い空には雁など渡り鳥)に限られ、大半の空は紙の白または金箔でほとんど空白(余白)です。
一方《金色の空の夏のお花畑》では、空全体に花を配置し、その花を異なる向き、異なる大きさにすることで、あたかも三次元空間のように実空間を感じさせます。すなわち従来の日本の絵画の概念(余白としての空間)を破っているのです。
さらにもう一つ、日本の絵画の伝統では、霧やすやり霞(雲)、来迎図などの架空の雲などは描かれても、空に浮かぶ明確な輪郭線を持つ写実的な雲を描くことはありませんでした。もちろん快晴を示す青く彩色した空の例もありません。
ただし幕末近く、それらは葛飾北斎および歌川広重により破られます。両者は霧やすやり霞の描写はするものの控えめに抑え、西洋絵画と同様に大地、都会の街を雲で覆い隠すことなく描いています。そしてついに葛飾北斎の傑作《富嶽三十六景》において、少し様式化しているものの明確な輪郭を持つ雲を描くにいたります(図4)。同じく歌川広重も自然な形の雲を描いています(図5)。
明確な輪郭(線の有無にかかわらず)を持つ雲を描いたのは、私の知る限り、北斎が初めてではないでしょうか? しかも、中国の絵の歴史を入れれば、青空に雲を描いたのは数千年の東洋の歴史上初めてのことであり、いわば北斎は、数千年の東洋の伝統を破ったとんでもない革新者といえましょう。(ただ《富嶽三十六景》のあとに、歌川国芳が西洋の絵を模写したと思われる青空と雲を描いた版画を出しているので、誰が始めたのか早急には断定できません、もう少し精査する予定です)
なお雲の事例にあの世界に名だたる《神奈川沖浪裏》を挙げたことに驚かれた読者がおられるかもしれません。大方の人の眼は”Great Wave"に行くかもしれませんが、実はその右に富士の真上に積乱雲状の白い雲が大きく広がっていることに言及している人はほとんどいません。私も目を凝らして2年ほど前に気が付きました。
この図4のメトロポリタン所蔵版ではクリアに判別出来ますが、ほとんどの版ではすり減った版木を使っているためか雲が薄れて見えないので気が付きにくいと思われます。北斎の作画の意図を考える上で雲の存在は見逃してはいけない事実だと思います。
一方、広重も後年にはなりますが、北斎に倣って輪郭が明確な白い雲と、青空を描いています(図5)。 しかし北斎の雲が様式化され、西洋絵画の抽象表現に近づいているのに対し、広重の雲の形はとても自然で写実的です。
さらに注目したいのは、《東海道五十三次 品川》(図5)の雲です。地平線から上部の高い空の雲は大きく、地平線に行くにしたがって、それぞれの雲のサイズが徐々に小さくなり、しかも雲の間の間隔がだんだん狭まっていきます。
これは何を意味するのでしょうか?
広重は明らかに西欧の透視図法を使って、空という空間の立体性(三次元性)を雲の配置で表現しているのです。
実際、この絵では地上の品川宿の家並み、道路は透視図法に従っていますし、海上の帆掛け船は水平線に向かってこれも透視図法に従って描かれています。要するに地上、海上、空と絵全体が透視図法で描かれており、西洋絵画そのものといってもよいのです。
しかし唯一西洋絵画と異なるのは、地上から数十メートルの高さの視点、すなわち俯瞰構図でこの絵を描いていることです。
俯瞰構図は日本絵画の強固な伝統であり、北斎、広重という革新者であっても逃れることはできませんでした。いや、あえて伝統にしたがったのかもしれません。なぜなら広大な地上の風景を描くには俯瞰構図の方がむいているからです。
ちなみに唯一の例外は渡邊崋山の《四州真景》の風景スケッチです。そのことを最近下記の記事で紹介しました。崋山は日本の絵画の伝統に背き、西欧の画家と同様に地表に立った目の高さの一点透視図法で描いています。
今回広重の雲の描写を調べたのですが、以前樹木の遠近描写法を調べた時と北斎と広重の描写の違いについて同じ結果が得られたことに驚きました。
草花、樹木の場合、北斎は《北斎漫画》や《花鳥画》では、近距離の草花、樹木を写実的に描写しているのに浮世絵版画の樹木は名前が判別不能なほどデフォルメして、しかも様式化して描いているのに対し、広重の浮世絵版画では樹木は名前が判別できるほど写生的に描かれ、また近景、中景、遠景の樹木をそれぞれ異なる描き分けをしていて北斎と対照的です。
青空と雲の場合も同様に、北斎がデフォルメ、様式化しているのに対し、広重は写実的に描いています(図4と図5)。
さて、それでは北斎、広重により始まった日本絵画における青い空に雲の描写はその後どうなったでしょうか?
明治以降の青空と雲の描写について
日本の絵画のあり方は、明治維新を経て激変しました。同じ絵画なのに、洋画と日本画に分かれてしまったのです。さらに浮世絵版画の役割は明治の初めにすたれ、大正、昭和になって版元渡邊庄三郎により再興された木版による新版画は、制作システムこそ絵師、彫師、摺師からなる浮世絵版画の制作プロセスと同じですが、絵画の描写は西洋絵画の技法です。なぜなら、渡邊庄三郎は西洋マーケットに顧客の照準を合わせたからです。
その中で、川瀬巴水、吉田博は、青い空に白い雲の名作を多く残しています。中でも私は前者の夏空に積乱雲、後者の山岳風景の雲に惹かれます。
透視図法、明暗法を駆使しておりあきらかに西洋絵画寄りで日本絵画の伝統とは隔絶しています。
歴史を逆戻りさせた日本画
それでは、洋画と相対化させるために生まれた日本画は青空と雲をどう描いたでしょうか?
実は、会場で《金色の空の夏のお花畑》に描かれた白い雲を見た途端に、私は下に示す福田平八郎の《雲》(1950)を思い出しました。
金色の空と青い空との違いはありますが、沸き上がる雲の形がこの絵を思い起こさせたのでしょう。
福田平八郎は日本画家です。注意したいのは、彼がこのように写生に基づくけれども対象を単純化、装飾化させたスタイルの一連の日本画の代表作《漣》、《雨》、《筍》を発表した時、特に最初の《漣》を発表時(1932年)、日本画壇から「何だこれは、絵と云えるのか!?」という声が巻き起こったとのことです。
ですから上記新スタイルどころか真っ青な青空に白い雲という組み合わせだけでも1950年時点で、作品《雲》の発表は日本画の関係者にとってとんでもない事件ではなかったでしょうか?。
事実、手持ちの明治初期から戦後の日本画家の画集をざっと見ると、戦前の日本画では青い空は勿論、沸き立つ白い雲もまったく描かれていません(見た画集は横山大観、竹内栖鳳、速水御舟、菱田春草、田中一村です。また、webでも他の日本画家をざっと調べました)
精査すれば一つ二つあるかもしれませんが、ほとんど無いと言ってもよいと思います。まさに北斎、広重によってようやくたどり着いた青空と雲の新たな日本画の表現の歴史を明治維新後の日本画は、100年以上逆戻りさせたと云えましょう。
ところが、もしかすると唯一田中一村だけは例外かもしれません。昭和18年(1943)に千葉に移り住んでから、戦後の昭和30年前後に離れるまで、青空のみ、あるいは青空と白い雲を浮かべた千葉の風景画を多量に描いているのです(残念ながら年代不明が多く、戦前のものか分かりませんが、少なくとも太平洋戦争の前後、遅くても福田平八郎と同時期までと推定)。そして、日本画壇とは隔絶してどうどうと青空と白い雲を亡くなるまで描き続けています。
私が気に入っている青い空に白い雲の作品を一つ示します。
彼が日本画壇に受け入れられなかったのは、このような革新的な部分も原因になったのではないでしょうか。
戦後の日本画における真っ青な空と白い雲の描写については、これ以上書くことは本記事の主題から離れるので、別の記事で書くことにします(あの日本画の大家、東山魁夷にも触れなければなりません)。
確信犯としての現代ART作品《金色の空の夏のお花畑》
さて、以上の点を受けて、村上隆氏の新作《金色の空の夏のお花畑》についてあらためて見てみましょう。
村上氏は、その著書「創造力なき日本」角川書店(2012)の中で自分を嫌う現代美術作家からの自分に対する非難の言葉を次のように書いています。
実は、この展覧会を見たときは、この本を10年前に読んだこと、そして内容も全く忘れていたので、村上氏の現代ARTについての主張はまったく知らずに鑑賞しました。そして、記事では可能な限りその時の感想を反映しています。
正直をいうと、本展覧会を訪問する前にポスターや京セラ美術館のチラシを見て、上で引用した村上氏を嫌う現代美術作家のように「今回の新作は、単なる日本絵画の模写、模倣、そして 展示されたの過去の作品も、やはり日本美術、漫画、アニメなどの延長、いいとこどりにすぎないのではないか」という印象を抱いていました。
以下、先ほど引用した自分を嫌う日本の現代美術作家に対して村上氏は反論します。
最後は極めて辛辣な言葉で締めくくられています。しかし、私はあらためて腑に落ちました。
そしてもう一つのキーワード、「現代美術のルール」に則ったビジネスとは何かですが、やはり14年前に読んだことを忘れていたもう一つの村上氏の著書、「芸術闘争論」幻冬舎(2010)に詳細に書かれていました。
手短にいえば、現代ART作品を鑑賞、制作する上で重要な①構図、②圧力、③コンテクスト、④個性という4つの要素を挙げ、「現代美術は(日本の美大生が考える)自由人を必要としていない。必要なのは歴史の重層化であり、コンテクストの串刺しなのです」と言い切ります。
そして、現代美術以前の歴史の重層化、コンテクストの串刺しを著書全般にわたって事例を使って解説していますが、ここでは詳細を省きます。
さて、あらためて新作《金色の空の夏のお花畑》を眺めてみると、本章では、私がうかつにも単なる日本美術の延長、模倣ではないかと思いこんだのとはまったく裏腹に、村上氏は日本美術の伝統に対する二つのチャレンジをしていることを見てきました。
すなわち、著書の中で言うとおり、日本の絵画の歴史をよく理解した上で、意味の重層化、コンテクストの串刺しを行っていることが分かります。
次回の記事においても新作、旧作の展示作品の感想を続けたいと思います。
なお、《天国のお花畑》シリーズと琳派芸術との関連の小作品も展示されていましたので下記に紹介します。
記事その(3)に続く。
前回の記事は下記をご覧ください。
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