僕の“死生観”
皆さんこんにちは‼︎ワタです‼︎
今回は最近興味がある“死生観”について書いていきます。
僕自身がコーチであり、クライアントの人生に関わる立場なので
自分の“死生観”をシェアする必要があると思いました。
ぜひ最後まで読んでいただけると幸いです。
“死生観”とは?
まず始めに“死生観”という言葉の意味をここでシェアします。
(今回は齋藤 孝さんの投稿が一番しっくりくるものだったので、引用させていただきました。)
“死生観”の捉え方は人それぞれだと思います。
ここではあくまで僕の“死生観”であることをご了承ください。
僕の“死生観”
ここでは僕の“死生観”について詳しく書きたいと思います。
僕の“死生観”は以下の2つを参考にしました。
「老いることも死ぬことも人間という儚い生き物の美しさだ」 鬼滅の刃 煉獄杏寿郎
これらは異なるカテゴリーですが、どちらも“生と死”について考えさせるものになっています。
これらを元に僕は…
①“死”というものが存在するから“生”に磨きがかかる
②生き方によって“死”の価値が大きく変わる
③“死”を最終地点として生きることをプランニングする
という考えに至りました。
もう少し具体的に説明していきます。
①“死”というものが存在するから“生”に磨きがかかる
人間には“生”と“死”という概念があります。
これは皆さんも一度は考えたことがあるでしょう。
もし人間に“生”しかなかったらどうなるでしょう…
きっと“死”への恐怖や不安は無くなり、“生”への価値が皆無になると思います。
これは挑戦には不安が伴うことと同じ原理で
“死”が無かったら“生”が機能しない。逆もまた然り。
このように自分は考えています。
②生き方によって“死”の価値が大きく変わる
“生”と“死”の関係性は上記で述べさせて頂きました。
それを踏まえると、“死”に対する理想も人それぞれであると思います。
その理想を叶えるためには“生”に対する理想を実現させること
これがマストだと考えます。
“生”→“死”という順序が必然であるように
“生”に対する理想を実現できない→“死”に対する理想も実現できない
このように自分は考えています。
③“死”を最終地点として生きることをプランニングする
ここまで“生”と“死”について書かせて頂きましたが、
“死”の先に何があるかは僕は知りません(笑)
たぶん生きている人にはそれは知ることが出来ないことでしょう。
それを踏まえると、生きている人の最終ゴールは死ぬ時です。
もちろん死期を予想することは難しい、あと何年生きているか分からない
これらは当たり前のことです。
ですが、ぜひ皆さんには自分が死ぬことを最終ゴールとして人生をプランニングしてもらいたいと思います。
ちなみに僕のプランニングをチラッとお見せします(笑)
☆僕のvision
① 1年後(2021年 9月) コーチとしてクライアント15人以上いる状態になる
↓
② (1)非常勤講師or民間が運営する学校or塾講師
(2)プロコーチ(子ども〜20代をペルソナとする)
↓
③ 5年後(2025年 3月31日まで)全国の学校にコーチングや目標達成に関する公演をする
↓
④ 8年後(2028年 3月31日まで)子どもたちにコーチングを提供する企業に参加or起業
↓
④ 10年後(2030年 3月31日まで)全国の全ての学校に専属のコーチを設ける。
僕自身も死ぬ時までのプランニングは出来ていません。
しかし、上記のことは死ぬ時までに絶対やりたいことです。
きっとこれらをプランニングできた要因は“死”を意識したからです。
もし死ぬ時までのプランニングが出来ない方は死ぬまでに絶対やりたいことを直近でプランニングしてみてください。
きっと“生”に磨きがかかり、価値が生まれると思います。
まとめ
今回は僕の“死生観”について書かせて頂きました。
ぜひこれを機に自分なりの“死生観”について考えていただけると幸いです。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
今後ともよろしくお願い致します。
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