見出し画像

【早稲田カップ2024 #epilogue】「13年の時を経て学び感じる」4年・小林朋睦

2011年3月11日、14時46分に東北を中心に最大震度7の巨大地震が襲った。

私は当時小学校3年生であったが、大学4年の22歳になっても当時の揺れの大きさの衝撃を忘れることはない。

地元群馬では最大震度6弱を記録していた。


当時を思い返せば、教室で帰りの会をしている時であり、大きな揺れが原因で時計が落ちてきたことを覚えている。

家に帰っても電気は使えず、実家の横にある曽祖父母の家で、家族全員でカレーを食べた。寒さに耐えながら家族全員で石油ストーブを囲んだのを鮮明に覚えている。

そして大津波が街を襲い、多くの犠牲者が出てしまったといったニュース、そして緊急地震速報が出続けるテレビ。
あの映像、音は一切忘れることはない。




昨年に引き続き今年も私は縁があり、早稲田カップ2024陸前高田大会(1月13日(土)、14日(日))と早稲田カップ2024気仙沼大会(1月20日(土)、21日(日))の両日程に参加させていただき、多くのことを目で見て、肌で感じ学ばさせていただいた。


陸前高田大会は、ア式蹴球部OB・加藤久さんが中心となり作り上げた上長部グランドにて二日間開催された。普段は雪のために体育館でしかボールを触ることができないチームが久しぶりに綺麗な芝のグランドでボールを蹴れたと喜んでいた。負けたのにもかかわらず笑顔でベンチに帰ってきてハイタッチをする子供達の目にはサッカーを純粋に楽しむこと、勝敗以上に大切なものを感じた。仲間のミスに何一つ文句を言わず、励ますこと。なかなか思うように試合に出れなくても仲間を尊重し円陣を組む子供たち。結果にしかこだわりを持たなくなってしまった私には胸が痛いものであった。13年前の私はこのような行動が取れていたかと思い返すも、良くも悪くも結果にしか拘っていなかったなと感じた。

普段会う機会の少ない大学生に駆け寄ってサッカーの試合以上に走り回る無邪気さに、お昼のカレーうどんがおいしすぎるが故に食べ過ぎてしまい、なかなか走れない姿に心温めてもらいました。


気仙沼大会でも私は子供たちや親御さん、コーチ監督の方々から多くのことを学び感じさせていただいた。

1点差の得失点に悔しがる仲間に駆け寄り励ます子、男子の試合でなかなかボールにも得点にも関わりづらい女の子にパスを出しアシストをし、みんなで喜ぶ姿、大雨により試合会場が変わり体育館と限られたスペースなってしまったのにもかかわらず、嫌な顔一つせず私たち部員を送迎してくれた親御さんや監督コーチの方々、そして元気に走り回る子供たち、レクリエーションで最高に盛り上がり過ぎてしまった子供たち、二日間ありがとうございましたと整列をしてしっかりとお礼をしてくれる姿に、自分自身も多くのことを学ばさせていただきました。


陸前高田では、奇跡の一本松や慰霊碑、気仙沼では街を囲み、綺麗な海が見えなくなってしまうほどの防波堤に、すがとよ酒店の方達からのお話に、東日本大震災がどれほどのものであったかを感じさせられ、テレビで見ていたものは本当にごく一部のものであり、自ら目で見て、耳で聴くことがいかに大切であることかを痛感した。


すがとよ酒店の女将さんが講和の中で、

「頑張れといった言葉が時にいやと言うほど心痛くなる言葉となる」といったことをお話しされていた。

言葉の難しさ、そして相手の立場を理解し寄り添うことの難しさを再認識した。



私は両日程を通じて、言葉ではうまく表すことのできない計り知れないほどの貴重な経験をさせていただきました。

星が綺麗で空気が透き通る陸前高田と気仙沼に行き、学び得たことは今後の人生の糧となり、時に語り継がないといけないものであり、この早稲田カップをこの先永遠に開催させ続けることは早稲田大学ア式蹴球部の1部員としての一つの復興支援であると考えました。

当たり前を当たり前と思わず、小さな幸せを見つけ続け、何事にも感謝できるそんな人生を歩んでいきたいと思いました。



最後にはなりますが、今大会の中心となって動き続けてくれた学生の皆さん、競技スポーツセンター、陸前高田サッカー協会、気仙沼サッカー協会の方々をはじめ、ご支援ご協力いただいた多くの皆様には感謝しかありません。


貴重な経験、そして人生の糧となる時間をありがとうございました。

小林朋睦
学年:4年
学部:人間科学部
前所属:群馬県立前橋高校


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?