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【#Real Voice 2023】 「サッカーは私の人生の糧であり、軸であり、正解であった」 4年・小林朋睦

あと数日もすれば私の17年にも及ぶサッカー漬けの日々が一度幕を閉じる。
お兄ちゃんがやっていたから、そんな理由で始めたサッカーをこの歳になるまで続けられた。22歳になっても、泥臭く毎日サッカーボールを追い続けることができたことは、私にとって貴重な経験であり、金銭面、生活面、精神面をはじめ、私の全てを支え続けてくれた両親には感謝をしてもしきれないほどのものである。



「あなたにとってサッカーはどんなものなの」
とある企業の面接官が私にこう質問をした。

「私そのものなのかなと思っています。」
あまり自信を持った回答をすることができなかったが、そんな私に面接官は笑顔でそうですかと言った。
帰宅途中会話のキャッチボールができていなかったなぁと反省した。


余談ではあるが、後日私はその企業から不採用の連絡を受けた。



17年間続けることができたサッカーに私はどんな魅力を感じたのか。


幼稚園年長の時に始めたサッカー
偶然的な出会いではあったが運命的な出会いであった。

この歳になり私のたった22年の人生ではあるが振り返るとサッカーは私の人生の糧であり軸であり正解であったと思う。そして何をするにも一番にはサッカーがあったと思う。

小学校6年生の時、中体連でサッカーをするか、クラブチームに行ってサッカーをするか。
迷っていたが結局クラブチームに行った。「サッカー」が上手くなれると思ったし、「サッカー」を通じて、より高く、見たことのない景色を見ることができると思ったから。
結果は正解であった。全く試合に出れない経験をしたが、この経験がその後の人生の大きな糧となった。そして初めて家族以上に一緒に時間を過ごした人たちと出会えた。この出会いは一生ものである。

高校受験では、勉強もサッカーをできるだけレベルの高い環境でやりたいと思った。「サッカー」で出会った幼馴染みと同じ高校に進学することにした。これもまた正解であった。進学した高校は地元群馬県ではトップの進学校でもあり、毎年東大京大医学部医学科を輩出する高校だった。入学後最初のテストではなんと下から数えてすぐの順位をとった。自分のバカさには絶望した。ただ、この経験が努力の仕方を私に教えてくれた。文武両道を全身全霊で体現するサッカー部の同期から毎日多くの刺激をもらい続けた結果、憧れに憧れを重ねた早稲田大学に進学をし、現在所属する早稲田大学ア式蹴球部に入部することができた。

サッカーは私の人生の糧であり、軸であり、正解であった。

2年前のブログに書いたことでもあるが、高校3年生のセンター試験後に大好きな母親が乳がんを患った。
18歳の私には受け入れることのできない現実だった。
そんな自分が母親に対してできることは「サッカー」を通じた恩返しだった。



大学生になっても私は人生の糧であり、軸であり、正解であった「サッカー」を続けた。


大学1年生。
試合には出れなかった。1番下手だったからだ。悔しいかったけど、中学でも同じような経験をした。だから耐性はついていた。だから高校の時に学んだ努力の仕方でひたすら自分に向き合い続けた。もちろん逃げてしまった日もあったけど、それでも毎日を全力で生きていた。全力すぎて人にぶつかってしまったこともある。自分のダメなところを「サッカー」を通じて学ぶことができた。1年を通じて公式戦には全く関わることができなかったのに、両親は常に私に応援の声をかける。この歳にして両親の偉大さと温もりを「サッカー」を通して知った。

大学2年生でもそんなに自分の見ている景色は変わらなかった。ただ、変化はあった。体がゴツくなったり、パスが少し上手くなった気がしたり、戦術がわかってきた気もした。
努力が少しずつ芽を出してきた気がした。
ただ物事はそんなに甘くはない。試合には出ることはできなかった。
新人戦に少しだけ関わることができた。この新人戦ではそう多くは勝てなかったが自分の成長と伸び代が見えた。自分の武器がなんとなく分かった気がした。絶望していたサッカー人生にほんの少し希望を感じることができた。2年目に書いた部員ブログで多くの人から応援のメッセージをいただいた。そして改めて自分は多くの人に支えられ、周りの人に恵まれている人間であると実感した。


大学3年生になり試合に出れるようになった。サッカーのおもしろさを感じた。勝てばいつも食べるご飯が何十倍も美味しく感じ、負けると口にすらしたくなくなる。日常生活に支障をきたすほど私はサッカーにつけ込んでいた。何気なく始めた「サッカー」が生活に1番必要なものとなっていた。
とある厳しい学生コーチのおかげでサッカーが楽しくなった。上手くなるために多くのアプローチをしてくれた。期待にそう多く応えることはできなかったけど、彼からはサッカーそのものを教えてもらった。
学連といったチームの根幹を担う組織にも携わらせてもらえた。勝敗には関係ないと思っていた運営が、チームの勝敗に大きく影響をしていると学んだ。「サッカー」は実に面白い。

大学4年生になって1年生に比べたら試合にたくさん出れるようになった。
社会人リーグ開幕戦。新体制のチームとしての大事なリーグ開幕戦。私は左腕に重荷を巻いて試合に出ていた。結果は引き分け。自分の力の無さを、身を通して感じた。そして4年生としての自覚が生まれた。チームのために身を捨ててでも取り組まなければならないと強く感じた。
Iリーグの開幕戦。そこにも左腕に重荷を巻いた私が立っていた。結果は勝利。シーズン序盤にしてとてつもなく大きい達成感を感じた。ただその達成感は次節の東海大学との試合に0-6で負けたことでなくなった。「サッカー」は面白い。こんなにも本気で喜怒哀楽の感情を出すことができるスポーツなのだから。上手くなりたい、試合に勝ちたい、みんなで紺碧の空を歌いたい。その感情のままに毎日をただがむしゃらに生きてきた。体が痛くて、もたないなと思いながらもそれでも続けてこれた。「サッカー」に全てを注いできた気がする。何をするにも何処かには「サッカー」といった理由があった気がする。

サッカーを通じて私は何にも変えることのできない大切な仲間に出会えた。
サッカーを通じて自分の強さと弱さを知ることができた。
サッカーを通じて努力の大切さと難しさを学んだ。
サッカーを通じて親の偉大さと温もりを感じた。
サッカーを通じて「感謝すること」を学んだ。
サッカーを通じて本気になることができた。



後悔を挙げろと言われたら山ほどあるが、その後悔を過去に戻って無くしたいかと言われたらそう思わない。
この「サッカー」を通じた後悔は私の人生の糧となり軸となり正解となった。

今後サッカーとどう関わっていくかは自分の中でもはっきりとはしていないが、必ず今後の人生においても「サッカー」は私の人生の糧となり、軸となり、正解となる。


私は幸せ者である。

可愛く頼もしい後輩に恵まれ、困ったときはいつでも話を聞いてくれる先輩が居て、尊敬できる大好きな同期ができた。

「サッカー」には目に見える結果以上に目に見えない大切なものがある。
これは私の意見であり、サッカーだけに限らず多くのスポーツに詰まっている魅力なのかもしれない。
ただ、17年間うまくもないサッカーを続けてこれたのはこの目にみえない大切なものに日々心躍らされていたからなのかもしれない。


特に最後のこの大学サッカーでの4年間はとにかくキツかった。
でも、幸せなことに先ほども記したが素敵な仲間が近くにはいた。


サッカーを通じて私に関わってくれた人全員に感謝の念を伝えたい。


そして最後に両親へ
2年前にもこの「Real Voice」を通じてメッセージを残しましたが、最後の年もここで少しだけ自慢のお二方のことを書かせてもらいます。

「お前ならできる、自分を信じて頑張れ」そう私に言い続けてくれたお父さん。
根拠のない信じる気持ちが自分を強くしてくれました。
「ともちゃんは頑張ってるよ」、会うたびに口にしてくれたお母さん。頑張れたのは母が頑張っていたからです。
試合に出るよといえば、どこへでも駆けつけてくれた両親。両親が来た試合は勝てないといった謎の現象が起きていたけれど、最終節はしっかりと有終の美を飾れたのかなと思います。
この4年間は特に莫大な額の金をかけてしまったのにもかかわらず、何一つ嫌な顔をせず背中を押し続けてくれてありがとう。
俺は最後の最後まで無駄足掻きになってもいいから、足掻こうと思っています。
誰よりも自分の何かに可能性を見出し信じ続けてくれたこと、心の底から感謝をしています。
人生の貴重な財産となる経験をさせてくれてありがとう。


サッカーは私にとって人生の軸であり、糧であり正解でした。


◇小林朋睦(こばやしともちか)◇
学年:4年
学部:人間科学部
前所属チーム:群馬県立前橋高校


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