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【#Real Voice】 「20歳になった自分から大好きなお母さんへ」 2年・小林朋睦

“お母さんは乳がんになった”

2020年1月19日の夜。センター試験2日目が終わった日だった。
自分にとっての人生における分岐点になった日でもあるこの日に、そう父から兄弟3人に告げられた。
兄弟の中でも1番のママっ子であった自分にとって理解のできないものであった。たとえ高校3年生であったとしても信じることのできない現実を突きつけられた。

『兄弟仲良く睦まじく』そんな意味で朋睦と名前をつけてもらえた。
自分で言うのは少し恥ずかしいものであるが誇らしく自慢な名前である。
両親には何不自由なく育てられ多くの愛情を注いでもらえていた幸せを今でも感謝をしている。
そんなところにおいて順風満帆な日々に悪雲がやってきた。

母が乳がんと知ったその時を境に自分の中で何かできることがないか必死に探した。乳がんはどんな病気なのか。どれくらいの生存率なのか。どんな治療が行われるのか。中には治療はものすごく発展し、乳がん患者の生存率は高いと言ったものを見れば、有名人が乳がんで亡くなったといった記事も出てくる。現実を理解すればするほど辛いことでしかなかった。自分にできることは本当にただ1つで、自分が何かを頑張ること。こんなことくらいしかなかった。

“大学でも今まで続けてきたサッカーをやって、少しでも元気を与えたい”
サッカーにおける自信なんて何ひとつない凡人が、母に元気を与えることだけを夢見てア式蹴球部といったとてつもなくデカい門を叩いた。

その年から自分の大学生活と母の闘病治療が始まった。
ア式での日々は予想以上に辛く過酷でしかなかった。でも、母親も同じであった。いや、自分なんて何ひとつ比にならないくらい過酷なものであった。
抗がん剤治療の副作用として私生活における体調不良の増加、吐き気嘔吐、全身の毛が抜ける。悪性腫瘍摘出のために片乳の乳房全摘。聞くだけでも辛い出来事を弱音ひとつ吐かないで戦っていた。

ある日母は自分にこう言った。
“病気が治るのは嬉しいけれど、治療の結果として女性としての魅力を失うのは悲しい”と。
この言葉の意味、重みは自分には測り知れず、理解することのできないものであった。

自分として、ア式にきたのは両親に対する恩返し、母の活力となることが夢であった。
結果を見てみると1年目のシーズンは公式戦出場時間は0分0秒。ベンチに入った回数0回。何においても0でしかなかった。こんな結果に反して同期はしっかりとみんなが結果を残す。ピッチ内外関係なく、どこかしらで結果信頼を掴んでいた。自分の存在意義が、魅力が何ひとつ感じられないシーズンでもあった。
夢でもある「恩返しや活力になる」といったことを口に出すことは恥ずかしくてできないものであった。

自分の大学サッカーと母の闘病生活は今年で2年目となった。
現在においても経過を見ながらの治療といったものは行われているが、群馬にいる家族、お医者さんのおかげで母は順調に来ている。体調を崩すこともあるが、今は少し安心してもいい状態であるらしい。感謝でいっぱいである。
自分はどうだろうか。2年目にも入ったから結果を残しているのか?
胸なんて何があっても張れないほどの状態である。
公式戦に出たって失点に関わる。ベンチにいても外からできる雰囲気作りができない。スタメンに使ってもらえそうな時に、信頼を失うようなプレーをする。自分がベンチから外れれば試合には勝つ。メンバー外になった試合が勝利を飾ると“なんで勝つのかよ”と思う。チームの勝利に喜ぶことができない。ただただ不貞腐な人間でしかなかった。

サッカーはもう辞めよう。今年になってそう思うことは増えた。正直辛いことに耐えていられなかった。友人のインスタを開くと箱根に行ったり、朝日を見にドライブに行く、こんなご時世だけど友人同士集まって飲んでたり、ディズニーランドなんかに彼女と行ってたりする。楽しそうだなと呟く。夢が夢でなくなることもあった。

“お母さん、少し元気になってきたから俺はもういいかな”なんて思ってしまったこともある。

母との電話は泣いている方が多かった。大学2年生、20歳になっても泣いてばかりである。
お母さんは覚えているかわからないけど、“辞めてもいんだよ”と一度電話で言われたことがあった。辞めたいと自分が言ったわけでもなく、ただ落ち込む自分に対してそう一言だけかけた。
辞めたいと思っている中で、いざ辞めてもいいよと言われてみると歯痒い気持ちになった。もう期待されてないのかな。そんなことなんて何ひとつ思ってなく、ただ自分の気持ちを最優先してくれている母親の愛情であることはわかっていたが、引っかかるところでもあった。もう少しだけがんばろう。自分の中での重りが少し軽くなった気がした。

結果ばかり見ていた自分は大事なことを見失っていた。結果を出すためにしなければならないこと。例えば体負けしない体づくり。サッカー観。パスの技術。できることはそこら辺に転がっている。チャンスと同じように。
でも、何かに一点張りな自分は、大事なことを見失いがちになっていることが多い。常に気付かされていることばかりである。今回のように。

あと2ヶ月で今年も終わり、あっという間に月日は経っていく。
何歳になっても周りに支えられている自分も少し腹を括ることが必要なのかもしれない。

お母さんへ
まず治療本当にお疲れ様です。
こんなところで書かれることに少し抵抗があるかもしれないし、恥ずかしいかもだけど、ここだからこそ書けることがあり、ここだから感じられるものもあるかもしれないから最後まで読んでください。
乳がんになってからネガティブ人間であった自分はより一層ネガティブになったと思う。
泣き虫であった自分は、より泣き虫になったと思う。常に味方でいてくれるお母さんには感謝でいっぱいです。弱音を吐けばそんなことはないよと。1分でも試合に出ると今日出ていたねといったLINE。筋トレをして少し体つきが変わればすぐ変化に気付いて連絡をくれる。帰ってきてもいんだよと言われていてもなかなかこんなご時世だからすぐには帰れないけれど、いつでも待っているといった言葉には励まされてばかりです。お母さんにとっては当たり前であり、当たり障りのないことなのかもしれないが、自分にとっては本当にかけがいのないものとなってます。
明後日は華の早慶戦。昨年も自分は運営側に回り、今年も運営側です。ピッチで泥臭く頑張っている息子を見ることが親の夢かもしれない。その夢は必ず叶えたいと思うし、4年生になった時、1分、1秒でも長く走り回る姿が見せられるよう努力もする。
今年でやんちゃ小僧であった自分も20歳になって、少しずつ大人になっているなと思っているかもしれないけれど、中身は変わらず両親が大好きで、無邪気なサッカー小僧です。昔と同じように時には甘やかして、時には叱ってください。これからも迷惑しかかけないけれどよろしくお願いします。

長ったらしくなってしまった不器用な文章を最後まで読んでくださりありがとうございました。少しでも自分のことを知ってもらえたなら幸いです。
明後日はついに華の早慶戦。勝つのは早稲田です。そして勝利に導くのは明日が担当の奥田陽琉です。
応援よろしくお願いします!!!

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小林朋睦(こばやしともちか)
学年:2年
学部:人間科学部 
前所属チーム:県立前橋高校


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